都築響一

『TOKYO STYLE』都築響一(ちくま文庫)

 一人暮らしバンザイ。

 好きな時に寝て好きな時に起きて、大学の講義には週に2,3コマだけ出て、麻雀打って酒飲んで、後は読書やら散歩やらで日がな一日ぼーっと過ごす――と言うのが、私にとっての一人暮らしの大学生のイメージである。まあ、家事やらバイトやらで実際のところはそううまくいかないのはわかっていても、是非とも一度はそういう生活をしてみたい。ああ一年間のモラトリアムが欲しいなあ。……と思っていたら別の形で一年間のモラトリアムが手に入ってしまったわけだけれど。違う違う。そうじゃない。私はこんなモラトリアムは欲しくなかったんだー。

 ――と、そういう私の一人暮らし願望を知ってか知らずか、西山たちさんが借してくれたのが本写真集『TOKYO STYLE』だ。東京という狭くてごちゃごちゃした都市の片隅に見つけられる狭くて雑然としててごちゃごちゃした部屋たちを収めた写真集。それにしてもまあ、何故に都築響一というヒトは豪華なインテリアでもなくゴージャスな豪邸でもなく、こんなけったいな写真を撮っていったのか。その疑問に対しては作者である都築響一がどうしてこの写真集を作ったのかがよくわかる部分を序文から引用してみる。

 > 豪華な写真集や分厚い雑誌に出てくるインテリアに、いったい
 > 僕らのうちの何人が暮らしているのだろう――(中略)――。
 > 狭いと哀れむのもいい、乱雑だと晒うのもいい。だけどこれが
 > 現実だ。そしてこの現実は僕らにとって、はたから思うほど不快
 > なものではない。コタツの上にみかんとリモコンがあって、座
 > 布団の横には本が積んであって、ティッシュを放り投げて届く
 > 距離に屑カゴがあって…そんな「コックピット」感覚の居心地
 > 良さを、僕らは愛している。


 ――そうなのだそうなのだ。座ったら手の届く範囲に読みたい本が置いてあって、PCがあって手を伸ばせばお菓子が食べれて食べ終わったらそのまま屑カゴに放れて、眠くなったらすぐ後ろの布団に倒れこんで枕もとにあるCDから好きな一枚を選んで聞きながら枕もとに積んである本読んで寝るのだ。おお、そういえばふと考えてみれば私も「TOKYO STYLE」を営む一人じゃないか。

 ――でも、東京に住むヒトたちの写真を見ていくと、私と東京に住むヒトたちとの違いに気付かされる。結局のところ、私が住むこの部屋は子ども部屋に過ぎないのだ。ふと横を見ると服は畳んで置いてあるし、ご飯よーと呼ばれたらどたどたどたと台所に行けばよいだけだし、部屋の中に靴だの傘だの自転車だのが置いてあったりはしないし……。何ていうか、私の部屋は寝起きもする「趣味」のスペースではあるのだけれど、「生活」するスペースではないと言うか。この埼玉にある6畳の部屋と東京の部屋とは「生活」の臭いがするかどうか。そこが決定的に違う。

 この写真集から溢れてくる「生活臭」はかなり強い。もうどのページを開いてもどのページを開いてみても、におい立ってくるような生活臭。東京という街の片隅に生きるヒトビトの臭いだ。ここまで強烈な臭いを見せられてしまうと辟易してしまうヒトもいるかもしれない、というくらいに強い。そしてそれは多分、この東京に住むヒトビトの強さだ。

 東京という無機的な冷たい街に住むヒトたちにとって、狭かろうがごちゃごちゃしてようが、その、狭い六畳一間が自分の帰る場所なのだ。何もかもが溢れているかわりに、自分がぼんやりと立っているスペースさえない東京という街の中に、その狭くてとっちらかっている部屋が、帰る場所が確実にある。何となく、そのような、その部屋の住人たちの潜在的な気持ち、安堵感までもが伝わってくるような気が――するのはまあ気のせいかもしれないけど。

 まあ、そういう帰る場所がどうこうってのは兎も角、この写真集に収められている部屋は、「生活」するスペースであり「趣味」のスペースでもある、その点に魅力があるのだと思う。それは、私が今住んでいるこの家のようにご飯を食べる「台所」とテレビを見る「居間」と、PCで遊ぶ自分の「子ども部屋」、というようには区分されていない。そこはご飯を食べながらアイロンもかける片手間でゲームもできるしパソコンもいじれる。下手すると玄関との境界さえない部屋まで見かけられる。その、「生活」と「趣味」との融合というか、何か生活してたら混じっちゃったよあはは、くらいの混ざり具合がとてつもなく羨ましい。

 そんなごちゃごちゃとした猥雑な街の、とっちらかっているけれど自分の手に届く範囲に欲しいものがあるような雑然とした部屋に住みたい。そんな一人暮らしがしてみたい。本写真集を読んで一人暮らし願望が再燃してしまった。本書を貸してくだすった西山たちさんには感謝と共に、この再燃してしまったウズウズ感をどうしてくれるのだ、と述べたい。どうしてくれるのだ。

