山本弘

『神は沈黙せず』山本弘(角川書店)

 神は沈黙なんてしない。

 神って何だろうって考えたことはあるだろうか。ぼくにはある。でも考えきることはできなかった。知識が足りなかったからだ。圧倒的な知識不足。それは、ぼくに神を考えることを断念させた。そしてその知識不足は今なお続いている。知識への欲求。

 いったい神って何だろう。きっとそれは何億、何十億のヒトが考えて、考え抜いて、考えきった末、万人が納得する答えが出てこなかった、人類の人類による人類に対する問いなんじゃないかと思う。たとえば数学。数学で長らく解けなかった定理。たとえば物理。物理で長らく謎だった法則。そういうのは多分きっとこの世のどこかに昔からずっとあったものなのだ。そしてそれは誰かに「発見」される前から世界のいたるところにあったのだ。そして誰かが「発見」して、そして皆で長い間考えた末、誰かが謎を解明することになるのだ。謎の発見と解決。自然法則の場合、謎は創り出すものではなくて、発見するものだ。

 しかし、神は違う。神はヒトが創り出したものだ。もともとあったものじゃない。昔々のその昔、ぼくらの祖先たちが創り出してしまったものが神だ。さまざまな地域で生み出された、たくさんの神。そしてそれは人間たちを支配し、人間たちに支配され今なお世界を覆っている。しかしいったい神って何だろう。神を――その問いを、人類は自分たちで創りだし、長い間その謎に取り組んでいる。

 そう。ぼくはそう思っていた。神は人類が創り出したものだと。何となくそう思っていた。しかしいったい神とは何なんだろう。その答えには全然たどり着けない。

 いや、神は人類が創り出したものではない。創造主である神こそが、われわれ人類を、動物を、植物を、この地球を、この宇宙全てを創り出したのだ。そう説明するヒトビトもいる。世の中にはそう主張するヒトビトがいる。大勢いる。いったいその根拠は何なんだろう。ホントに神は太古の昔、始原の時からいるんだろうか。本当に? しかし、そう疑問に思うときにも圧倒的な知識不足がぼくの前に立ち塞がる。神が存在する根拠が論理的に提示できないヒトビトに対して、神が不在である根拠を、ぼくには提示できない。

 本書で山本弘は神を提示する。圧倒的な情報量に裏打ちされた論理的思考の末に、提示する。それはコンピュータの知識であったり、国際情勢の知識であったり、SFな知識であったり、そして、トンデモない量の超常現象の知識であったり。世界に雑多に散らばっているそれらの素材を山本弘は論理的に並び替える。それらの素材を有機的に繋ぎ、論理を創り出し、そして展開した論理のその先に、神は顕現する。神を創出する。いや、

 山本弘は神を発見する。

 こんなわかりやすい形で神はあったのだ。それはさまざまな現象で見られたのだ。われわれには見えていたはずなのだ。われわれが見えなかったフリをしていただけで。それを山本弘はわれわれの、われわれの目の前に突きつける。これが神だ。これこそがこの世界の神だ。これこそが、本書で提示されるこれこそが、

 山本弘による「神とはいったい何なのか」という問いの答えだ。

 本書における神は突拍子もないものではない。いや、突拍子もないものかもしれないが、その神は山本弘以前にも誰かが提示しているものだ。しかし、多分本書ほど圧倒的な情報量に裏打ちされて説明されたものは他にはないのではないか。そう思えるほどの情報量――知識量だった。山本弘にとって、神がいったい何なのか。それはよくわかる。なるほど、納得できる。しかし、

 自分にとっての、神ってのはいったい何なんだろうか。

 本書を読んで山本弘にとっての答えはよくわかった。しかし、ぼくにとってのその答えはいまだ見つからない。しかし、本書を読むことによって、神に一歩近づけたんじゃないだろうか。そう思う。そう思いたい。













 ――しかし、「ふにふにコンタクト」て。

(2003年11日24日更新)

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