Don Winslow
| 『ストリート・キッズ』ドン・ウィンズロウ/東江一紀・訳(創元推理文庫) |
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本書はニール・ケアリーが活躍する第一作である。本国の方では第五作まで出版されており、完結しているとのこと。早く続くが読みたいものである。 ここで終わらせるとさすがに折角こんなところを読んでいる皆さまに怒られそうな気もするので、がんばって話を伸ばしてみることにする。以下、蛇足。 本書『ストリート・キッズ』に始まる「ニール・ケアリー」シリーズは成長小説である。ピカレスクである。ロマンである。ニールとグレアムの父子関係を見るシリーズである。という事は解説や様々な書評などで言われている事なので、ここではひとまず置いておきたい。置いておきたいが、さすがにこれは置いておけないので後で少しだけ言及する。 じっくりと読むタイプの本ではないだろう。日本ではそういうものはないが、アメリカで言うところのペーパーバックのような本なのではないだろうか。通勤・通学途中で読んでしまうような。そして、そのようにザッと読むに耐える本にはある程度のスリルもしくはサスペンスと、ある程度の魅力的な登場人物が必要となる。また、読者をひきつけるある程度の筆力とかも必要となる。そして、本書はその水準をどれも越えている。減らず口を叩く主人公ニールはとても魅力的であるし、それを飾る周囲の人々も負けず劣らず魅力的である。しかし、この話をそのまま持っていくとキャラクタ論になりそうであり、グレアムは良いねえ、とかになりそうなのでこの辺でやめておく。あ、いやでもグレアムは良いです。親ばかっぷりも去ることながら格好良いス。好きです、こういうおじさん。 さて、少し話を変える。 初読時に冗長さを感じたのだが、再読時にはそれはなかった。が、再読すると、グレアムが中々恥ずかしいことに気付いた。こちらが頬を赤らめてしまう。あまりにも親バカすぎる。いや、それは別に良い。はて、しかし。初読時の私はどこを冗長と感じたか。 本書は、副大統領候補の娘が行方不明となり、ニールがそれを追い駆けてイギリスまで捜しに行くという一つの筋と、ニールがどういう過程を経て"朋友会"に入りそして探偵術を身に付けたかというもう一方の筋、この二本のストーリーが交互に語られる形を取っている。この構成は面白い。特に、探偵がどのように探偵術を身に付けていったか、というストーリーは今まで読んだことがないので新鮮だった。が、しかし。この、探偵術を身に付けていく部分が少々多すぎたのではないだろうか。確かにアリーを捜しに行く過程に対する比率としてはどうしてもこの多さが必要となるのはわかるのだが、やはり何とはなしに長い。ということは、アリーを捜すストーリーの方も長いのか。実際、ニューヨークから捜し始めロンドンに行き当たるまでの捜査にかかる時間や、潜入捜査で相手との知己を得、信頼を得る長さというものを細かく書こうとしたら、もっと長くなってしまう、というか小説にしたら物凄い厚さになってしまうことは確かであろうし、なおかつ、作者はそれに関して削れるだけ削り、にも関わらず、大切な部分は削らず、随所にスリルを盛り込ませていることは確かである。が、それにしても、長かった。と初読時の私は思ったようだ。 また、シリーズを通して読むと、グレアムとニールの関係を説明するためにその筋を多くする必要があることに気付く。この部分を短くしてしまうと、この後のシリーズを読み続けるに当たって、実際の父子ではないにも関わらず、何故グレアムとニールはこれほど仲が良いのか、が後々疑問になってしまうためのその伏線のために、この多さにした、と取れないこともない。 結局のところ、ほどよい長さだった、と。 再び、話を変える。 どこを魅せるかという作者の狙いがどこにあるのか、は私には汲み取れきれていないかもしれないが、「ニールの成長小説、そして壮大なピカレスク」と作者が言っているらしいので、そうなのであろう。そう、この作品はニールが成長していいくシリーズである。きっと。第二作『仏陀の鏡への道』、第三作『高く孤独な道を行け』と続くにつれ、ニールは確かに成長している。