Michael Moorcock

『この人を見よ』マイケル・ムアコック/峰岸久・訳(ハヤカワ文庫)

 やべえ。(以下、ネタばれ感想)

 悩める気違いにして、病める神秘主義者にして、精神科医になり損ねた人、カール・グロガウアーの「現在」と「過去」が交互に語られながら物語は進んでいく。カールが今いる「現在」は西暦29年のエルサレム。「過去」は1949年のロンドン、カールが9才の時からカールの成長を見ていき、一体何故カールがエルサレムにいることになったのかを追っていく。
 幼少期は苛められたり折檻されたり変態に弄ばれたり彼女が出来たら本当に愛されているのかどうか不安になって彼女に猥談したり神秘主義団体に入って語り合ったり、物語が進んでいくにつれ、カールはより悩んでいく。悩むっていうか。まあ、何ていうか。キリストの生涯に異常なまでの執着を抱いていくカールは、深く悩む。気違いじみた感じで悩む。

 > 彼はよく割礼された自分のペニスを片手に乗せて、
 > 感傷的な愛情をこめてそれを見つめた。
 > 「おまえはぼくの持った唯一の友人だ。ぼくの手に入れた唯一の友人だよ」
 > それは彼の頭の中で、よくそれなりの一人前の正確をとることがあった。
 > 面白い友人で、楽しみを与えてくれる相手だった。
 > もっとも多少向こうみずなやつで、いつも彼を面倒ごとの中に引きずりこんだ。


 こんな調子でカールは悩む。悩み、悩みつくす。

 一方、西暦29年にいるカールは、ヨハネに会い、イエスを探す旅に出る。カールはついにナザレの街で、ヨセフとマリアに会うのだが。イエスの登場シーンは劇的だ。私の言葉では多分正確に伝えられない。

 > その人影は不細工な格好をしていた。
 > それははっきりと目につくせむしで、左の目がすがめだった。
 > 顔はうつろで愚鈍だった。唇にはよだれがすこしたまっていた。
 > 「イエスか?」それは自分の名前が繰り返されるたびにクツクツ笑った。
 > それは曲がった、よろめくような一歩を前に踏み出した。
 > 「イエス」それはいった。
 > ことばは不明瞭につながって、こもっていた。
 > 「イエス」


 白痴なイエス。キリスト教ものってのは読んでいないけれども、今までにあっただろうか、こんなに白痴なイエス。あったらあったで嫌だけど、何ていうかこれはありえなくね? イスラム関係でやったら殺されるぞきっと。

 こういう小説を許しておくだなんてキリスト教はイスラムに比べて寛容だなあ、とつくづく思った。
 貸して下さった射千玉さんに感謝。何ていうか、射千玉さんが読んでそうな本だなあ、と思いました、はい(偏見)。

(2003年2月3日更新)

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