銀のクルス(22)
十河の方は頭がズキズキするが他は何も心配はない。心配なのは、司祭の方だ。
いきなり拉致されて、いろいろなことがあって、精神的にも肉体的にもつらかっただろうと思うのに、司祭という立場上無理をして、クスリの抜け切っていない身体で毅然と振舞っている。
十河にしてみれば、それがかえって心配でつらい。
片岡達と別れて、斉藤が運転する車の中、後部座席で俺の隣に座った司祭はコートのフードを深くかぶり俯いたままだった。
修道士が着るようなタップリとした大きなコートは、司祭の細く華奢な身体をよけい強調して見せている。
夕方ショッピングセンターで、チンピラ達に抱えられていた司祭を思い出す。
あの時、この白くきれいな手に気づかなかったら…。十河はたまらずに膝の上で聖書を抱えている手をそっと握った。
司祭の身体が緊張するのが左手から伝わってくる。その細い指一本一本の緊張をほぐすように、親指の腹で撫でていった。
司祭の右手と十河の左手を重ねたまま、二人ともずっと無言だった。
車は駅前メインストリートに入り、馴染み深い町並みが見えてくる。深夜にもかかわらず色とりどりのネオンで賑やかなアリの町、なんとなくホッとする。
アリの町を過ぎたあたりの暗く静かな一画、その場所へと静かに車が滑り込んだ。
見上げれば、三角屋根と少し左に傾いた十字架が黒いシルエットとなってうす赤い夜空に浮かぶ。
斉藤が素早く下りて後部ドアを開けた。
「…司祭、着きましたよ」
斉藤の呼びかけに、はい、と返事をしたものの、身体を動かそうとしない司祭に、十河は急いで反対側から下りて、手を貸そうとしている斉藤を押し退けた。
「司祭…、大丈夫か?」
「…はい」
やはり返事は返ってくるのだが、少し身じろいだだけだった。
「司祭、腕を俺の首に回して、しっかりつかまって…」
背中と膝裏に手を入れてそっと司祭の身体を持ち上げた。
分厚いコートと僧服を着ているにもかかわらず、なんと軽いことだろう。
「斉藤、車を事務所まで乗って帰ってくれ」
司祭を抱いたまま、帰って行く車を見送り、ゆっくりと教会の玄関を入っていく。
十河の首に両手でしがみつき、胸に伏せるようにして目を閉じた司祭のきれいな顔が揺れる。
今夜は、聖水も十字も神への挨拶は抜きだ。
「司祭…、告解をお願いしたい…」
「…はい、私も…、告解させて、いただきます」
司祭を抱いたまま身廊へは進まずに、十河は告解室へと向かった。
真ん中の司祭が入る部屋のドアを開け、いつも司祭が座っている木の椅子に十河は慎重に腰を下ろした。
二人の重みを受け、椅子がギシリと鳴る。
小さな机と壁に挟まれた僅かな空間で、司祭の熱を感じ息音を聞き肌の匂いを感じた。
司祭の顔がよく見えるように、胸から司祭の身体を引き離して眺めた。
「神よ、俺は…、いま心より懺悔いたします」
司祭が少し潤んだ黒い瞳を上げ、真っ直ぐに十河を見つめる。
十河はつい目を逸らしそうになるのを、意志力を総動員して見つめかえした。
「俺は…、十河省吾は、司祭、雪村真心を心から愛しています。ヤクザの俺が…、司祭を愛するなど許されないことだと、神のお怒りに触れるなら、どんな罰でも受ける覚悟です。…ただし、その罰は、俺自身に与えてください」
この強い想いが、司祭を危険にさらしてしまった。もう、あんな思いは二度としたくはない。
だから…、司祭に自分の想いの丈を告白し、彼に裁いて欲しかった。そうしないと、十河の想いは絶ち切れそうになかったからだ。
互いが互いの目を恐れるようにして、見つめ合った。
司祭は大きく息を吸い、せつなそうな目をこちらに向けて、言った。
「…主よ、私をどうか、背きの罪でお裁きください。…私は、十河省吾さんを、愛してしまいました」
みるみる司祭の目に涙が溢れ、はらはらと頬を流れ落ちた。
「司祭…!?」
司祭の言葉が信じられず、自分に都合のよい幻聴を聞いたのだと思った。
「自分の言っていることを分かっているのか」
「…分かっています」
きっぱりと言い切る司祭の言葉に、十河は軽い目眩を憶えた。
――ああ、もう幻聴だろうが、幻想だろうが、かまわない…!
司祭をきつく抱きしめると、まだクスリが抜け切っていないのだろうか、うっすらと汗ばんでいる身体が熱い。
しんしんと外は冷え込んでいるが、狭い告解室の中は二人の熱で暖かかった。
司祭のコートを脱がせ、簡単に畳んで小さな机の上に載せた。
「司祭…、ほんとうに後悔しないか?」
十河は司祭の濡れて光る黒い瞳を見据えながら、言った。
司祭はきっと精神的なものを求めているのかも知れない、と思ったが、俺の感情はそんなものでは、もう収まりがつかなくなっていた。
「……はい」
司祭がゆっくりと目を閉じた。
「私は…、今日、とんでもない事態になった、と悟った時…、とっさに心に浮かんだのは、イエス様ではなく、あなたの姿でした。そしてクスリで朦朧としていた時、あなたに司祭ではなく、シンジ、と呼ばれた気がして…私は、司祭である前に一人の人間なのだと思い知ったのです」
本当に、呼んだんだぜ、シンジ、って。
十河は、感動のあまり、言葉が出なかった。
「…帰る車中で、十河さんに手を触れられただけで、私の身体が反応してしまったこと…、ご存知だったのでしょう?」
司祭が泣き出しそうな表情をした。
「クスリが残っているから、敏感になっているだけだ。そんな司祭の弱みに、今から俺はつけこむ…。俺と、地獄へ落ちることになっても、後悔しないか?」
司祭の顎に手をかけて上向かせた。
ゆっくりと目を開けた司祭が、はい、と聞き取れないほどの小さな声で答えた。
「いまからの私は…、神父でも司祭でもありません。私をただの人間として、シンジと、呼んでいただけますか?」
司祭が持てる精一杯の勇気を出した、という感じで十河の顔を見上げた。
「ああ…、分かったよ。シンジ…」
司祭の顔をなぞるように両手で撫で、やさしく啄ばむようなキスを与えながら、十河は心の中で繰り返し繰り返し、神に告解していた。
神よ。俺は…、あなたのしもべであるこの司祭を、あなたから奪います。
きれいな天使を、この手で汚してしまうことを…、赦してください。