銀のクルス(17)
 アルミサッシのドアに鍵が掛かっていたが、こんなありきたりのシリンダー錠など開けるのは簡単だ。
 スーツの内ポケットから金属の平たい箱を取り出して、ピックを一本とテンションを一本選んだ。
 鍵穴にテンションを差し入れて、手前のピンを引っかけて回し押し上げておいて、ピックをそっとその横に差し込んで、奥のピンを探る。
 一分とかからないで鍵は開いた。
 別に泥棒をするために練習したわけではなく、借金を返済せずに、たびたび居留守をつかう悪質なヤツを脅すための、これも手口の一つだ。
 そっとドアを細めに開けて中を覗いてみる。
 スチール棚に小物がぎっしりと並べられ、ワゴンやダンボールが雑然と置いてある。
 どうやらこの部屋はホテルの客室に常備されている、アメニティグッズなどのストック部屋らしい。
 トイレットペーパーの大きなダンボール箱が、いくつも無造作に積み上げてあり、部屋の隅には大型絨毯用クリーナーや、絨毯を乾かす馬鹿でかい扇風機などが置いてある。
 そっと部屋へ滑り込みドアを閉めると、一瞬真っ暗になった室内の一ヶ所が薄明るいのに気がつく。
 そちらへそっと移動すると、上部にすりガラスがはめ込まれた木のドアがある。どうやらこのドアで隣りの事務所と繋がっているらしい。
 そっとノブを回してみると開いた。何人かの話し声がする。
 このドアは事務所の一番奥にあるらしく、正面は給湯器やステンレスで出来た流し台などが見えるだけだ。
 洗っていないコーヒーカップがいくつか転がっている。
 この隙間からは見えないが、椅子のカタカタという音や人の話声から四、五人はいるようだ。
さっきの連中なら、自分一人で戦えないこともない、と。
「しっかし、この神父だか牧師だか知らねえけど、フード取って正面からよく見たら、すっげーきれいな顔してるんでビックリしたよなぁ」
 息が詰まりそうになる。…司祭はどういう状態なんだ…。
 十河はひどい焦燥感に襲われた。
「だけどよ、こんなに大人しそうでやさしい顔しているのに、倉本さん達の隙を突いて逃げ出すとは、この神父さんもなかなかやるじゃん」
 さっき下で会ったときは、逃亡を図って捕まえられ、連れ戻されていた途中だったのか。
 あの時に助けられなかったことが、ひどく悔やまれる。
「召集かけられて俺達が捕まえに行ったら、クスリ飲まされてフラフラなのに、意外と抵抗激しいんでビックリしたよな」
「だけどさ、暴れたぶん相当効いてるぜ。頬が上気して目がうるんでて息が荒いだろ。なんだか…男なのに、見ているだけで変な気持ちになってくるぜ…」
「なあ、こんな女みてーにきれいな顔した神父さんでも、あそこ、勃ってんのかな」
 なんだとッ! 十河は震える握りこぶしを壁に押しつけた。
「そりゃー、頭ン中は違うだろうけど、身体の造りは同じだからな…。どれ」
 ヤロウッ、汚い手で司祭に触るなッ! 
 怒りで目の前が赤くなる。
 飛び出して行こうとして、今度は失敗できないぞ、という気持ちが十河を一瞬引き留めた。
「オイッ、もう社長が来るぞ。神父に手を出したの見つかったら、タダじゃすまないぞっ」
 社長が誰か知らないが、俺の方が切れている。お前達全員ブッ殺してやるっ。
 ポケットからコマンドナイフを出して握りしめた時、ドアが荒々しく開けられる音がして、カツカツと床を踏みしめる靴音が響いた。
 室内がシンと緊張したのが分かる。
 俺は動きを止め、壁に背中を押しつけナイフで薄く扉を開けたまま、じっと息を潜めた。
「社長っ、ご苦労様ですっ」
「神父さんを汚い床に座らせておくとは何事だ。倉本、そこのソファにお連れしろ」
 この声は…、山高組の息子、山本高一郎っ。
「みんな、ご苦労。倉本、金を渡してやれ。それで酒でも飲んでくれ」
 日頃の取り澄ました話し方とは違い、えらくドスをきかせている。
「遠慮なくごちそうになりますっ。じゃ、みんな行こうぜ」
 失礼しまっす。口々に言ってにチンピラ達が出て行ったあと、急に事務所の中が静かになった。
 ふと目の前にある流し台を見た十河は、ドクンと心臓が躍った。
 ステンレスの側面に映っている白っぽい人物をじっと見て…、それが、ソファへ移動した司祭の姿だと分かったからだ。
 司祭…。ステンレスが所々汚れて曇っているために、表情まではよく分からないけれど、白い僧服をきた司祭が身じろぎもせずに座っている。
「神父さん。手荒なことをして申しわけありませんでした」
「…ここは…、どこなのですか…」
