銀のクルス(24)
半ば意識のない司祭の身体をきつく抱きしめ、涙で濡れている頬を唇で拭いながら、十河は何度もその耳元にささやいた。
「シンジ…、愛している…」
 張りついているやわらかな髪をそっと後ろへ撫でつけると、丸みをおびた額が司祭の顔をひどく幼く見せた。
 胸が痛んだ…。十河は司祭の身体をあやすように少し揺らしながら、胸の中にずっと抱きしめていた。
「…さん…、とがわ…さん」
 司祭が時折うわごとのように名前を呼んでいる。
「…シンジ、だいじょうぶか?」
 応えはなかった。
 それからずっと十河は一睡もせずに、シンジを見つめつづけた。
 眠るとすべて掻き消えてしまうようで…怖かったのだ。
 何時ごろだろう…。腕時計も携帯も財布までも、片岡がまとめて持って行ってしまってここには何も無い。
 たぶん、もう朝が近いのだろう。
 静かな教会内の小さな告解室の中は、司祭と十河の二人きり、この世から隔絶された異空間のようだった。
 十河は胸にかけていた形見の銀の十字架を外し、司祭の木の十字架と交換すると、意識のない少しだけ重みの増した司祭の身体に、僧衣とコートを着せ掛けて抱き上げた。
 このまま司祭を連れて、どこか遠くへ行ってしまえたなら…。 
 告解室を出ると、薄暗い教会内にステンドグラスから夜明けの青い光が射し込み、司祭の白い肌を青みがかった白磁器のように冷たく見せていた。
 トントンと、ドアを叩く音が聞こえた。
 十河組の者か、山高組の者か、もしかしたら警察か……。
 ノックが少し強くなる。
「…誰だ」
「若っ、ああ…、無事だったんですか」
「市村か…」
「若、ここを早く開けてください」
 焦る市村の声を聞きながら、腕の中にいる司祭の顔をもう一度見た。
 その頬や額に、そして、うすく開かれた唇にキスを落とした。
 ドアを開けると、玄関先にいた市村が、言葉を失い立ちすくんでいる。
 額に血の滲んだハンカチを巻いて、血だらけのYシャツとよれよれのズボン姿の十河が、血の気の失せた司祭を横抱きにして現れれば、さすがの市村でも驚くのは無理もない。
 市村が手にしていたコートを十河に着せ掛けた。
「わ、若…。取りあえず、病院へ」
 組員が二人、車の側に待機していて、司祭を抱き取ろうと走り寄ってきたが、十河は触るな、と一喝した。
 もう司祭を誰にも触らせたくない。
「若、詳しいことはよく分かりませんが、留守中にいったい何があったんです? 片岡の電話がなけりゃまだ知らずに、宴会の付き合いをさせられていたところです」
 助手席から振り向いた市村も、眠っていない疲れた顔だ。たぶん真夜中に連絡が入ってすぐに飛んで帰ってきたのだろう。
「そいつは悪かったな」
「いえ、組長の名代はじゅうぶん果たしてきましたから、ご心配なく」 
「…そうか」
「ああ、それから、山本高一郎の容態ですが、ナイフの刃が短いのとカーブしていたために、内臓は傷つけていないそうです。今朝、後藤病院から自分の主治医のところへ移送されたとのことです。若に安心するようにと、片岡が言っておりました」
「そうか…。俺の方も命には別状ないと、山高へ電話を入れておいてくれ」
「はい」
 よかった。掛け替えのない者を手にした今は、人を殺めずにすんだことがうれしい。
「…雪か…」
 シンジと二人、小さな世界にこもっていた間に、外界はうっすらと白いベールにおおわれつつあった。
「夜中から、チラチラと降りだしたんですよ。今夜はクリスマスです」
「…そうか、クリスマス…か」
 十河は腕の中に眠っているその愛しい温もりを、二度と逃がさないように強く抱きしめ直し、窓から遠ざかる教会を眺めた。
 うっすらと白く化粧をした三角屋根と、少し左に傾いた十字架が遠ざかっていった。
 いま愛しい者を得て、初めて俺は、母を欲した父親の心情を理解することができた。

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