いしいしんじ
| 『麦ふみクーツェ』いしいしんじ(理論社) |
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> いいも悪いもない、だってこれは、麦ふみだもの。 麦ふみのリズムに合わせて物語は進む。 とん、たたん、とん。 本書の主人公「ねこ」はティンパニ奏者のおじいさんと、 数学教師のお父さんと一緒に暮らしている。 「ねこ」が出会う人々は何とも一風変わったヒトたちばかりで、 彼らの周りでは一風変わった事件ばかりが起きる。 麦ふみをするへんてこな身なりのクーツェに出会ったり、 ネズミが空から降ってきたり。 愉快なヒトビトの中で、哀しい音色に満ちた出来事が「ねこ」の周りで起きる。 楽しいことも、哀しいことも。 とん、たたん、とん。 本書は主人公である「ねこ」というある一人の少年の成長譚だ。 いろいろなヒトビトに囲まれて、いろいろな出来事に遭遇する内に、 「ねこ」は成長していく。 最初は状況に翻弄されてしまう「ねこ」も、 徐々に自分の意思で状況を切り拓いていく。 淡々と、明るく、乾いたリズムで。 とん、たたん、とん。 「ねこ」と一緒にいろいろな出来事を経験していく内に、 読んでいるヒトの心の中にも麦ふみのリズムが聞こえてくる。 物語を読むのも、麦ふみのリズムで。 とん、たたん、とん。 > いいも悪いもない、だってこれは、麦ふみだもの。 > とん、たたん、とん。
(2004年8月31日更新)
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| 『トリツカレ男』いしいしんじ(ビリケン出版) |
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これは「トリツカレ男」の物語。 いろいろな趣味にトリツカレたように熱中してしまう「トリツカレ男」ジュゼッペ。ジュゼッペはホントにいろんなものにトリツカレる。昆虫採集に探偵ごっこ、三段跳びにサングラス集め。ジュゼッペは我を忘れていろんなものに夢中になる。トリツカレ男ジュゼッペのトリツカレっぷりには少々びっくりしてしまうぐらいだ。でも、そのトリツカレ具合が何とも陽気で、何とも楽しい。ジュゼッペは楽しそうにトリツカレる、それなら読者も一緒にトリツカレてみないと損じゃないか。サングラス集めに三段跳びとは何とも不思議な趣味ではあるけれど。 そしてそんな、日々何かにトリツカレているジュゼッペのことをを見守る周りのヒトビトが何とも優しく、何とも愛らしい。皮肉屋なハツカネズミ、ツイスト好きな親分、風船売りの少女ペチカ。そして、トリツカレ男が次にトリツカレてしまったのは何と、風船売りの少女ペチカだった――。 何でもかんでも夢中になると、他のことが目に入らなくなるようなトリツカレ男ジュゼッペが、ペチカという少女のことにトリツカレちゃったらどうなっちゃうんだろう、と読者はどきどきする。そんな読者の思いをよそに、トリツカレたようにジュゼッペはペチカに夢中になる。ペチカの笑顔を見ることだけが楽しみで、ペチカのことを思うだけでどきどきする。 ジュゼッペがペチカのことを思うたびに読者は胸が高鳴り、ジュゼッペがペチカのことを思うたびに読者は胸が締め付けられる。読者はジュゼッペと一緒にペチカにトリツカレてしまって。胸が痛くなって熱くなって。そして叫びたくなる。 「ジュゼッペ! おーい、ジュゼッペ!!」 ジュゼッペ、それは今までのトリツカレたものとは違うんだ。昆虫採集とか探偵ごっことかとはまた別物なんだよ、ジュゼッペ。 そう、これは「トリツカレ男」の恋の物語。 陽気で、 おかしくて、 せつなくて、 ほんの少しかなしくて、 じんわりとあたたかい、 「トリツカレ男」の恋の物語。 オススメです。
(2004年7月11日更新)
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| 『プラネタリウムのふたご』いしいしんじ(講談社) |
