銀のクルス(16)
「バッキャロッ! 気をつけろっ」
 イキがった若者が怒鳴った。
「なんだと、狭い通路をゾロゾロ並んで歩いてんじゃねえ」
 こんなヤツらを相手にしている暇はなかったのだが、十河は焦りとイラつきで、つい怒鳴った。
 睨みつけると、若者は目を逸らせて、オイッ、早く行こうぜっ。と仲間を急かせた。
 日が暮れたばかりだというのにもう酒に酔っているのか、正体をなくして仲間に両脇から支えられているヤツもいる。 
 その酔い潰れているらしい若者が、小さくうめき声をあげた。コートのフードを深く被っているために顔は見えないが苦しそうだ。
「こ、こいつ、吐くかもしんねえよ。早く行こうぜっ」 
 相手の方も慌てだし、睨みあうようにしてすれ違う。
 ふと、目の端に映った白い手。
 十河には理屈ではない、何か引っかかるものを感じた。
 酔いつぶれている若者が、その身体を支えている男の肩に置かれた手。
 白い指先にさくら貝のような薄い爪。
 十河の心臓がドキッと跳ねた。
 細い腰を抱えられ、手首を掴まれているその左手を凝視した。
 薬指の爪の下に、小さな点が見えた。
 …司祭だッ
 カアッと全身が熱くなる。
「司…、…ンジ、シンジッ!」
 司祭という神聖な名を呼ぶことがためらわれて、思わず名前を呼んだ。
 俺の呼び声に、それまで俯けていた頭を持ち上げて、司祭が俺の方へ顔を向けた。
 緩慢な動き、いつもはひたすら澄んでいる黒い瞳がトロンとして、焦点を結んでいない。 畜生ッ! 司祭に何かクスリを飲ませたなっ。
「この野郎っ!」
 怒りで脳みそが焼けきれそうになりながら、司祭を捕まえているヤツに飛びかかっていった。
 襟首を掴んで一人を司祭から引き離しながら、素早いパンチを顔面に叩き込んだ。
 顔色を変えた仲間の一人が十河にナイフで切りかかってきた。素早く身体をひねってソイツの腕を掴みねじり上げる。
 顔面血だらけになったのと、腕を脱臼した仲間を見て怖じ気づいたのか、
「オイッ、ぐずぐずしていたら、また倉本さんに怒られるぞ」
 司祭の腕を掴もうと手を出した十河に、年長らしい一人が怒鳴りながらサバイバルナイフで切りかかってきた。
 十河がひるんだすきに、連中は司祭と怪我をした仲間を担ぐようにして、横の通路へ走り込んだ。
「畜生、待てっ」
 司祭っ!
 追いかける十河にサバイバルナイフを突きつけていたヤツが、横に置いてあった観葉植物の大きな鉢を投げつけた。 
 なんて馬鹿力だっ。
 とっさに避けた足元で鉢が割れ、素焼きの破片と土が辺りにぶちまけられる。細い葉っぱを四方に広げた大きな木が、十河の前をドサッと塞いだ。
 野郎っ、このまま司祭を見失ってたまるかっ。
 十河目の前に横たわる木を跨ぎ、大急ぎでヤツらを追いかけた。
「クソッ」
 はや通路には司祭の姿もヤツらの姿もない。
 いったいどこへ行ったんだ
 ヤツらが逃げ込んだらしい通路は、行き止まりになっていて、ドアも何もない。ダストボックスと観葉植物を置いてあるだけの袋小路になっている。
 周りを一応探してみたが、他には逃げ込みそうな場所も見当たらない。
「やっぱり、この通路だよな」
 独り呟きながら、もう一度通路を調べてみる。 
 テナントも入っているフロアだ。一平方メートルのスペースでも無駄に遊ばせるはずがないし、無用の通路など作るわけがない。
 マーブル模様の防炎クロスが貼ってある通路の壁を見て回った。
あれはなんだ?
 背の高い観葉植物の張り出した葉で見えなかったが、高い位置にプラスティックの長方形の箱が見える。
 ライトは消えているが、馴染み深い緑色に白で『EXIT』と書かれたそれだ。
 その下の壁を探ってみる。
 ドアらしい物がある。幅の広い防災扉だ。
 扉にも壁と同じクロスを貼ってあるので、ちょっと見ただけでは分からないようになっている。
 はめ込みの金属取っ手を回すと、簡単にスライドした。 
 非常階段だろう。薄暗い空間の中を上下に延びている。
 人の多い下へ向かったとは考えにくい、ともかく上へ行ってみることにした。
 各階段の左側にはフロアに通じるドアがあり、鍵が掛かっている。右側のコンクリート壁からは時折ウイーンというモーター音が聞こえてくる。
 きっと地下から屋上までの、従業員や業者専用のエレベーターがこの向こうにあるのだろう。
 アキラが連れ込まれたという事務所は、はたしてどこにあるのか、そして、そこに司祭がいるかどうかだ。
 八階、九階十階と階段は何の変化もない。
 最上階の十二階に上がったとたん、いきなり階段は途切れ、広く殺風景な廊下に出た。
 ホテル内には違いないが、客室などは見当たらない。
「いったいここはどこだ」
 十河は一人呟きながら廊下をゆっくりと進む。
 十五メートルほど先の廊下の突き当たりは、大きな二枚扉になっている。
 扉には内鍵が掛かっていて、向こうからは開けられないが、こちらから金属のつまみを横にすると開く。
 扉の向こう側は取り澄ましたルナホテルの客室のドアが並んでいた。
 この扉は自販機コーナーとエレベーターホールから一段と奥まった所にあるために、
何か災害でも起きて従業員に誘導でもされない限り、たぶん一般客には知られることのない場所だろう。
 廊下側に戻り、改めて周囲を見渡した。
 白っぽい蛍光灯が薄汚れた天井に等間隔に付いていて、明るくもなく暗くもない程度に辺りを照らしている。
 すぐ左の壁ぎわにエレベーターの扉があり、廊下の右側にはいくつかのドアが並んでいた。
 一番手前のドアに『スターダスト・クリーン企画』と書いたプレートが貼られている。
それを見た十河の表情が厳しくなった。そのプレートに描かれた社章は星型のあのチンピラが付けていたバッジと同じ物だった。
 耳をドアに押しつけると、中でコトコトと音がして、どうやら人のいる気配がする。
 司祭はここに閉じ込められているのかもしれない。今すぐ飛び込んで司祭の無事な姿を確認したい。
 しかし、状況が分からないことには、焦って行動すれば取り返しのつかないことになる。
 はやる心を精一杯の忍耐力で押さえつけて、十河はそっと足音を忍ばせ、もう一つ隣りのドアへ近づいた。
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