柴田元幸

『アメリカ文学のレッスン』柴田元幸(講談社現代新書)

 柴田元幸の文章は読みやすいよなあと思いながらいつものようにだらだらと読んでいたら、唐突にこんな文章に出逢っちゃうわけである。

 > アメリカ文学において、父親を探すのは得策ではない。


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 うひゃあなんじゃこれはやべえやべえ油断できねえよ柴田元幸、と気を引き締めてまた読み始めるわけだが、ふむふむと頷きながら読んでいる間にやっぱいつものようにだらだらとなってしまうとこれまたこんな文章に出逢っちゃうわけである

 > いままで自分がそうしてきたように、「面白い」「面白くない」を
 > 唯一の基準に小説を読むことが悪いとは全然思っていない
 > (というか、それ以外で小説に対して失礼にならない読み方なんて思いつかない)


 一体この考え方が普遍的であるかどうかはわからないけれど、私にとってこれは当然のことであるにも関わらず、それをこのように言ってみせて、断言してみせるっていうのは私にとってはとてもインパクトがあることで、ううむやっぱ柴田元幸は油断できねえなあと思わさせられるのだ。
 
 そもそも何がおかしいって、「破滅」や「愛の伝達」などのいくつかのテーマを挙げて、テーマごとに様々なアメリカ文学を引用しながらアメリカ文学――ひいてはアメリカ文化について語っているのだけれども、唐突に岩井克人『二十一世紀の資本主義論』なんかが出てきてしまったりするにもかかわらずふむふむなるほどなあと読んでしまい、読み終えてからしかし何故に岩井克人とか思ってしまったりするところが何かおかしい。

 なんてことを西山たちさんにメールで送ってみたら「景色のきれいな山道を歩いていたら、気がつくと雲の上の山頂に着いていました、みたいな読後感」と言われ、ああそうそうそんな感じと頷いてしまった。

 柴田センセイの名講義を受けている内に、何冊ものアメリカ文学を読めた気になれてしまうのにもかかわらず、お値段が660円と何ともお得な一冊。アメリカ文学知らないヒトにも知ってるヒトにもオススメな一冊。

(2003年10日22日更新)

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