町田康


『パンク侍、斬られて候』町田康(マガジンハウス)

 本書はスゴイ。何がスゴイって、町田康なのに話がまとまっちゃうのである。これはスゴイ。町田康なのに。

 > 「いっやー。どうかな。僕が、いっやー。重臣を罵倒するような人を推挙した
 >  僕が栄転てのは、いっやー、どうかな、いっやー、ない? ある? 
 >  いっやー、ないでしょう。いっやー。いっやー」


 それにしても本書はスゴイ。何がスゴイって町田康なのに時代小説しちゃうのである。冒頭から茶屋の前を通りがかった娘を連れた年老いた父親を若い侍が太刀を振りかざして斬って捨てててしまうのである。ずば。うわっ、時代小説してるじゃねえか。いったい町田康はどうしちゃったんだ。いっやー、どうしちまったんだろう。
 そしてまた、本書はスゴイ。何がスゴイって、物語の中で町田康はテレビ時代劇しちゃうのである。いや、テレビ時代劇批評しちゃうのである。テレビ時代劇で出てくる「おやじ、めしと酒だ」で出てくるような「めしと酒」ってのはどういうものなのか気になる、と主人公に問いかけさせちゃう。うんまあ確かに気になる。「めし」以外の食べ物はないのか、あの「めし屋」ってのは。気になるよなあ。確かに気になる。気になってた。
 時代小説をしながらテレビ時代劇に突っ込みを入れながら町田康は町田康小説を書いていく。

 > 「では少しばかり伺ってもよろしいかな」
 > 「どうぞ」
 > 「まず、その、どんどんどんどん、この。というのはなんでござる」
 > 「あ。これですか? これはですね、たーたらたーん。たーたらたーん。
 >  たーたらたーん。たーん。つちゃつちゃつちゃつちゃつちゃつちゃ」
 > 「いきなり歌いだすとはいかがいたした」
 > 「これはですね、ジミー・クリフのですね、ザ・ハーダー・ゼイ・カム
 >  という曲のイントロダクションです」
 > 「それがいったいなんの関係がある」
 > 「つまりですね、この曲のサビのですね、ざ、はーだーぜぇかーむ、
 >  はーだぜぇかーむ、わねんのー、というところがですねぇ、これは、
 >  日々の暮らしがどんどんきつくなってきている、という意味なんです」
 > 「ああ。そうなの」
 > 「そうなんです。で、つまりいま私もとてもきつい状況にあるわけでしょ?
 >  それをこの歌に託そうと思ったんですよ。でもほら? そのまま歌うって
 >  いうのも芸がないでしょ?だから、一応、替え歌って言うかね、どんどん
 >  どんどん、この。どんどんどんどん、この。と言った訳です」


 ざ・はーだーぜぇかむ、はーだーぜぇかーむ、わねんのー。と主人公が歌い始めてしまう本書のタイトルは「パンク侍、斬られて候」。「パンク侍」とは主人公〈掛十之進〉のことだと考えて良いだろう(多分)。ただ、パンクなのは掛だけではない。〈腹ふり党〉はパンク宗教だし、謎の美少女〈ろん〉もパンク娘だし、愚鈍な超能力者〈オサム〉もパンクだし、登場人物たちは皆パンクで物語もパンクで作者もパンクだ。しかし、パンクと時代小説って両立しうるものなのかしらん――。

 > 「我々も腹振った方がよくないですか?」
 > 「そうしよう。全体のリズムに乗って動いていた方が被害が少ない」
 > 「じゃあ、ふりましょう。おほっおほっ」
 > 「おぎょ。おぎょ」
 > 「はははは。なかなか楽しいものですね」
 > 「けっこうなものでござる」
 > 「おぎょおぎょおぎょおぎょ」
 > 「おどおどおどおど」


 「パンク」と「侍」とを両立させつつ、まったく両立させないままに本書は進み、町田康は話をまとめてしまう。町田康なのに。でもやはり町田康は町田康であって、きっと私は一生町田康を超えることはできないだろうと思う。

 いやまあ、町田康を超えたいか超えたくないかっつったらどちらかと言えばあんま超えたくないけれど。

(2004年6月2日更新)

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