奥泉光

『バナールな現象』奥泉光(集英社文庫)

 小説。

 1991年1月17日、湾岸戦争が始まった。砂漠の戦場から遠く離れた東京の郊外で、妻の出産を待つ大学講師、木苺の凡庸な日常に突然、暗黒の陥穽が口を開く。モーセのトーラー、鴉、理不尽な暴力の予感、そして改竄される歴史。様々な謎が顕在し、現実は虚構に侵食されてゆく。あの日を境にして世界は変わってしまったのか? 21世紀の今日に鮮烈に屹立する、戦争と狂気の時代を黙示した問題作。

 何とも言い難い、非常に「難しい」作品だった。いや、奥泉光のことだから、文章は練りに練られたものになっているのは勿論なのだが、何にせよ、自分でこの作品が読み解けているのか、全く自信がもてない、というか、読み解けていないことは確かなのだが、どこまで読み解けていないのか、がさっぱりわからない。いや、その前に多分どうしても読み解けない部分というのは多分あって、それは確実に奥泉自身によって意識的にそう書かれているのだろう、という気はするし、その考えはさほど間違ってはいないのではないかと自分では思っているのだけれども、だからと言って、どこまでがその部分なのか、さえもさっぱりわからない。

 ネット書評でも調べてみようか、とも思ったけれども、ちょっと自分の中で醸造する時間が欲しいので今は見ないでおいておくことにする。

 正直、本書に対してこのような感想を書くのは我ながら情けない、とは思うのだが、2002年の自分の読解力を後から振り返った時、どう思うか、が少々気になるので記念に書き残しておくことにする。数年後の自分の読解力が上がっていることを切に希望する。

 奥泉光の作品は数作しか読んでいないが、多分、本書はトップクラス。下手すると今までの諸作品の中では最高傑作かもしれない。是非、一度手に取ってみて頂きたい。そして、感想を教えて頂きたい。いや、ほんとに。

 この感想のトップに「小説。」と書いたが、本書のジャンルは多分「小説」である。それ以上でもそれ以下でもない。そういう意味においても一度手にとってみてもいいかもしれない作品の一つである。

(2002年8月1日更新)
離れ茶房<書斎>へ

『鳥類学者のファンタジア』 奥泉光(集英社)

 柱の陰に誰かいる――フォギーことジャズ・ピアニスト池永希梨子は演奏中奇妙な感覚に襲われる。オリジナル曲「フォギーズ・ムード」を演奏していると、今度は希梨子の前にはっきりと黒い服の女が現れた。あなた、オルフェウスの音階を知っているとは驚いたわ――黒い服の女は名を霧子と名乗り、そう告げた。希梨子は、黒い服の女が音楽留学でヨーロッパに渡り、1944年にベルリンで行方不明となった祖母・曽根崎霧子なのではないか、と思い当たる。そして希梨子=フォギーは魂の旅へと向かう。光る猫パパゲーノ、土蔵で鳴り響くオルゴールに導かれ、ナチス支配真っ只中のドイツ神霊音楽協会へ。オルフェウスの音階、宇宙オルガン、ロンギヌス、水晶宮……時空を超えたフォギーの旅――。

 文章によって、音楽の快楽に身を委ねることができるものなのか、と驚かされた。なおかつ、現代日本から、1944年ベルリン、そしてニューヨークへと、次々と時空を跳ばす奥泉光の手腕には圧倒される。水晶宮において「宇宙オルガン」が奏でる音楽、ジャズ・ピアニストであるフォギーの弾くピアノ、多分音楽をする人ならばより楽しめるのではないだろうか。これほど、音楽をやっていれば、と残念だったことはない。しかし、そこは奥泉光である。音楽を嗜んでいない人にも楽しめるように書かれている。そういえば、奥泉光がフルート吹きながらカラオケするってのは本当なのだろうか。吃驚した。というか、できるのか、そんなこと。

 490ページもある作品である。たぶん本当は、感想はこんな短さでは終えられない。是非是非読んで頂きたい一作である。490ページもある本書は、非常に読みやすい。奥泉光がこんな読みやすくていいのか、とすらすらと読めてしまう。多分、奥泉本人も非常に楽しんで書いたのだろうなあ、と思う。中々作者が楽しみながら書いている、とこれだけ素直に感じられる本ってのは稀少だと思う。

(2002年8月1日更新)

離れ茶房<書斎>へ