小林信彦

『私説東京繁昌記』小林信彦・荒木経惟(ちくま文庫)

 なんだろう、何ていうんだろう。東京という街を歩く時ふとしたことで気づく、あの感覚。何気ない瞬間に感じる、あの非現実的な感覚。フィクションとノンフィクションの境界線上に立っているようなあの違和感。

 本書「私説東京繁昌記」は作者が二人いる。文章を担当する小林信彦と、写真を担当する荒木経惟だ。二人で1983年現在の【イマココにある東京】を歩いて、小林が語り、荒木がそれを写真にとる。いったいイマの町並みがどのように作られていったのか、東京オリンピック開催に至るまえの【町殺し】をメインに据えて、小林が1960年代東京を語る。一方、荒木は小林に同行し【イマココにある町】を歩き、小林の話を聞きながら写真を撮る。小林が東京に抱く想いを、写真として風景から切り取る。

 戦前も戦時中も戦後も高度経済成長もバブルも体験していない読者からすれば、正直なところ1960年代と1980年代の違いはわからない。それはどちらも「昔」にあった出来事であり、そこに違いはない。1960年代の東京がどのような町だったのかを見聞きしていない自分には、1980年代の写真から1960年代を類推することさえできなかった。そもそも、私にとっては【雑駁な雰囲気と猥雑ないかがわしさ】こそが【東京】そのものである、といっても過言ではないくらいなのだ。だから、これらの猥雑な東京に対して小林信彦が露わにする嫌悪と反感には目を瞠った――。

 そう、小林信彦は【東京】という街を嫌悪する。本書で書かれるのは【町殺し以後の東京】から小林信彦が振り返る、【町殺し以前の東京】。そこにあるのは、生まれ育った町である東京への深い愛情と、1960年代に行われた【町殺し】によって新しく猥雑なエネルギーが溢れかえるへと変貌していく東京への嫌悪。
 ……しかし、これはただの嫌悪なのだろうか。


 ――たぶん。


 多分、そこにあるのは実際は愛情だとか嫌悪だとかではなくて、ただひたすらな東京への想い。汲めど尽きせぬ東京への想いだ。そしてきっと、本書は東京という町へと送られた手紙なのだ。尽きせぬ〈アムビヴァレントな想い〉を綴った、小林信彦から【東京】への手紙なのだ。多分。

 本書の表紙にもなっている1992年の佃島の写真がある( 表紙画像 )。小林信彦の想いを、荒木経惟が【東京】から切り取ってみせたものとして一番顕著でわかりやすい。この本書の表紙を見せることこそが、本書の紹介として一番だと思う。

 オススメです。紹介してくださったアクトさんに感謝。ありがとうございました。

(2004年01日01日更新)

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