岡谷公二


『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』岡谷公二(河出文庫)

 フランスの南東部にある人口千五百人の村、オートリーヴ――その村には、奇妙な、それは奇妙な建築物がある。一介の郵便配達夫であったフェルディナン・シュヴァルが一人で、たった一人で、生涯をかけて建てた宮殿。雨の日も雪の日も風の日も休まず病気せず、周りから気違いと呼ばれ続けながら造り上げた、郵便配達夫シュヴァルの理想宮が、そこにはある。

 ある郵便配達夫が三十三年の年月をかけて造り上げた建築物がフランスにある、という話は聞いたことがあった。最初は、その想像力/創造力に興味をもったのだ。だから本書を探してみようと思ったのだった。まったくのズブの素人が三十三年という長い年月を掛けてたった一人で造り上げた建築物というのはどういうものなのか、さっぱり思いつかなかった。それだけ掛ければ結構大きいものが出来上がる気もするし、一人きりで造ろうとしたらなかなか大きなものは出来ない気もする。どういうものなのだろう、と首を傾げていたのだった。そんな長年の疑問を氷解させるべく、本書を手に取った。

 ――心が惹かれる。至極。至極、きわめて、とても、心が惹かれた。もっていかれた。

 正直なところ、本書の感想において、岡谷氏の文章に云々書くことはあまりない。もちろん、そう言いながらも一気に読んでしまったのだから、シュヴァルの理想宮の魅力を伝えるには悪くない文章だったのだろう、とは思う。思うのだが、ただ、あまりにもその素材が魅力的過ぎて、そのインパクトに負けてしまっている。いや、そもそも、ある男がとりつかれたひとつの妄想、唯一つのことにのみ生涯を注ぎ込み、そして造り上げた建築物――それはまさしく具現化された妄執だ――そんなものに対して勝ち得るものなんてあるのだろうか。

 本を手にとって表紙を見る。この建物はなんだろう。この建築物は何なんだろう。明らかにヨーロッパ的なものではない。かと言ってオリエンタルなものでもないし、アフリカ風とも言いがたい。初めて見るような、でもそれを見るのは初めてではないような――そうか、これが理想宮か。これが、一介の郵便配達夫の心に巣食んだ、阿房宮なのか。
 シュヴァルは語る。

 「私は、自分の考えをまぎらわすため、夢想の中で、想像を絶する幻の宮殿を、並みの人間の才能が思いつく限りのもの(洞窟や、塔や、庭園や、城や、美術館や彫刻)を建て、原初の時代の古い建築のすべてをよみがえらせようとしたのだった」


 たぶん、このどうしようもなく奇妙な建築物に心惹かれるその大元にあるのは、原初の記憶だ。本能のどこかが刺激される。シュヴァルの妄想によって、原初の記憶が。一気にもっていかれたのだろう。
 傍から見ていたら、この本を読んでいる間の私は不審人物に見えただろう。190mm×130mmの文庫本にぎりぎりまで顔を近づけなめるように眺めている男なんてものは傍から見たら気持ち悪いに違いない。でも、そんな世間体などを気にしていられる余裕はない。なんなんだこの建物は。本書に収録されている写真を食い入るように見つめ――ある男の妄想にのめりこむ。

 岡谷はシュヴァルの横顔をうつした写真についてこう書く。

 > それは、夢を実現すると同時に、夢に食われてしまった男の顔だ。


 なんとも羨ましい話ではないか。それ以上に幸せなことがあるだろうか。夢を実現し夢に食われる以上に幸福なことが、この世の中にあるだろうか。二百年前の郵便配達夫に強い羨望を覚える。シュヴァルが、とても羨ましくなった。

(2005年3月5日更新)

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