Gene Wolfe


『ケルベロス第五の首』ジーン・ウルフ/柳下毅一郎・訳(国書刊行会)

 一読して感嘆する。

 ――さっぱりわからない。
 うわあなんだこれさっぱりわからねえよ。なんだこれ、なんなんだこれ。さっぱりわからないけどスゲエ作品であることだけはわかるってのがなんなんだこれ感は否が応にも増していく。なんなんだこれ。

 再読して再嘆する。

 ――やっぱりわからない。うわあなんだこれやっぱりわからねえよ。なんじゃこりゃ、なんなんじゃこれは。やっぱりさっぱりわからないけどモノスゲエ作品であることだけは確信できることがなんじゃこりゃ感を更に増していく。なんじゃこりゃあ。

 三読して詠嘆する。

 ――これはスゴイ。なにがなんだかさっぱりわからないしなんじゃこりゃあとは思うもののそれでも――はたまたそれだからこそ、か――これはスゴイ。これほどスゴイ作品にお目にかかるのはそうそうないんじゃないか。スゲエよ、こいつぁスゲエ。

 本書の物語の舞台となるのは、〈サント・クロア〉及び〈サント・アンヌ〉という双子惑星だ。その惑星に住んでいた原住民族〈アボ〉は、移住してきた人類によって絶滅させられた、と言われている。しかし、異説によれば彼らは模倣能力を持っており、やって来た人類を皆殺しにした後、その人類の姿を模倣し、しかも原住民族であった記憶を忘れてしまったという。つまり今住んでいるヒトビトはみんな、原住民族であった記憶を忘れた原住民族なのではないか――と言うのだ。
 上記の設定を背景とした同じ舞台における、独立した三つの中篇が本書『ケルベロス第五の首』を構成する。〈サント・クロア〉に住む「わたし」の回想録、地球からきた人類学者が採集した原住民族たちの民話・神話を再構成した物語、ある罪により捕われている囚人の手記と尋問記録――。

 三つの中篇は一つずつ読むとそれぞれ傑作なのだが、三つ併せるとたちまちケッサクになる。あいつはこいつで、こいつがあいつだとすると、あの出来事の主人公はこいつで――って、あれ? そうすると、こいつはあいつなんじゃないのか? でも、あいつはあいつなんじゃなかったっけか?――ああもう、いったい、こいつは誰で、あいつはいったい誰なんだ。殺したのはどいつで、殺されたのはどいつなんだ。この話の舞台はどこで、一体いつの話なんだ。
 いつ、どこで、誰が、どうやって、何をしたのか――がわからない。未読の方からすれば、その全てがわからない物語なんてものは物語ではないんじゃないかと思われるかもしれない。ああ、いや、物語の体裁は整っているのだ。整っているのだけれど――。

 作者がつくった迷路の中で、うーむここはいったいどこなんだろうと迷い、手探り状態のまま歩きまわり、歩き続け歩き続け歩き続けていると、ある瞬間にふと思いつく。もしかしてここはGOAL近くのあのあたりなんじゃなかろか。しかしそこに道はない。ならばこの壁を突き抜ければ出れるはず――迷路の中で彷徨う内に、読者は自身で新しく迷路を造りだしてしまい、さらに彷徨い続けるはめになる。そして、厄介なのはこの迷路には出口があるかのように思えてしまうところだ。いっそ出口がないことがわかっているならば諦めもつくのに。あるかどうかもわからない出口を求めてさまよい続ける。いやしかしこれだけ巧妙に造られた迷路ならば考えれば出口が見つけられるはず――。

 歩きまわって走りまわって、ああもうこの迷路がどうなっているんだか全然わからーんと呆然と立ち尽くした時、足元にある通路の模様がひどく精緻にできていることに気付き、手をついているその壁の絵柄がとてもキレイなことに気付く。詩情に満ちた文章に魅せられて再度読み返す――。

 その技巧に酔い痴れた後で一息ついたら、もう一度迷宮探索へ繰り出すことにしよう。そう心に決めて深呼吸をする。さて、次はいったいどこまで行けるのか。息が続く限り奥深くまで行ってみよう。でも。
 ――でも、もし。もしも、この迷路の深奥に辿り着いてしまったとしたら、そこにいるのは、一体誰なんだろう。ヒトか、〈アボ〉か、それとも――。

 いやはやまったくこれぞまさしく希代の傑作。 

 ――でも、さっぱりわからない。

(2004年8月16日更新)

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