Edgar Pangborn
| 『デイヴィー 荒野の旅』エドガー・パングボーン/遠藤宏昭・訳(扶桑社) |
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> 彼こそはまさに万愚の王。 核戦争による崩壊から300年。小国家が乱立し、強い宗教支配のもとにあるアメリカ東海岸。娼家に生まれたデイヴィーは、9歳にして町の居酒屋に引き取られる。かくて数奇な少年時代がはじまった――居酒屋の娘への恋。禁断の存在"ミュー"との接触。音楽との出会いと歓び。性の目覚め。殺人と逃亡。戦争……成人したデイヴィーが回想として記していく、驚くべき遍歴の記録。 発表当時から絶賛を浴び、いまなおオールタイム・ベストにもあげられる名編。異世界を旅する少年の成長を描き、国際幻想文学賞受賞作家パングボーンの代表作、待望の邦訳! 本書は主人公デイヴィーの成長譚である。びるどぅんぐす・ろまんである。28歳のデイヴィーがそれまでの半生を振り返り、回顧録を記述していくという形式で物語は語られていく。合間合間に現在の状況、つまり【ニューイン】を追われ新しい世界へと旅立つために航海している近況を交えつつ、昔を回顧していく。特筆すべき点は、現在デイヴィーの妻となっているニッキーと友人である元ニューイン摂政のディオン、この二人の手によりデイヴィーの回顧録に脚注がつけられている点であろう。デイヴィーの身近にいる二人の諧謔と風刺に満ちた脚注は読んでいて苦笑いせずにはいられない。 粗野で無教養な14歳のデイヴィーのその当時の感じ方と考え、行動を、一時は一国の摂政の政治顧問をも務めた28歳のデイヴィーが語っていくという形式を訳すのは非常に骨が折れた、と本書の巻末で訳者遠藤宏昭も述べている。 「いわゆる標準日本語は、アメリカ英語に比して、ダーティーな語彙が遥かに貧弱であるが、今回ほどそれを思い知らされたこともない――原文にはそのまま訳したら日本語として不自然に響くであろう罵詈雑言、猥語の中に、宗教的、哲学的、政治的用語が纏められている箇所がいくつもある。『デイヴィー』は会話の部分だけでなく、前編がそういう口語体である。これを原著の味を生かしきって訳出しきるだけの力は訳者にはなかった――」 そういえば、扶桑社の同レーベルから出ているジム・トンプソン『ポップ1280』(扶桑社)を訳した三川基好もインタビューで同じようなことを語っていた。 「――それから、下品な言葉をいっぱい使うので、それを思い切って日本語に出さないといけない。日本語ってきたない言葉が少ないんで、それはちょっと苦労します。全部糞っ垂れになっちゃったりするんですね(笑)――罵り言葉の豊富なことね、英語は。ヨーロッパ語はみんなそうかもしれないですけれども。日本語はバカとクソくらいしかなくて困っちゃう――」 あまりにもファンタジー的な『デイヴィー』とあまりと言えばあまりにもペーパーバック的な『ポップ1280』とに出てくる俗語を比べるのは少々無茶かもしれないが、日本語にはそういうダーティーな語句が如何に少ないか、をつくづく考えてしまった。確かにパッと思いつくダーティーな語句ってのは非常に少ない。きっとfour letter wordってうまい訳語ないのだろうなあ。しかし、無教養な悪タレの話を知的誠実さをもった大人が語る、という形をとったパングボーンには、惜しみない拍手を送る他ない。 さて。話は変わるが、本書はSFである。裏表紙の謳い文句だって「SF史に残る名作、ついに登場!」である。何処がSFって、世界がSF。核戦争後の世界。文明が壊滅状態であるアメリカ。【神聖マーカン教会】が先導する単一宗教がアメリカ全土を支配しており、その中で民主主義の小国家が乱立している。しかも教会は旧時代の知識を殆ど全て「原始的伝説」とし、自らに都合の悪いものは「嘘(フィクション)」として人々の目から事実を隠蔽している。銃器、火薬類の禁止、書物の印刷・出版の制限、科学技術の隠匿。何とも背筋がぞくぞくとする設定ではないか。 デイヴィーたちが暮らしているのが上記のような世界であることは読み進むにつれ、徐々にわかっていくのであるが、しかし作者であるパングボーンの凄い点はこの世界観を構築したことだけではない。この世界が成り立っていることを前提に、この世界に住む人々を描くのがべらぼうにうまいのである。その土地の風俗・習慣、土の匂い、獣たちの影、陰鬱とした森の木々、夕焼けに染まる村の家々。その場の湿気から匂いから登場人物たちの息遣いから、もう何から何まで、その場にいる感覚にさせられる。