 最後にもう一度作者の言葉を借りることにしよう。

 > 仕事をやめたくてウズウズしている人、
 > 引っ越したくてウズウズしている人、
 > どこか遠くへいってしまいたくてウズウズしている人。
 > すべてのウズウズしている人たちに、
 > この本を捧げる。


(2003年4月30日更新)





 ――とまあ、適当に茶を濁して終わらせたところで、蛇足なぞというものを付けてみる。と言うのも、今回の西山たちさんのご要望とはちょっとズレてしまうところで、思いついたことがあったからだ。以下、蛇足である。


 ――昔から写真というものに興味を持ちつつもなかなか機会がなく、いわゆる写真集というものも一冊しか持っていない。それは、数年前サークルの先輩であるアクトさんが丁度買ってきた時に見せてもらい、その、何とも奇妙な魅力に惹かれて数日後に買ってしまった一冊の写真集だ。その、私が唯一持っている写真集が中野正貴の『TOKYO NOBODY』(Little More)である。

 『TOKYO NOBODY』は11年間にわたる歳月を掛けて、東京の街並みを撮っていった写真集である。しかし、その写真に収められた、普段見慣れているはずの新宿駅の南口も、都電荒川線の駅も、渋谷も銀座も日本橋も、何処も彼処もあるべきはずの――いや、いるべきはずの――ヒトがいない。不夜城である歌舞伎町にもヒトは見当たらない。ヒトどころか、早朝の新宿なのに鴉の姿さえも見当たらない。あたかも無機物の集合体が有機物の存在を拒否しているかのように、あたかも時間が止められて時間軸から切り取られたかのように、その奇怪な東京の街並みは、ひどく不気味で見ているこちらを不安にさせる。

 一方で、本写真集『TOKYO STYLE』も、狭い東京の狭い部屋部屋が切り取られているだけで、その「スタイル」の中にはヒトは写っていない。だから、実際に切り取られたものは『TOKYO NOBODY』も『TOKYO STYLE』もさほど変わらないはずなのだ。普段、普通の写真集などでは見ることができない、けれども、実際にはそこにあり得る、ヒトを通さずに見た東京の姿、という点では同じなのだ。しかし、決定的に何かが違う。

 中野正貴というヒトは多分、東京という街をヒトというものを通さずに、ヒトがいない東京という街を撮っているのではないか、と思う。中野は「まったくヒトがいなくなってしまった東京という街」「建造物の集合体である街」を撮ったのではないか、と思う。一つの有機物であるヒトの一員としては、中野が写真として切り取った、生物の影さえも見えない無機物の集合体に対して、ある種の寂寞感というか、寂寥感と言うか、淋しさと言うか――戸惑いが一番近いだろうか。その切り取った図を見て一瞬戸惑い、そのあるべきものがないところに対して、寂しさを覚えた。
 一方で、都築響一が撮ったものはこの狭い東京に住むヒトビトの生活だったんじゃないかな、と思うのだ。実際に被写体となっているのはヒトが住む部屋だけなのだけれども、そこは良く言えば生活感溢れる、ぶっちゃければ生活臭がぷんぷんと臭い立つような、ふと気付けばそこに住むヒトビトの姿まで見えてきそうなほど生活臭溢れる趣味の場所、なのだと思う。都築が撮りたいのは、部屋を通して、東京スタイルの中で生きるヒトビト、だったのではないだろうか。

 『TOKYO STYLE』は、冷たい東京という街においてその片隅に生きるヒトビトの姿を――ヒトビトの姿自体はとらずに――切り取って見せてくれる。無個性、没個性、と言われてしまう現代日本においても、その片隅に生きているヒトビトは「自分」の部屋の中で、生活している。道で転んでも誰も助けてくれなくても、疲れきった帰り道に酔っ払いにどつかれても、この東京のどこかの片隅には、そのヒトだけの場所がある。その場所に帰ってきて、また一日明日も頑張ろうと思って眠りに就くことができる場所がある。

 『TOKYO NOBODY』ではラスト、東京の街に雪が降る。降り積もってゆき、最後は雪で覆われ何もかもが真っ白になったその最後には、二羽の白鳥が写っている。そうだ、この冷たい無機的な街の中でも、鳥たちは強く生きている――何とも言えない安心感と共に本を閉じる。それまでの、普段見慣れている街並なのに、ヒトがまったくいないことに強い違和感と共に戸惑いを覚えていたヒトたちは、そのラストでその不安が取り払われるだろう。ああ、生命とはこんなにも――強い。

 現代東京の風景を切り取った2冊の写真集。私には、無機的な東京という街に住む/棲むことに対する、生き物たちの強さ、が2冊を通して見えてきた――気がする。ぜひとも皆さんにも見比べて欲しい。一体あなたなら何が見えるだろう――?




 ――とまあ、こういう風に終わらせるのはあんまり好きじゃないので、最後に『TOKYO STYLE』の帯から引用させて終わらせてもらう。是非とも本屋で一度手に取ってもらいたい。


 > 坐して半畳、寝て一畳
 > 僕らの快適なくらし!


 僕らの快適なくらし!!

(2003年4月30日更新)

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