佐藤亜紀

『天使』佐藤亜紀(文藝春秋)

 佐藤亜紀の作品に関する感想を書くのは至極難しい。それが何故なのかは、自分でも納得できる理由がいまだに思いつかない。

 佐藤亜紀の作品を読む時は毎度毎度それまでと全くモードを変えなくてはならなかったりする。たいていの場合モードを変えるのに失敗して半分くらいまでざっと読んで、また最初から読み直すというまあ何ともケッタイな読書をしてしまうのだ。佐藤亜紀の作品が読みづらいとか読みにくいとかではなく、本当に私自身のみの問題なのだと思うのだけれども。
 その理由は解明されていないが、一応考えてみたところ、説明が大幅に省略されている、というのが一因な気がする。普段読んでいる他の本だと、新しい登場人物が出ると大概その人物の説明がその前後にあったりするものが多かったりするのだが、佐藤亜紀の作品ではそれが殆どない。唐突に出てきた人物は、かなり後になってから、ああこういう人物だったのか、と納得することになる。
 で、とりあえず大体の話の流れ、登場人物の役割が何となく分かったあたりでまた最初から読み直すのだ。自分のものすごく基礎的な読解力不足であることはもう重々承知の上で、折角だから今の自分がそうであることをここに記しておく。後数年立って、成長していることを祈りつつ。

 しかし、佐藤亜紀の作品はとても好きなのだ。

 本書では、基本的に主人公ジェルジュの視点――ジェルジュ自身の視点というよりかは、ジェルジュの側から見たジェルジュの行動、を読者は追っていくことになる。そのため、世界がその時どうなっているかは地の文での説明は殆どなく、登場人物同士の会話で推測していくのみである。ちなみに、この作品は第一次世界大戦前夜のヨーロッパ、主にウィーンが背景となっている。基本的に歴史小説ということではなくジェルジュの成長譚であるので、その背景がさほどわかってなくとも十分に楽しめるのではあるが、世界史に詳しい人はさらに楽しく読めるようになっている(のではないかなあ、と推測する。)

 そしてまた、ジェルジュ側から見ているために、ジェルジュの特異な〈感覚〉についての説明も特にない。物心ついた時から〈感覚〉を持っていたジェルジュは顧問官に指摘されるまでそれがさほど特殊なものだとはさほど思っていなかったし、顧問官にその〈感覚〉の制御の仕方を仕込まれる過程に置いてもさほど違和感を持たない。そのため、読者も同様にさほどの違和感をもたずに、〈感覚〉についてすんなりと読み進めていってしまう。自分も〈感覚〉持っているんじゃない、と思ってしまうほどだ。ほどか。
 実際、読んでいてその〈感覚〉についての説明がないために、逆に〈感覚〉をすんなりと受け入れられてしまう、というのはあったのではないかと思う。思うし、そこが私が佐藤亜紀はあざといと思うところだし、やられたと思い読み進めながらも顔がにやけてしまうところだ。

 しかもこの作品は、そういう技巧的な部分だけで楽しむのではなく、物語も良い。もう何処から読んでも何処を読んでも見せ場見せ場の連続なのだ。ジェルジュはまぎれもなく格好良いし、次から次へと出てくる登場人物たちもやはり魅力的な者ばかりだ。コンラートから始まって、ケーラーもダーフィットも男爵も格好良い。っていうか、やっぱコンラートが一番かっこいい。見せ場だとどのへんが良いかっていうと――。と引用しようと思ったのだけれども、やはり小説って前後の文脈があってこそ活きる見せ場だと思うし、やめておこうかなと思ったものの、せっかく打っちゃったからやっぱ引用しとくことにする。我ながらベタベタだとは思うが、一番好きだったのはこの辺。

 自分がこの古びた残酷な世界に抱いている愛着にはじめて気が付いた。野蛮な、敵意に満ちた、立っているだけで傷だらけにされてしまいかねない世界が、崩壊を前に、恐ろしいほどの美しさを顕にしたような気がした。コンラートのことを考えた。僕たちは負けたんだ、と思った。この世界が滅びて新しい世界が生れるまで、たぶん、手酷く負け続けるのだ。
 無力感も恐怖も感じなかった。灰色の群れの咆哮を傍らに聞きながら、ジェルジュは内側の深い場所を音もなく流れる昂揚に気が付いた。何度でも負かせばいい、と思った。幾ら打ちのめされても、少なくとも自分は、昂然と頭を上げて次の世界に入って行くだろう。
(『天使』佐藤亜紀(文藝春秋) P.92)


 後、第W章の書き出しも好きなのだけれども、その辺は挙げ始めると切りがない。とりあえず読め、としか言いようがない。

 気怠く爛熟な雰囲気を書かせたらサイコーだし、その頽廃した世界に生きる知的で繊細で皮肉的で情熱的な男たちもサイコーだ。もうただひたすら佐藤亜紀サイコー、の一言。傑作。
(2002年11月24日更新)
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