 司祭の声だ。いつものやわらかなアルトが、かすれて息音が荒い。
「ここはですね、ホテルの清掃や備品交換、メンテなどを専門にしている清掃会社なんですよ。うちのホテルの下請け会社でして、男子従業員は全員私の手足となって働く、いわば山高組のもうひとつの構成員なんです」
 大手総合建設会社の御曹司、ホテルやレストラン経営の敏腕やり手二代目、人当たり爽やかでいい男。表の顔はさまざまあるが、コイツのこれが裏の顔ってわけだ。
「どうして…、父親が、重篤であるなどと…、嘘を……」
「神父さん、騙したのは申し訳なかったと思いますよ。しかしですね、あなたと親しい男のことを、あなたの口からいろいろお聞きしたくて、このような真似をしたんです」
 司祭の前をブルーグレーのスーツを着た影が、ゆっくりと行ったり来たりしている。
 顔は映らないが、たぶん高一朗だろう。
「…どなたの、こと…、でしょう?」
「あなたの住んでいるアリの町を食い物にしているヤクザ、十河省吾のことです。私の部下が調査したところによると、あの男はどうやら教会で、あなたに時々懺悔をしているらしいと…、」
 十河は驚きに息を詰めて固まった。
 教会への尾行を感じてはいたが…、告解室へ入るところか出てくるところを何度も見られたのだろうか。
 司祭に会ったとたんに舞い上がってしまっていた自分の二重ミスだ。十河はほぞを噛んだ。
「十河…さん…は…」
 司祭が言いかけて苦しそうに口をつぐんだ。
「…十河さんは?」
 高一郎が意地悪く先をうながす。
「十河さんは…、アリの町や、教会や…、子供達のことを、お、思って…」
 息音が荒く司祭の声がかすれている。
「思って、何ですか? …信者の懺悔を他言してはいけない守秘義務があることは知っています。だからクスリを飲んでいただいたんですよ。仕事のことでも個人的なことでも、十河があなたに打ち明けたこと、何でもいいから教えて欲しい、と言ってるんです」
 高一郎の野郎は、高圧的な口調で司祭を責めている。
「答えたくないですか? 私が思っていた以上に、あなたはどうやら一筋縄ではいかなさそうだ。先ほどのクスリは、アンフェタミンやエフェドリンを主成分にカフェインなどを混ぜて作った錠剤です。相当強いクスリですのに、飛ばないとはさすがに神父さんだ。これからが楽しみですね」
 野郎っ。司祭にアーパーを飲ませたのかっ!
 俗にアーパーとかヤーマーと呼ばれる、錠剤型の覚醒剤だ。
「ちなみにこの上は屋上ですし、下の十一階はベッドメイキングや部屋の清掃をする人達、ルームメイドさんやキーパーさんの部屋、それとリネン室になっているんですがね、明日の八時までは誰もいません。私達だけですから…」
 高一朗が司祭の前に腰を下ろして、顔を覗き込むようにしているのが見える。
「本当にきれいな人だ…。あのゴミ溜めのようなアリの町に、とてもきれいな神父さんがいるらしい、と噂はお聞きしていたんですよ。でも、これほどとは…ね」
 クソッ、高一郎それ以上司祭に触れてみろっ。
「神父さん、念のためにもう一錠飲んでおきましょうか。心配はいりませんよ。カラフルな錠剤でしょう?」
「いや…です…」
「さあ、なんでしたら私が口移しで飲ませてさしあげましょう。ああ、いくら大きな声を出しても客室まで聞こえませんからね。遠慮無く声を出していただいても結構ですよ。クスリでも飲んで理性を飛ばしていただかなくては、あなたがつらいでしょうから」
 あの野郎ッ! 俺はたまらずに、ナイフを持ち直し飛び出そうと身構えた。
「わ、私はっ…」
 司祭が喘ぐように叫んだ。ビクッと俺の動きが止まる。
「あなたが、なんですか?」
「…わ、私は、十河さんをっ…。いえ、…なに、も、…聞いて…、ません」
 ………司祭っ…。
「ほう…、あれほど度々教会で会って、それも自分の手下を追っ払ってまで二人きりで会っているってのに、何も、話をしないのですか?」
 高一郎のヤツ、声の調子が変わってきた。
「どうやらあなた方は、二人で会うというのが目的のようだ。あなたも十河に好意を持っている、ということですか? それで、度々会っては神聖なる教会の中で、イケナイことをあれやこれやとしていたわけですね」
「そっ…、ちがう…!」
 司祭の悲痛な声が聞こえて、俺は思わず身体に力が入ってしまい、ドアがガタッと派手な音を立てた。
「誰だッ!」
 高一郎の鋭い声が飛ぶ。
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