変わりすぎているとも言えるし、年数の割にあまり変わっていない、ともいえる。グレアムの親馬鹿加減は変わった、と確信を持って言えるが。レヴァインも変わった。そういえば、レヴァインって強いんですよ、うん。格好良いですよ、レヴァイン。いや、それは別の話か。おいておいて。 その、ニールの成長小説の部分を魅せたいのであれば、確かに経過のニールが成長していく過程を長くし、華を持たせるのは頷けるのだが、それにしても、結末をあまりにあっさりと終わらせてしまっている気がする。どうしても、もう終わってしまうのかという点は文句を言いたくなる。ここまで盛り上げておいてと思わせつつ、ラストは意外とさっぱりしていた。そこでページ数を稼いでしまっては作品として失敗するだろう、とは思うが、結末がやや唐突過ぎて困惑したことは確かだ。これに関しては二作目三作目に関しても同じことが言える。 まったく話を変える。 一人称が「僕」であるハードボイルドと言えば、国内作品では大沢在昌の「佐久間公」シリーズが挙がられる。こちらもまた減らず口を叩く20代という若い主人公、そして第一作、第二作、第三作と主人公が徐々に成長していく点でも「ニール・ケアリー」シリーズとの共通点が見られる。少しだけ文章が古く硬く青臭く、書かれた当時の社会が描写されているため(当たり前だ)、少々古い印象を受けるかもしれないが、未読の方は一度読まれてみては、と思う。 少し話をずらす。 大沢在昌作品でもう一シリーズ挙げさせて頂けるならば、大沢在昌の軽ハードボイルドの代表作である「アルバイト探偵」シリーズが「ニール・ケアリー」シリーズとの共通点が多い。まず、主人公が若いという共通点。これに関しては、ニールより若く、こちらの主人公である「リュウ」は高校生である。また、父親で冴木インヴェスティゲイションを開いている「リョースケ」と、主人公リュウとの親子関係はグレアムとニールに近いものがある。例えば大沢はあとがきでこのように述べている。「マジメはつまらない。かといって、あまり逆らってばかりいて、世の中にスネているような不良ではコンビにならない。適度な不良。これがいい。そして、どこか醒めていて、めったなことでは驚いたり、焦ったりしない。それでいて、心の片隅に純粋さを失わないでいる奴。お互い、顔をあわせれば憎まれ口ばかり叩いているのに、イザとなると、この世で最も信頼できるパートナーに変身する。でも決してそれを口にだしてはいわない」 憎まれ口を叩く、という点もニールとリュウの共通点だ。そして、純粋さを失わないでいる奴、という点においても。 上記の大沢在昌のコメントからある程度察することができると思うが、「ニール・ケアリー」シリーズと大きく違う点は、「ニール・ケアリー」シリーズでは主人公がニールであり、ニールをメインに語られているところであるが、「アルバイト探偵」シリーズはリュウの一人称であるが、主人公はリュウとリョースケの親子コンビである、というところであろう。 ところで、このシリーズ、現在、短編集2作品と長編3作品が出ている。そして、その中でも長編の三作品で主人公リュウの成長が楽しめる。この長編三作品でのリュウの成長ぶりが「ニール・ケアリー」シリーズでのニールの成長ぶりに重なるものがある。 長編第一作『女王陛下のアルバイト探偵』ではリョースケ・リュウ親子は東南アジアの島国からやって来た王女ミオの護衛依頼を受ける。殺し屋相手にドンパチしたり、リュウと王女ミオと淡い恋愛があったり、とページをめくる手を止まらせない。この作品、ぶっちゃけた話が『ローマの休日』を下敷きにしているようである。長編第二作『不思議の国のアルバイト探偵』はこれはこれで『プリズナーNo.6』という作品を下敷きにしたらしい。「らしい」というのも、私は『プリズナーNo.6』を当時は知らなかったので。さて、その長編第二作『不思議の国のアルバイト探偵』は長編第三作『アルバイト探偵 拷問遊園地』にいくための軽いステップに見える。つまり、どちらかと言えば、第一作と同じノリで書かれている。が、少しだけ違う。『女王陛下のアルバイト探偵』よりも少しだけ危険な任務をこなし、主人公も少しだけ危険な目に遭い、少しだけ逞しくなり、少しだけ成長する。