Keith Roberts
| 『パヴァーヌ』キース・ロバーツ/越智道雄・訳(扶桑社) |
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一週間かかりきりになった本はほんとに久しぶり。 1588年、エリザベスI世が暗殺され、イギリスはカトリック教会の支配下に入った。テクノロジーの発達は阻害され、異端審問が暗い影を落とし、古い社会構造が維持された20世紀のイギリス――路上を走る蒸気機関車の運転士ジェシーは、恋する女性に熱い思いを告白する――少年レイフは全国土に張り巡らされた腕木信号を司る信号手になるべく、ひたむきな情熱を傾ける――工芸の才を発揮する修道士ジョンは、境界からの新たな任務に人生を狂わせる――市井に生きる人間たちの挑戦と挫折は、世代を経ながら、やがて大きなうねりとなって世界を動かしてゆく――異なる世界を歩んだ世界を描ききる幻の名作が、いま蘇る! 牧歌的すちーむぱんく風改変歴史SFの傑作。 本書は、第一楽章から第六楽章までそれぞれ六人の人物を語り手に据えて進められてゆく連作短編の形式をとったものである。蒸気車による運送業で一代にして莫大な財を築いたジェシー・ストレンジの若かりし頃の一エピソードから始まり、独自のギルドを形成し情報伝達を一手に引き受ける信号手たちに憧れる少年レイフの幻想的な物語、カトリックへ疑問を抱く修道士ジョンの反逆の物語、ジェシーの姪であり自立心溢れる女性マーガレットの物語、白い密輸船に別の世界を垣間見る漁師の娘ベッキーの【白い船】への憧れの物語、カトリック教会に抵抗する若き女領主エリナーの反乱の話。そして、終楽章にて語られる真実。 「もう一つの世界(アナザー・ワールド)」を描く作者の文章は緻密できめ細かく、そしてとても優しい。澄み切った冷たい空気を感じさせるもう一つのイギリス。雄大な荒野を走る蒸気機関車、転々と果てしなく続く信号塔、人通りと雑踏でざわめく街、仕事上がりの愉快な酔っ払いどもが飲み騒ぐ居酒屋――。そう、本書で特筆すべきは、作者が描くのは綺麗な牧歌的な風景だけではなく、労働者たちの埃っぽい汗の匂いや、蒸気機関車の石炭や煙の匂い、を感じさせてくれる点だ。読者はこのリアルな日常描写によりこの世界により深く入り込むことになる。「本書の世界が改変世界である」という違和感は全く無い。 我々が知っている歴史においては、宗教革命及び産業革命が起こり、プロテスタントが普及し科学技術が飛躍的に進歩する――ことになるのだが、本書では20世紀半ばにおいてまだ、世界はカトリックの苛烈な支配下に置かれ、石油・電気などの進んだ科学技術は著しく制限されている。そのような世界で活躍するのが【路上列車(ロード・トレイン)】や【翼車(バタフライ・カー)】、そして全国土に張り巡らされた腕木信号による信号塔、出版・印刷を独占している修道院による石版印刷術である。 このような様々なガジェットが丹念に描写されているのが、本書の魅力の一つだ。その中でも特に、腕木信号と蒸気機関車の描写は巧みだ。信号塔の両脇についた巨大な腕木を扱って、複雑な信号を前の塔から受け取り、次の塔へと送る信号手たち。塔から塔へと伝わる信号は、国中、大陸中を駆け巡る。寒く孤独な塔の中で信号手たちは自分の仕事に誇りを持ち、次の信号が送られてくるのをじっと待つ。なんと格好良い仕事だろうか。第二楽章の主人公レイフが信号手に憧れるのが良くわかる。 そして、重要な場面においてしばしば活躍するのが、ストレンジ父子商會の蒸気機関車【レディ・マーガレット】である。釜に石炭を入れ蒸気で走る機関車であるが、所謂我々が知っている蒸気機関車と違う点は、【路上列車】という名が現している通り、レールの上ではなく路上を走る点である。第一楽章の主人公ジェシー・ストレンジはこれを巧みに操り財を成し、また第六楽章の女領主エリナーの危機においても活躍することになる。この【レディ・マーガレット】をジェシー・ストレンジが運転していく場面が非常に羨ましいのだ。自分も運転してみたくなる。 それらのローテクノロジーが重要な役割を果たしてゆく一方で、本書においてもう片方の重要な役割を果たすのが【古い人々】である。アングル=ランドという島、古き神々とその神々を崇める【古い人々】。【教会】がやってきた後、彼らは「妖精」「荒野の住人」「石の人々」と呼ばれるようになり、人々の前から姿を消した。そして今では――。物語の根幹の部分に関わるため詳しいことは書けないが、【古い人々】を出すことによって本書がとても幻想的なファンタジイ作品に仕上がっていることは確かだ。しかし、本書は基本的にSFにジャンル分けされている。【古い人々】はファンタジイ的ガジェットである一方でまた、SF的役割をも果たしている。終楽章で明かされる事実は深く、そして重い。その事実は是非ともご自分の目で確かめて頂きたい。 技術革新が遅れている世界の中で、どんなに教会が抑え込もうとしても確実に一歩一歩変革の道を歩んでいく人々が各楽章の主人公となり、歴史を紡いでゆく。各主人公たちが持つ時代への視点は各々違うが、それぞれの視点から意識的また無意識的に時代の波を感じ取り疑問を抱き変革へと人々は向かってゆく。「もう一つの世界」を舞台にし、歴史の大きなうねりを読者の前に出現させた作者には脱帽するばかりである。 一冊の本を一週間かけて読んだのは本当に久しぶり。丹念に縦糸と横糸とが織り込まれていった綺麗な織物みたいで、読み終えるのが勿体無かった。1500円で手に入る内に。是非是非是非。
(2002年9月5日更新)
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