銀のクルス(25)
新しい年が明けて、また厳しい日常へと世間が動き出した頃、山本高一郎からぜひ会いたいと電話があった。
会いたくない、とつっぱねたのだが、高一郎の方が強引に十河組事務所へと派手なスポーツカーで乗りつけてきた。
そして案内も乞わず、勝手に社長室まで押しかけてきた。
「ほう、コソコソとせこい真似した張本人の割に、ずいぶんといい度胸だな」
十河は椅子に座ったまま、ドアの横で腕組みしてキザなポーズで立っているシャレ男を睨み付けた
「そう、恐い顔しないでくださいよ。実はお話があって今日は伺ったんですから」
自分の魅力を十分知ったうえでの笑顔を向けながら、高一郎が言った。
話というのは『アリの町クリーン計画』は、一時中止になるということだった。
最近は上層部の不祥事が新聞を賑わし、市民の官僚を見る目も厳しくなった。
タダでさえ不景気で苦しくなる生活の中から税金を引かれているのに、巨額の借金を作る大型公共事業を強引に推し進めることは、かえって自分の立場を悪くする、と市長が逃げ腰になっているということだ。
それで、計画は当分の間凍結する、と言ってきたらしい。
「と、言うことで、この度のことはぜひ水に流してほしい。お願いします」
高一郎が、手をついて頭を下げた。
「お前達、山高組がおとなしくしているなら、今回のことは一つ貸しということにしてやってもいい…」
「本当に? …助かります」
と、高一郎は、顔を上げて十河を見た。
「だか、もう分かったとは思うが、アリの町を潰そうとしたり、シンジに何かちょっかいを出そうとしたら、相手が山高組だろうが市長だろうが、俺は命がけで闘うつもりだ。今回の件で,イロイロとそちらの裏事情にも詳しくなったことだしな。次はないぜ」
イロイロ、の部分を強調して釘を刺した。
「…分かっています」
引きつった顔で、また頭を下げた。
こんな高一郎の姿、めったに見られるもんじゃない。少しだけ、溜飲が下がる思いだ。
「ところで…、神父さんは、お元気ですか?」
と、俺の顔を窺うように見やった。
「ああ……。元気にしている」
含みのある、高一郎の顔を真っ直ぐに見返して、答えた。
「そうですか…。いや、…それはなにより。ところで、ルナホテル、近いうちに人手に渡ります。ウチも手を広げすぎて、このところ内情はかなり厳しくてね」
と、さすがに寂しそうに肩を落とした。
「でも…絶対に近いうちに取り戻してみせますよ」
次の瞬間には、整った顔に不敵な笑みを浮かべていた。
「それじゃ、十河さん、私は来週からもう一度アメリカで勉強をし直してきます。またお会いするのを楽しみにしていますよ。…あなたに刻まれたコレが治って、あなたの記憶が薄れる前に必ず帰ってきますので」
高一郎が妖しげな笑みでシャツを大きくはだけて,赤く盛り上がっているナイフ傷を見せた。
「俺の方は、ようやく髪の毛が生えてきて、傷もどうにか痛まなくなってきたところだ」
「じゃ、二つの傷痕はお互いのイイ思い出、ということで…」
うれしげにクスクスと笑う高一郎に、
「そんなにうれしけりゃ、右の胸も同じようにしてやろうか? …ったく、二度とツラみせんな」
こいつの趣味にはつきあってられん。
高一郎は、キザなスーツの肩をすくめて両手を上げると、「それじゃまた」と帰っていった。
そのすぐ後に、バタバタと派手な足跡が聞こえ、
「社長、三木産業の手形、落としてきました。期日が一日遅かったら危なかったんですよ」
入れ違いに川田が飛び込んできた。
「そうか。ご苦労だったな」
「あ、いえっ」
少し照れてペコリと頭を下げ出ていった。
この男、教会でシンジに絡んでいた酔っ払いだ。経理事務所に勤めていた経験があり、結構役に立っている。
腕時計を見ると、三時十五分前。
「ちょっと出かけてくる」
隣りの部屋にいる事務員に声をかけ、スーツの上にコートをひっかけると、階段を軽快に駆け下りていく。
「ああ、若頭。今日は風もなくてひさしぶりに暖かなイイ天気ですよ」
途中ですれ違った片岡が、明るい声を出した。