「ニール・ケアリー」シリーズも『仏陀の鏡への道』は『高く孤独な道を行け』で主人公が変わるための踏み台であると読めたのだが、この辺は意見が分かれるところであろうか。この軽い踏み台という点においては、どちらかと言えば「アルバイト探偵」の方がその点はわかりやすい。さて、その第二作目を踏み台にして書かれた長編第三作目『アルバイト探偵 拷問遊園地』ではリュウの成長ぶりが極めて顕著である。この作品内の事件をきっかけにリュウはとても逞しくなる。それと共にこの作品でリュウが成長してしまったため、リョースケとリュウの親子コンビというバランスが崩れてしまった。同様に、第三作目『高く孤独な道を行け』でニールは最後に○○を○○。これをきっかけにして、ニールが成長してしまうのは間違いないだろう。はたして、第四作目はどうなるか。非常に楽しみなところである。 少しだけ違う話。 91年時点で大沢在昌は新作に挑戦したい、と言いつつ「アルバイト探偵」シリーズは未だに出ていない。2001年に、とうとう大沢がE‐novelsで書き始める、と宣言したが。「アルバイト探偵」は確かに軽い小説であるので、今読むのは少しきついかもしれないが、もし機会があれば手にとって読んでみては如何だろうか。 最後に話を戻す。 今回の読書会に際し、改めてじっくり読み返してみたが、やはり「アルバイト探偵」シリーズは面白い。早く続きが読みたいものである。 参考文献 「ニール・ケアリー」シリーズ ドン・ウィンズロウ 『ストリート・キッズ』(創元推理文庫) 『仏陀の鏡への道』(創元推理文庫) 『高く孤独な道を行け』(創元推理文庫) 「佐久間公」シリーズ 大沢在昌 『感傷の街角』(角川文庫) 『漂白の街角』(角川文庫) 『追跡者の血統』(角川文庫) 『雪蛍』(講談社文庫) 『心では重すぎる』(徳間書店) 「アルバイト探偵」シリーズ 大沢在昌 『アルバイト探偵』(講談社文庫) 『調毒者を捜せ(アルバイト探偵)』(講談社文庫) 『女王陛下のアルバイト探偵』(講談社文庫) 『不思議の国のアルバイト探偵』(講談社文庫) 『アルバイト探偵 拷問遊園地』(講談社文庫)
(2002年8月1日更新)
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| 『ボビーZの気怠く優雅な人生』ドン・ウィンズロウ/東江一紀 訳(角川文庫) |
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何とも痛快なお話。 主人公ティムは、麻薬捜査官グルーザとの取引で、刑務所から出してもらう代わりに、伝説のサーファーにして麻薬の密輸商人【ボビーZ】として、メキシコの麻薬王ドン・ウェルテーロの元に赴く。しかし、そこには罠が……。次々とティムに降り懸かる災難。おまけに、傍らには、ティムを父と信じるキット。マフィアにも、麻薬捜査官にも、ボビーZの部下にも、暗黒街を敵に回した彼らは逃げおおせることができるのか。 ワクワクさせてくれつつも、心温まる冒険活劇でもある。 ティムがジェット・コースター的な展開で様々な危機を乗り越えていくのはもう、はらはらどきどきしっ放し。しっ放しなんだけど、何やらあまりにも展開がご都合主義的というか。元海兵隊だからって。あんなに何だか情けない主人公だったのに。 そんな情けない男ティムのビルドゥングス・ロマン。で、親子の愛情を描いた作品で。スリルとサスペンスがあって、不実な美女が出てきて。取り扱うのは、麻薬に人身売買にリンチで殺人で。類型的と言えば類型的だけれども、その類型的なガジェットを典型的に面白く描けてしまうのは、流石ドン・ウィンズロウ。そして、それを流れるように訳した、東江一紀の名訳にも脱帽。このコンビは何とも。巧い。 ボビーの息子であるキットとのにせものの親子関係、ボビーの女である○○とのにせものの男女関係が、徐々に本物になっていくのは見ごたえがあります。そりゃあだって、あんた。ウィンズロウだもの。 しかしまあ、『ボビーZの気怠く優雅な人生』とはうまく邦訳したものだよなあ。かっちょええ。
(2002年8月21日更新)
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| 『歓喜の島』ドン・ウィンズロウ/後藤由季子 訳(角川文庫) |
