堀江敏幸

『熊の敷石』堀江敏幸(講談社文庫)

 文庫って解説があるのが多いわけで、しかもその解説は「そうそう、そうなんだよなあ」と思わせるような、ホントにうまいこと言っちゃってくれてたりするのが多いもんだから、解説読んだ後ってのは感想が書きづらい。

 そういうわけで、本書「熊の敷石」は、川上弘美が解説を書いている(熊繋がり?)。その解説の中で川上弘美も言っているように、堀江敏幸の文章から読者が味わうのは、「不安と気持ち良さ」であって、「そうそう、そうだよなあ」と私も思うのだ。そしてその「不安と気持ち良さ」に関しては川上弘美が解説でうまいこと書いているのでそちらを読んでみて欲しい。

 ――とか書いちゃうと、ホントにここに感想を書く必要がなくなっちゃうので困ったものなのだが、解説を読んで思うことは「そうそう、そうだよなあ」と思わせる以外にも、もう一つある。それは、自分が何となく思っていたようなこと、それはホントに無意識的に思っていたんであろうこと、それを解説者は的確に言語化してくれているのだ。本書の場合ならば、堀江敏幸の文章の「いろっぽさ」だ。それは、川上によれば野蛮と紙一重の洗練されたいろっぽさなのだと言うのだが、そこで「あっ! そうそう。それだよ。オレもそう思っていたんだよなあ。うまく言葉にはできなかったけど」と思わされるのだ。そして多分、本書の場合は、解説を読まずに自分の感想を書こうとしていたら「不安」や「気持ち良さ」という語は出てきたとしても、「いろっぽさ」という単語は出てこなかっただろうなと思うのだ。その、堀江敏幸の文章の「いろっぽさ」に関しては川上弘美が解説でうまいこと書いているのでそちらを見てみてほしい。

 ――とか書いちゃうと、ホントにここに感想書く意味がなくなっちゃうので、多少は自分の言葉で例えてみる努力を少しはしてみよう。

 例えてみれば、堀江敏幸の文章は私にとって「破裂しないしゃぼんだま」なのである。見た目はフツウのしゃぼんだまで、そのまま浮かせておけば非常に綺麗な、洗練された球体になっているものの、ちょっと触ってみると何とも不思議なカタチになる。それは非常に捉えどころがない。うーむ不思議なしゃぼんだまだなあと近寄って表面をよく見てみると表面上はフツウのしゃぼんだまと同じように見える。あれ?フツウのしゃぼんだまだっけかと一歩離れて見直すと、そのカタチはやっぱり不思議なカタチになっている。そんな不思議なしゃぼんだまは、ふわふわと漂っていて何だか不安な気持ちにさせられる一方で、風任せでふわふわとしているのを見ていると、何となくな気持ちよさが感じられるのだ。そして、一見繊細な感じを受けられるそのしゃぼんだまには、フツウのしゃぼんだまとは違って触っても壊れない強さ、がある。
 そういうわけで、「破裂しないしゃぼんだま」には「不安と気持ちよさ」が備わっているとは思っているのだけれど、そこにあるほかの「何か」は自分には言葉にできなかった。しかしそれは川上弘美言うところの「いろっぽさ」なのだろうな、と解説を読んでから思わされた。そう言われてみれば、しゃぼんだまには「いろっぽさ」があるよなあと私は思わされるのだ。という話。

 ――とか書いちゃうと、結論としては「しゃぼんだまにはいろっぽさがあるよね」みたいな感じのよくわからないまま、話が終わってしまうような気がするのだけれど、しかしまあそもそもが本書自体の話ではなくて、本書の解説の話へと重点が置かれてしまったような感想なので、それはそれでまあズレたまま終わってもいっかなと思いながら筆を置くことにする。
 ちなみにタイトルとなっている「熊の敷石」の意味はラスト間際でわかるので、「熊の敷石」の意味を知りたいヒトにオススメ。

 最後に、これは蛇足で、ものすごい失礼な言い方をしてしまうけれど、本書の解説は、川上弘美の解説の中でも非常にいい出来のもの、ではないと思うので、そういう期待はしないように。注意。要注意。

(2004年02日28日更新)

離れ茶房<書斎>へ