高木徹

『戦争広告代理店』高木徹(講談社)

 書店でパッと目に付いたタイトル『戦争広告代理店』――私に限って言えば本書はタイトル勝ちした作品だった。そのタイトルのインパクトに思わず手にとってしまい、そしてタイトル負けしていないその内容を一気に読んでしまった。

 本書を読んで、うーむ世界ってのは怖いもんだなとつくづく思わされたのだった。最近の戦争は情報が重要だ――いや昔からそうだろうけど――とは聞くものの、それはスパイ活動で相手の軍事力の規模だとか位置だとかの把握やらそういうのだと思っていたら、いつのまにやら世の中はこんなことになっていたのか。

 ボスニア紛争という名の民族紛争において誰が悪かったのか誰が正義だったのかってのはあまりといえばあまりな知識不足で私には判断できないけれども、まあでも最初の一撃を加えたヒトはいつかどこかにはいただろうものの、ほぼ同規模の勢力がお互いにやったらやり返すを果てしなく続けていたら、もはやお互いにやっていることにはあんま変わんないだろうと思うし、どちらにも悪い点はあるというのは言っても良いのではないだろうか、と平和ぼけしている日本人の一人としては思ってしまうわけなのだ。子どもの目の前で母親がレイプされたり、空爆によって子どもが死んでしまったりするような悲劇を目の当たりにしているボスニア地域のヒトビトが聞いたら怒られる――もはやそれは怒りというものを通り越してしまうだろうが――とは思うけれども、安全な日本に住むヒトとしてはそう思ってしまう。

 けれど、実際のところボスニア紛争においてはミロシェビッチ大統領が戦犯としてハーグにいるわけで、ああミロシェビッチとやらは余程悪いことをしたんだなあ、そういえば「民族浄化」だなんてすごい言葉も聞いたことだしそんなヤツは捕まって当然だろうに、それでも選挙したら議席を取っちゃいそうだという話を聞くわけで一国の統治者だった者はやっぱそれなりに人望があるんだろうがそんなことでええんかいのうと思ったりするヒトは本書を読んでみるとけっこう驚かれるんじゃないかと思う。っていうか、そう思っていたような私は驚かされたわけなんだけど。

 当時、ボスニア紛争はミロシェビッチ大統領をトップとするセルビア側が独立を宣言したばかりのボスニア・ヘルツェゴビナを押していて、このままではいかんと思ったボスニア・ヘルツェゴビナの外務大臣シライジッチは、国際社会に助けてもらおうとしたのだそうだ。しかし、ボスニア紛争が起こっているあたりは昔から民族紛争が耐えない地域でありどちらが悪いというのも第三者から判断するのは難しく、介入した際の戦略的な価値もないため、先進国たちは介入したがらなかったらしい。国連本部を駆け回り、アメリカの政治家たちに会いボスニアの悲劇を訴えるシライジッチの話は、当初まったく聞き入れてもらえなかった。しかしそんなある日、シライジッチはアメリカの国務長官に「西側の主要なメディアを味方につけることが重要だ」というアドバイスをもらう。そしてシライジッチが頼ったのは、アメリカの大手PR会社ルーダー・フィン社だった――。

 セルビア側の行為に「民族浄化」というキャッチコピーをつけ、「強制収容所」と見られる写真を入手し効果的にアピールすると共に、シライジッチという名優を使いアメリカ国民たちにボスニアの悲劇を語りかける。ルーダー・フィン社の巧みなPR戦略によって形成される国際世論はついに、ミロシェビッチ大統領のイメージを「悪玉」に仕立て上げていく。

 戦争というものでさえ素材を揃えてPR戦略が行なわれている現在を、起承転結わかりやすく興味深く書き立てていく作者には惜しみない拍手を送りたい。PR戦略において未熟、というよりもPR戦略に関してまったく無知な日本社会に生きる企業人たちは早急に、PR戦略の手法を学び盗み取っていかなければ、日本の企業はイチコロでやられてしまうだろうっていうか、多分今この時もやられてしまっているんだろう。そんな日本のヒトビトにPR戦略の重要性を訴える良作。オススメ。

(2003年12日24日更新)

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