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> ほんものはすごい、夜空を見あげるたびにそうおもったね。 本書の主人公は、〈プラネタリウムのふたご〉。プラネタリウムで一緒に生まれ育ったふたごは、ある日村へやってきたサーカスに魅せられて。そして、一人はプラネタリウムの解説員に、もう一人は稀代の奇術師になる。ニセモノの夜空を人々に魅せる解説員と、ニセモノの魔術を人々に魅せる奇術師に――。 プラネタリウムとマジック。この本ではその相似が描かれる。それをホンモノの星であるかのように騙し、それをホンモノの魔術であるかのように騙す。しかし、騙している本人こそがこれはホンモノなのだと信じていなければ、その奇術は成功しない。騙り手の想いは、観客に通じる。〈プラネタリウムのふたご〉たちが創り出すニセモノの夜空とニセモノの魔術は、ふたごたち自身が演じる側でありながらそれらを真実と信じ込み、はらはらと見まもり、やがてあらわれる奇跡に自ら驚き、観客たちをめくらまし、魅了する。 そんな〈プラネタリウムのふたご〉とその周りの人々が織り成していく物語に、読者は引き込まれる。何気ないワンフレーズに、ふとしたワンシーンに、気づかぬ内に引き込まれていく。物語であるのはわかっている――わかっていたはずなのに、いつのまにか〈プラネタリウムのふたご〉たちの、その周りのキャラクタたちの息吹が感じられ始め、彼らが織り成す物語を読む内に胸の奥から何かが込み上げてきて。〈いしいしんじ〉の語りに引き込まれ、〈プラネタリウムのふたご〉の物語を読み進めていくと、物悲しさで胸がいっぱいになり、心が衝かれる。 でも、その物悲しさはどこか不思議な物悲しさで。胸の奥をそっと、そっと撫でられたような、何だか暖かい物悲しさ。そう、それは澄み切った暗闇の中にいる感じ。澄み切った暗闇の中で空を見上げた感じだ。誰からも忘れ去られ、自分だけが存在しているんじゃないかと物悲しくなるけれど、でも実際は独りじゃなくて。 読み終えてから、ふと思う。 ああ、いしいしんじはきっとこの〈物悲しさ〉を抱えたままこの物語を書いたんだろう。作者がそう想いながら書かないと、その想いは届かない。語り手の想いは、読み手に通じる。 ほんものはすごい、そう思った。 でも、ニセモノもすごい、そうおもった。 ――でもそれは、ニセモノがすごいからじゃない。 ニセモノをホンモノかのように魅せてしまう、そのヒトこそがすごいんだ、そうおもった。
(2004年7月19日更新)
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| 『白の鳥と黒の鳥』いしいしんじ(角川書店) |
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イヤな作家だ――。 本書は多才なる作家いしいしんじによる多彩なる短編が詰められたショート・ストーリーズ。それらのショート・ストーリーズの粗筋を書くことは申し訳ないけれど私にはできない。粗筋を書いてその物語の良さを伝えることはどうしてもできないのだ、この作家の作品は。 いしいしんじの作品は――とても人間臭い。暖かみのあるお話、哀しく切ないお話、純粋で残酷なお話、どれもこれもが人間臭い。きっといしいしんじは人間が好きなんだろう。純粋さと、悪意と、友愛と、差別と、慈愛と、悪念と、それら全てを矛盾なく持ち合わせる小賢しくて小憎たらしくてそれでいてたまらなくいとおしい人間たちが、いしいしんじは好きなんだろうと思う。でなければ、これほどまでに、これほどまでの、人間臭さを書いてみせることはできないんじゃないだろうか。その長編では寓話的な部分に隠れて見えづらく左ジャブによってじわじわと効かせてきたその人間臭い部分を、ショート・ストーリーでは右ストレートに乗せてぶつけてくる。 哀韻なる言葉をその調べに乗せて、いしいしんじは語る。無国籍な物語を語る。何処かに住むヒトビトが無邪気な悪意と純粋なる善意とで日々を暮らしていることを語る。それはどこかで聞いたことがあるような寓話で、どこかで聞いたことがあるような悪意で、どこかで聞いたことがあるようなハッピーエンドで、でも、まったく聞いたことがないような物語で。そんなとても多彩な人間模様が描かれている様々なショート・ストーリーが入っているショート・ストーリーズ。これは、とてもとてもとても人間臭い本だ。 ホントにイヤな作家だ――しばらくは逃れられそうにない。
(2005年2月21日更新)
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