銀のクルス(9)
当日、十河は一人で行くつもりでいたが、市村からそれは厳しく禁じられた。それに料理屋の座敷で一人ポツンと酒を飲むのもなんとなく不自然で、結局は当日の運転手である、アキラという下っ端と市村の三人で出向いた
アキラは、いつも片岡から十河のお供を言いつけられるのだが、十河にうまいこと逃げられては、片岡からこっぴどく怒られる、という損な役割をさせている詫びの意味もあって、たまには旨いものでも食わせてやろうと連れてきた。
スーツなど持っていないアキラは、派手な花柄のシャツの上に茶色のジャケットを羽織っている。
色素を抜いた頭と肩を揺らして歩くようすは、いかにもチンピラ然としていて、いただけないこと甚だしい。
その点、市村は恰幅のいい体躯に渋い紬織りの着物を着て、ゆったりとくつろいでいるさまは、まるで大店の旦那という貫禄だ。
夜七時からの予約だという山高組よりも小一時間早く着いた。
山高組と廊下を挟んだすぐ前の部屋を女将が押さえてくれてあり、そこで軽く食事をしながら待つことにした。
格子戸を開けると玉砂利を敷いた小さな庭になっており、水草の浮かんだ手水鉢が置かれ、ススキや野菊が植えられてあり、なかなか粋な演出だ。
アキラが後ろを踏み潰したボロい靴を脱ぎ、這うようにして座敷に上がってきた。
「若頭、こんな高級そうなところでメシ食うの、なんか俺ケツがモゾモゾして落ち着かないっすよ」
キョロキョロと周りを見渡しながら情けない声を出した。
「バカヤロ。情けない声を出すんじゃない。出てきたものを黙って行儀よく食やあいいんだ」
市村が熱いおしぼりで手を拭きながらアキラを睨んだ。
「その、行儀よくってのが、難しいんじゃないすか」
アキラは分厚い座布団の上でかしこまって正座して、先付けの皿の料理を睨んでいる。
酔わない程度にビールを飲み、もっぱら板さんご自慢の料理を食べながら待つこと半時間。廊下に数人の足音が聞こえた。
襖を細目に開けて、格子戸越しにそっと向かいの部屋へ入っていく人物を確認する。
最初に貫禄のある腹を突き出してやってきたのは、山高組の社長、山本高太郎。
前頭部が禿げあがり、もみあげや後ろの髪を長く伸ばしている独特のヘアースタイルが目を引く。
その一歩あとを十河と同年代の男が続く。長男の高一郎だ。まだ独身だが、山高建設の重役に就いているなかなかの切れ者だ。
背の高さは十河より少し低めだが、均整のとれた長身にシルバーグレーのスーツをスッキリと着こなして、会社重役というよりはモデルか高級ホストクラブのナンバーワンといったほうがふさわしい、十河とは幼なじみのイヤーな男だ。
狭い地域のことだから、小、中と別だが高校は同じ進学校だった。その後はそれぞれに、十河は地元国立大の経済学部、高一郎は東京の有名私大へと進み、卒業後、十河は親父の跡を継ぎやくざの見習に、そして高一郎はビジネスの勉強のためにアメリカへ渡った。
帰国後、山高組が経営するホテルの支配人をしていたらしいが、一年前に山高建設の事業部へ移った。その頃から、十河組への挑発行為が多くなった。
たぶんこの高一郎が市長や社長である父親に、アリの町クリーン計画をたきつけた張本人ではないか、と十河は推測している。
その後ぞくぞくと十河の知っている顔や知らない顔、八人ほどが向かいの部屋へ入っていった。
市村の記憶だと全員この近辺や隣県の建設業者だとのことだ。
そして最後に、日本でも最大手ゼネコンの社名が入った紙袋を手に、三人ほどが入っていく。
これで大体のことは見当がつくというものだ。
公共の建築や工事は、すべて指名業者による入札で決められる。
しかし、それだと少しでも安く請け負う業者が仕事を取ることになるので、大変な時間をかけて仕事をしても、業者が受け取る金額は僅かな額にしかならない。
そのうえ大規模な建築ほどあとからのクレームが多く、完成後も何かと手直しをうるさく言ってきて、結局は儲けるどころか赤字になることも珍しくない。
そこで、業者同士があらかじめ秘密裏に話し合い、高めに金額を設定しておいて決められた一業者が入札をし、そのほかの業者は利益の中から配分を受けたり、仕事を下請けさせてもらったりする。
そうした談合行為は大体どこにでもあることで、見て見ぬふりされているのが現状だが、厳密に言えば談合罪にあたり、不当な利益目的で悪質だと刑事事件にもなる。
ましてや今回の場合、小さいながらも町を一つ潰して作り変えようというのだ。
地方の業者だけでは手に負えないから、設計をはじめ建設は有名大手ゼネコンに高額入札を任せ、その代わりに仕事を割り当ててもらい利益配分を受ける、という目算だろう。
この計画には市長が一枚かんでいるはずだ。山高組にとっても相当な好条件、好利潤が見込めるおいしい事業に違いない。
耳をすませば、芸妓達の三味の音や小唄にまじり機嫌のいい高笑いなど聞こえてくる。
十河はフラフラと歩いて行ったかと思ったら、向かい側の格子戸を開け、同じような造りになっている庭に入り、襖をタンッと開けた。
部屋の中では和気あいあいと酒を酌み交わし、弥生さんの三味線に合わせてもう一人の芸妓が小太鼓を打ちながら謡い、若い芸妓が舞っていた。
なんとも豪勢で優雅なお座敷風景だ。
「だれだっ!」
上座に座っていた大手ゼネコン社員が十河を見咎めて声を上げた。