そう、その上この世界に住む登場人物たちが、これまた良いのだ。主人公デイヴィーは当然のことながら、デイヴィーがその旅の途中に会う人々は皆、一癖も二癖もあって、あまりにも人間的で魅力的で個性的な人たちばかりだ。ちなみに私はサムが好き。ううむ、格好良いよ、おやじ。おやじー。 そんなこんなで本書は往々にしてSFにジャンル分けされるようだが、ファンタジー色も非常に強いので、ファンタジー好きの方にも是非オススメしたい。ビルドゥングス・ロマンでファンタジー。世界設定はSF。読め。読んどけって。 解説を見ると、本書を筆頭に<デイヴィー・クロニクル>と呼ばれる世界観の作品は数冊あるらしい。是非とも翻訳して欲しいところである。期待していきたい。 追記。 前にこのサイトで紹介したキース・ロバーツの『パヴァーヌ』(こちらも傑作!)、そして本書。扶桑社からのSF名作は今後続々と出るらしい。こちらも期待していきたい。装丁もいいし。値段も安いし。何と言っても面白いし。
(2002年9月15日更新)
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| 『オブザーバーの鏡』エドガー・パングボーン/中村保男・訳(創元SF文庫) |
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一体、自分ならば【オブザーバーの鏡】に何を見ることができるのだろうか。 SFでしか書けないものというものはあると思うし、もちろんその一方でSFでは書けないものというのもあると思う。本書について述べるとすれば、本書がSFでなければ読み終わった後のこの余韻は得られなかったのではないだろうか。 カナダ北西部のツンドラの地下246フィートにある【北方市】。その、とある一室から物語は始まる。【北方市】は有史以前、実に三万年もの昔に地球へと移住してきたサルヴェイ人たちの数少ない都市のひとつである。彼らは淡々と地球人類たちが精神的成熟を迎えるのを、待つ。 異星人が地球人類を見守る小説は数多あるが、それらの小説との違いは、サルヴェイ人のスタンスだ。彼らはスパイでもなければ、先駆けでもない。また、一段も二段も高い次元から人類を侵略するわけでもなく、人類の進歩を促そうとするわけでもない。ただただ、地球人類が精神的成熟を迎える日を待ち、地球人類がサルヴェイ人たちと【合同】できる日を待つ。彼らはただ、見守るだけだ。長い年月を生きられる彼らはあくまでもそっと人類を見守る。ただし、地球人類に要注意人物が出た時、彼らの中からその人を監視する役目をもつ【オブザーバー】が選任される。 【オブザーバー】のエルミスと、天才であるが故に孤独を抱える少年アンジェロ、風変わりな少女シャロン。そして、【退官者】ナミール。彼らの葛藤と相克とが淡々と物静かに語られていく本書には、SF的な大掛かりな大道具や凝ったギミックは、ほとんど出てこない。しかし、その静謐さからは、人間性に関わる深い洞察と、悩み、行動し、自省し、それでも未来へと向かっていく人類たちへの深い愛情が感じられる。 本書は教養小説の一種として読むことができる。しかし、本書で成長していくのは少年アンジェロや少女シャロンだけでない。350年以上生きてきたエルミス、地球人よりも地球人らしいサルヴェイ人であるエルミスがもっとも成長するのではないだろうか。エルミスは、アンジェロやシャロンと交流の中で、人類を観察し、人類について黙考し、行動し、反省し、そして葛藤しながら、成長していく。 本文中ではエルミスは地球人類を【地球人】と呼ぶ。しかしその一方で、「我らの惑星『地球』」という言い方もする。地球で生まれ、地球で育ったサルヴェイ人であるエルミスはもはや地球人なのだ。サルヴェイ人の種が生まれたのは火星であったが、今では地球上に住む彼らは最早地球人であろう。そして、彼ら自身が住まう地球が育んできた地球人類という種を彼らは見守る。 本書のタイトルである【オブザーバーの鏡】は、アンジェロの元へエルミスを派遣する際、エルミスの上司にして育ての親でもあるドロズマがエルミスに渡した鏡だ。それはクレタ島で作られた青銅の鏡である。それを通してアンジェロとエルミスが見たものは一体何だったのか。そして、時間が経ち、彼らが再度見た時に鏡に映っていたものは一体何だったのか。それは是非ご自分の目で確かめて頂きたい。
(2003年3月1日更新)
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