荻原規子
| 『樹上のゆりかご』荻原規子(理論社) |
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もう一度帰りたい日々。 Hush-a-bye,on the tree top, When the wind blows the cradle will rock; When the bough breaks the cradle will fall Down will come baby,cradle,and all.
マザーグース
青春小説。 本書は同作者の『これは王国のかぎ』(理論社)の後日譚とでもいえる作品であるが、もちろん単品でも読める作品に仕上がっている。まあ一応『これは王国のかぎ』を読んでから本書に取り掛かることをオススメするけれども。ちなみに『これは王国のかぎ』はアラビアンナイト風、というかばりばりアラビアンナイトの世界なので本書とは全然雰囲気が違ったりする。アラビアンな感じの冒険ファンタジー。ハールーンが格好良い。めっさ格好良い。いやまあ、本書にハールーンは出てこないのだった残念残念。 その『これは王国のかぎ』と打って変わって本書『樹上のゆりかご』は合唱祭、文化祭、体育祭、の辰川高校の三大イベントを通して描かれる青春劇、とでも呼べばよいのだろうか。いわゆる高校を舞台にした学園青春小説である。恋に揺れ動き、人間関係に振り回される高校生たちの心の葛藤が描かれる……。えー、あー、まあ、何か微妙に違っている気もするけれどもまあ、大体そんな感じ。結構よくあるテーマだけに典型的なものに陥らないように書くのは中々難しいと思うのだけれども、やはり荻原規子は荻原規子なのだなという視点から荻原規子はうまく書いているさすが荻原規子。さん。 ええまあ、ここまでで勘が良い人は、なんでアラビアンナイト風冒険ファンタジーと現代ものの学園小説が続きものなんじゃあ、と気付くかもしれないが、続きものなんです。読めばわかる。読んでわかれ。 で。 合唱祭、文化祭、体育祭が本書の背景となるのだけれども、高校時代こういうイベントに打ち込んだ人には多分たまらないだろう。私自身、高校三年間文化祭にのめりこんで過ごしたため、本書を読んでもう一度高校時代に戻りたくなってしまった。というか、もう一度文化祭をやりたくなってしまった。話はちょっと逸れるのだけれども、この、母校の文化祭というのが結構すごくて、所謂男子校なので大っぴらに身内以外の女性と話すことができるのは外部にも開かれている文化祭だけと張り切っていたのかただ単にお祭り好きが集まったのか何なのか、もう全校を挙げて文化祭に打ち込むような高校だったのである。入場者数が10000人を突破する文化祭は中々あるまい。というか、正門のところにノイシュヴァンシュタイン城やらセントポール大聖堂やらサクレクール寺院やらモスクやらがどどんと立ってしまう文化祭も中々あるまい。その門を通ったらチラシをもった普通の格好をした者から競泳用水着やらセーラー服やらエプロン掛けた若奥風の男子高校生に老若男女問わず襲われる文化祭はそうそうあるまい。もう一度文化祭をやりたい。 ちなみに私はセーラー服着たりエプロンかけたり、競泳用水着履いたりは流石にしなかったことを明記しとこ。変なカッコはしてません。 まあ、ひとまず未読の方は読んで頂きたい。いわゆる児童書に分類されてしまうレーベルではあるが、誰でも読める。はず。きっと。全然問題ない。大丈夫。荻原規子の諸作品が好きな人にはもちろんオススメだし、一時期話題になった恩田陸の『六番目の小夜子』(新潮文庫)みたいなものが好きな方にもオススメである。 さて。以下は、まっさらなままで本書を読みたい方は避けて頂けると幸いな感想。まあ別に読んでもさしたる問題はないように書いてはいるつもりだけれども。 本書『樹上のゆりかご』は冒頭に引用したマザーグースの歌の1つがタイトルとなっているのだが、一体この「樹上のゆりかご」というのは何を示しているのか。 舞台となっている辰川高校はちょっと特殊な成立の仕方をした高校である。つまり、元は男子校だった辰川高校が男女共学となったために、男子生徒に比べて女子の生徒が少ない。男女比が3対1。その上、男子クラス4クラス、男女混合4クラスで振り分けられるため、クラス替えをしても下手すると3年間男子クラス4クラスという男子生徒も出てくる。そのような元男子校、ある種の男社会の上に成り立っている高校での女子生徒からの視点で物語は語られていく。 共学高校で3年間男子クラスになる男子は多分に悲劇であり喜劇であるとは思うが、本書によるとそれは男性からの視点であるようだ。女性から考えれば、男子は男子のみのクラスになる可能性があるのに、女子は女子のみのクラスになることはない、ということになるらしい。それが悪いことか良いことなのかはさておくが、一体それば女性にとって悲劇なのか喜劇なのかは、私にはわからない。男性であるからそれがわからないのか、ただ単にそういう立場を想像することができないのかもしれない。とりあえずわからない。 主人公である上田ひろみにとって、同学年の男子生徒の気持ちはよくわからない。らしい。それと同様に、私(筆者)から見ると本書に出てくる上田ひろみや、近衛有理、中村夢之の気持ちはよくわからない。いや、もちろん上田ひろみ視点から書かれている作品であるので、主人公の心の葛藤なんかは書いてあるし、字面を追っていけば主人公の考えはもちろんわかる。わかるのだけれども、いまいち理解はできないのである。私は男子校出身のため、女子高校生という生き物をよく知らないというのもあるのかもしれない。 そのような男女のものの考え方の違い、感じ方の違い、そしてその両者相互のわからなさ、が上田ひろみを通して(というよりかは、近衛有理を通した後の上田ひろみを通してと言ったほうが良いかもしれないが)、浮き彫りにされる。微妙なバランスで成り立っている元男社会に生きる女子生徒たち。それに戸惑いを覚えつつ日々を過ごす者もいれば、特に意識にはのぼらさずに過ごす者もいる。その一方で、男の理論の上に成り立っていた元男社会に女性が入ってきたことによる微妙な変化に対して、男子生徒も同様に戸惑いを覚える者もいるだろうし、特に何も考えずに過ごすものもいるだろう。あやうい樹の上にあるゆりかごのようなバランスで成り立っているのは果たして辰川高校という場なのか、もしくはそこで3年間を過ごす高校生たち自身の心なのだろうか。 とか何とかたまにはそういう風に感想を終わらせてみたりする。まあ、たまには。 本書を貸して下さったからもりさんには感謝感謝。
(2002年10月1日更新)
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