銀のクルス(21)
「司祭、大丈夫、だ」
――十河は頭を振ってそっと目を開け、霞む視界に司祭の顔を捉えた。
すぐ目の前に美しい司祭の顔があった。
「十河さんっ。ああ…、主よ、心から感謝いたします」
胸の十字架を握り締め、涙で濡れているきれいな顔に間近から見つめられ、十河の胸がオクンと波打った。
しかし、少し離れた床の上で、胸にナイフが刺さったまま血を流して倒れている高一郎を見て、十河の意識は厳しい現実に引き戻された。
ああ、とうとう俺も殺人を犯してしまったのかと、十河は暗澹たる思いでピクリとも動かない高一郎を眺めた。
こんな稼業をしていれば、一度や二度はムショに入ることも覚悟しなければならない。
しかし…、司祭を知った今では、できればそういう事態は避けたかった。
いずれにしろ司祭をこの場から早く連れ出さなければ…、痛む頭を庇いながら立ち上がったところに、廊下の方から数人の足音が近づいて来るのが聞こえた。
山高組のやつらが帰って来たのかっ?
十河は倒れている高一郎の手から拳銃を奪うと、司祭を背中に庇い入り口に拳銃を向けて構えた。
ドアの前でピタッと足音が止まった。
「十河さん…」
司祭が十河の背中に震える手ですがりついた。
「大丈夫だ」
左手で司祭の細い手をぎゅっと握り、右手の引金にかけた人差し指に全神経を集めた。
カチッとノブが回され、スッとドアが引かれ…、まさに人差し指に力を入れようとしたその時、若っ、と呼ぶ片岡の声が聞こえてきた。
「…片岡、か?」
「やっぱ、若っ!」
ドアが大きく開いて片岡が凄みのある顔を覗かせた。組の若いのが後ろに二人ほど控えている。
「若っ、怪我されたんですかっ!」
血を流している十河を見て片岡が顔色を変えた。
「心配するな、かすり傷だ。それより高一郎を…」
言うより早く、倒れている高一郎に気がついた片岡が駆け寄り脈を取り呼吸を確認していたが、
「若、大丈夫です。死んじゃあいません」
「ほんとかっ」
大きな声を出すと頭にキーンと痛みがつき抜けた。
「はい」
ホッしてソファの上に座り込んだ。
「しかし、ナイフのブレードの部分全部突き刺さってますので、早く医者の所へ運んで手当してもらわなきゃ、出血が続いたらヤバくなりますよ。それに若の怪我も早く診て貰わなければ駄目ですよ」
片岡が若い者に後片づけおテキパキと指図しながら十河に言った。
「しかし若、携帯の電源切れたままになっているし、もうどうにも心配で、若いのを二人ほど連れて探してたんですが、こんな所に事務所があるなんて思いませんからね…。ここ、突きとめるのに時間かかっちまって、申しわけありませんでした」
目の前で膝をついた片岡が、角刈りの頭を下げた。
「いや…、こうなったのは、全部俺の責任だ」
「…なにを言ってんですか。それよりも、若頭の方も危なかったですよ」
片岡が怒ったように言う。
「心配ないさ。ちょっと、こめかみかすっただけだ」
あと数ミリ違えば大ケガだったかも知れないが。
「十河さん、片岡さんの言う通りですよ。こめかみには三叉神経が通っていますから、傷つければ失明や顔面麻痺の危険があります。ですから私は、心配で、心配で…。神にずっと祈っていました。でも、本当によかった…」
司祭が涙んだ。
「ああ…、すまなかった」
自分のことを心から思ってくれる人達がいるありがたさを十河は初めて実感した。
「若頭、司祭さん、長居は無用ですよ。山高の野郎も早く病院へ運ばなきゃいけませんし、ここはなんたって敵地ですから…」
片岡が事務所内を調べて、取り上げられていたナイフや携帯、財布、それに上着などを素早く袋に入れて、後に遺留品がないか確かめている。
組員達は床やソファーに付いている、十河と高一郎の血痕を拭っていた。
「片岡、高一郎を後藤先生の所へ頼む。俺は司祭を教会まで送って行くから」
司祭の安全を確保するまでは心が落ち着かない十河だった。
「なに言ってるんですかっ。若頭も早く傷の手当てしなきゃだめですよ。司祭さんはちゃんと若い者が責任もってお送りしますから」
片岡がとんでもない、とばかりに頭を振った。
「だめだ。組とは関係のない司祭を危険な目に遭わせてしまったんだ。俺が司祭を無事に教会まで送り届ける義務がある」
たいそうなことを言っているが、司祭と少しでも離れたくない。ましてや、若い組員などに送らせたくないというのが十河の本音だった。
「…分かりました。でも若頭、なるべく早く治療してくださいよ」
片岡はそう言うと、若者二人に高一郎を担がせ、一人が司祭の身体を支えてエレベーターで地下まで下りた。
深夜でもあり、業者はもちろん従業員とも出会わなかったのは幸いだった。
トラック用プラットホームのある検収口を出て、客用地下駐車場に駐めたままだった十河の車を、組員の斉藤に取ってこさせ、安全のためにそのまま教会まで運転していってもらうことにした。