銀のクルス(14)
「俺、昼メシ食ってビリヤードやってたら、知らないヤツが二人きて勝負しようって…、負けたほうが酒をおごるってことになって…」
「バカヤロ、負けるに決まってるだろ。自分の腕前ぐらい自覚しとけっ」
 ようやく、キューを構える恰好がさまになってきたばかりだ。アキラに勝つヤツはいても負けるヤツがいるとは思えない。
「俺、勝っちゃったんです」
「なにっ?」
「いまから思えばヤツらの策略だったんすけどね」
「あたりまえだっ」
「アイツらのツケがきく飲み屋へ行こうってことになって、俺…、なんかヤバイ感じしたから断ったんすけど…、そのクラブには花奴ちゃんも来るって、言われて…」
「なんだ? そのハナヤッコちゃんってのは」
 いやだなあとアキラのやつ、こんな状況にもかかわらず照れた。
「このあいだ料理屋にいた、舞妓さんですよ」
「ああ…、あの娘か。お前、山高親子の前で鼻の下伸ばしたりするから、いいエサにされたんだぞ」
 アキラはとたんにショボンとうつむいた。
「すみません。俺、強引に酒飲まされて、フラフラになったのを車に乗せられて、どこかグルグル走って、エレベーターで事務所みたいな所へ連れ込まれて…」
 アキラがその時のことを思い出したのか、ブルッと身体を震わせた。
「で、なにを聞かれた?」
「あの…、若頭が好きな女のこととか、仕事のこと…。なにか若頭の弱みを握りたいらしくて…。だけど俺、一番下っ端だから知らないって言ったんすけど…。最近俺が若頭のお供をしているの知っていて…、教会の神父さんのこととかも聞かれて…。何人もから脅されて、何回も殴られたり蹴られたりして、殺して山へ埋めるとか言われて…」
 十河の心臓がドキッと波打った。
「神父の…、なにを聞かれたんだ」
「若頭はたびたび教会へ行くのかとか。えらくきれいな神父だそうじゃないかって、ニヤニヤしながら…、アイツら」
 しまった、と十河はいまになってホゾを噛んだ。
 たびたび尾行されていたのを感じていながら、クリスチャンであることを理由に教会へ行くことをやめなかった。…というよりは、司祭に会いたい気持ちが勝っていた。
 先日の二人連れもたぶん山高が雇った人間だろう。
 いっそあの場で、二人を徹底的にやっつけてしまっておけばよかった。
 すぐに教会の警護を増やさなければ、と若いのが溜まっている一階へ内線をかけようよしたとき、デスクの上の電話が鳴った。
「もしもし、十河興行です」
 また何か芸能プロからの電話だと思ったが、違った。
『もしもし、あの、わたくしカトリック教会アリの家でお手伝いさせていただいている者ですが』
 この声は、先日も見かけた四十過ぎのシスターだろう。
「ああ。シスター、…なにか?」
 いやな予感に、十河の胸がざわつく。
『わたくし、中沢と申します。きのうは本当にありがとうございました。あの、司祭が先ほどお客様がお見えになりまして、その方達とお出かけになったのですが、少し気になることがございまして…』
 俺は胸苦しいほどの不安感に襲われた。
「シスター中沢、その男はどんな感じでしたか?」
『お一人はとても紳士でやさしそうな方でした。お供の方はちょっとお行儀の悪い感じでしたけど…』
「その男の特徴は憶えていますか」
『そうですね…、紳士はスラリとしたハンサムな方で、お供の人は痩せていて、そうそう、長い髪を後ろで束ねてました』
 ちくしょうっ! あの二人組の片割れだ。…ってことは、もう一人の紳士面は山本高一郎か?
『車の中にも恐い感じの人が乗っておいででした。なんでもお父様が重い病気で助からないとかで、司祭にぜひお祈りをお願いしたいとのことでしたけど…。なんとなく厭な予感がして…、わたくし心配です』
 山高の家はバリバリの真言宗だ。第一、先日料亭で息巻いていた山本高太郎が病気などであるはずがない。
「シスター、俺が責任もって必ず司祭を連れ戻しますから」
『十河さん、どうぞ、よろしくお願いいたします』
 もしも司祭になにかあったら、俺は…。 
 十河は電話を切ったあと、しばらく呼吸を整え頭をなんとか冷静に働かそうと努力した。
「わ、若頭、お、俺…、いますぐお詫びに指、ツメさせていただきますっ」
 アキラが傷だらけの顔を涙でグチャグチャにして、震えながら言った。
「バカヤロッ、お前の指なんぞ十本もらったってなんの役にも立ちゃあしねえよっ。片岡、俺は出かける」
「若頭、俺もご一緒します。若頭一人行かせて、もし万が一のことがあったら、俺は死んでも死にきれません」
 片岡が悲壮な顔で俺に迫ってきた。
「やめろっ、これは俺に売られたケンカだ。それに…、司祭の命がかかっている。お前はここに残って組の仕事をやってくれ。市村の親父はいま留守なんだ。お前がちゃんと守ってくれなきゃ困るだろ」
 市村は昨日から組長の名代として、他県で行われている同じ会系の集まりに出席していて、明日の夕方まで帰って来ない。
「じゃ、誰か腕の確かなヤツ、二、三人連れていってください。若頭、頼みますよ」
「駄目だっ。相手がどういう腹か分からないうちは、下手な動きはしない方がいい。それに、俺が司祭を巻き込んでしまったんだ。だから、俺がちゃんと責任を取る」
 とにかく早く支度して出かけなければ、司祭の身に何か起きてからでは、悔やんでも悔やみきれない。
 十河組は飛び道具をいっさい持たない主義だ。護身に役立つよりも、安易に殺人を犯すリスクの方がはるかに大きいから、と言うのが親父の持論だ。
 しかし、敵地に乗り込むのに、まるっきり丸腰っていうのも間抜けな話だ。
 十河はデスクの引出しから手のひらサイズのクロウナイフを取り出した。
 マットブラック仕上げのグリップと鋭いブレードが一体となったシャープなナイフだ。クロウ(爪)という名のように刃の部分はカーブを描き、中央に人差し指を通す穴が空いていて、しっかりと握り込めるようになっている。
 靴に起毛ウールのインソールを敷き、その下へ靴のカーブに合わすように忍ばせた。歩くのに少し違和感があるが、邪魔になるほどではない。
 スーツのポケットにコマンダーナイフと携帯を入れたあと、肌身離さずつけている銀の十字架を探った。
 このナイフを使わずにすむことを、神に祈ろう。
「片岡、電話のそばを離れるなよ」
 そう言っておいて十河は愛車、サーブ93エアロに飛び乗った。
 司祭…、どうか無事でいてくれ。
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