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薫り高き極上のサスペンス。 いやあ、久々に(元)スパイもののサスペンスを読んだ気がする。そして、その久々のサスペンスのが当たりだったときの喜びと言ったら。 元CIAの腕利き工作員ウォルター。民間の調査員に転身した彼は、若い上院議員とその美しい妻の警護の任に就く。将来の大統領候補の驚くべき秘密に触れるウォルター。やがて彼は、恋人でシャンソン歌手の恋人アンと共にFBIとCIAの間で渦巻く陰謀の真っ只中に捕われていることに気付く――。ジャズが響くスモーキーな街に、秘密を隠し持つ男女の悲哀が漂う。薫り高い極上のサスペンス。 まあ、ドン・ウィンズロウだから安心して読めたのも確かといえば確か。 主人公ウォルターが格好良いのだ。いやあ、こんな男になりたいね。女性にモテまくりですよ、もう。うはうはですよ、あんた。それでも、恋人のアン一筋なんですよ、ウォルターは。……いや、その辺が格好良いのではなくて、洒落っ気があって。要領が良くて。話し上手で。そして、モテる(もういいって)。 そして、周りの連中も格好良いのばかりだ。ザイフ刑事も、同僚のディーツも、小説家マグワイアも。どいつもこいつも一癖も二癖もあって格好良い。あ、それから、マロンも格好良いので、これから読まれる方はマロンが出てくるのを期待しながら読みましょう。活躍は一瞬だけだから見逃さないように。多分、読み終わった人に「マロンって誰?」って聞いても十中八、九覚えていないでしょうきっと。 どうしても、ドン・ウィンズロウと言えば、東江一紀というイメージが強いのだけれども、本書の後藤由季子も結構頑張っている感じ。実は、読んでいる最中は東江さんにしては硬いなあ、くらいに読んでいたのだけれども、その程度でさほど気にならなかった。ただ、ちょっと太字にする部分は違和感があったのだけれども。まあ、私があまり文字を粉飾するのが好きじゃないだけなんけど。 FBIやらCIAやらKGBやらすっぱやららっぱやらなんだかんだとスパイが活躍するのはやはり、あの陰謀渦巻く冷戦時代なわけで。やはりスパイの活躍を描くには、あの時代でなければいけない。何というか。最早、ある種のファンタジーになっているのではないか、と思ってしまった。 で、やはりある種の雰囲気だと思うわけです。何というか、霧がかっていて、ちょっと雨が降っている感じで、看板が多くて、わけのわかんない芸者ガールズみたいなのがどあっぷに……なっていたりするとまた別の作品になっちゃいますが、ジャズがかかっていて、シャンソン歌手とかが歌っていたりして、石畳だったりして街灯があったりして(冷戦というかホームズだな)、ウイスキーとか焼酎みたいな酒を飲みながら読んでみたい感じ。いや、私は酒強くないので、ミルク飲みながら読んだんだけど。そういう雰囲気に酔える人は是非是非是非。 本書は、解説によると、作者もかなり時代考証をしたみたいで、そういう雰囲気作りは本当にうまいわけです。ラストなんて。もう。あんた、そりゃあもう。たまりませんよ、だんな。 ちなみに上記の雰囲気、ってのは本当に私のイメージだけで書いているので、実際は多分全然違います。いや、だって本書を読んでいて、様々な文化人のパトロンである「伯爵夫人」という人が出てくるのだけれども、私の中では、伯爵夫人は車の窓から顔出しているけれど、運転席は御者が鞭叩いているからね。むちゃくちゃ過ぎます。というか、ちゃんと読め、自分。 閑話休題。 やはり、ウィンズロウは技巧派なのだと思うのです。軽妙洒脱な文章。小粋な文章。そして、今回の場合、それが雰囲気作りに一役も二役も買っているのだ。いえい。 しかも、サスペンスですんで、どきどきはらはらの連続なのだけれども、ラスト、クライマックスで襲い掛かる追手、二転三転の緊迫感、絶体絶命のピンチ、では心臓ばっくばく間違いなしです。どっきどき。 しかしまあ、何というか。ウィンズロウのを読むと、弾って避けて通るんだなあ、と思う。
(2002年8月10日更新)
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