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 汗でぐっしょり濡れている二人の身体を、クーラーが冷やしていく。整わない息に喘ぐ胸を寄せ、熱を奪われないように強く抱き締めた。
 身体は心地よい疲れで眠りたいのに、妙に頭が冴え、躁状態になっている。
「ケンジ、俺を女好きの女たらしだと思っているだろ?」
 迷わずケンジが強く頷く。
 コノヤロー。俺は苦笑を漏らした。
「多分俺は…、生まれつきのゲイだよ。何でそうなったかは解らないがな。中学の時、初めて好きになったのが、俺より一歳下の幼なじみだった」
 何でそんな話しを切り出したのか。今まで誰にも言った事の無い俺の昔の恥を、何故ケンジに打ち明けたい、と思ったのだろうか。
 ケンジは俺の腕の中で、頭を退け反らすようにして俺の顔を眺め、信じられないと頭を振った。
「だって、銀馬車のホステスさん達に長田さんすごくもててたし、その…色々と噂になってましたよ」
 まあ、想像はつく。マユミあたりが自慢話か悪口かは知らんが、誇張しておしゃべりしたんだろう。
「ゲイでも無い男が、こんなに男のお前を抱きたがると思うか?」
 そう言いながらケンジの腰を抱き寄せた。
ケンジは俺の顔をじっと見ていたが、よく分からない…、と呟き俺の肩に顔を伏せる。
 俺は、その頭をそっと撫でた。短く柔らかな髪の毛が指の間をサラサラとくすぐり流れる。
「俺は静岡の西にある小都市で生まれて、家は撚糸と綿布の大きな工場を営む、市でも有数の資産家の長男として生まれたんだ」
 誰にも聞かせたくない俺の昔話を、今ならこの若者には包み隠さずに吐露できる。何故かそう思えた。



 工場の敷地は広く、二つの工場と倉庫、男女の独身寮、妻帯者用社宅(四軒一棟の長屋が五棟)が有り、従業員達が野球をしたり社内運動会をする空き地を挟んで、俺達家族が住む屋敷が有った。
 両親と祖母、三歳上の姉との五人家族。
 家族関係は最悪で、女を囲うのも男の甲斐性とばかりに、事業も女関係も派手な父に夫婦間は冷えきり、祖母と母はきつい性格同士がぶつかって毎日が嫁姑戦争。だだっ広くぴかぴかに磨かれた屋敷内は居心地が悪く、姉はいわゆる良い子で、俺は言うことを聞かない悪い子だった。
 俺の楽しみは、社宅に住んでいるよく似た年頃の子ども達と、一緒に遊ぶことだった。 広い空き地や倉庫、遊び場所には事欠かなかった。かくれんぼや鬼ごっこ、基地遊びなど俺はいつも大将で悪がき集団の中心にいた。
 俺は人一倍身体が大きく、腕力も誰にも負けてはいなかったし、気も強かった。
 そんな俺の取り巻きの中に和春がいた。
 和春は俺と一歳違いとは思えない程細く小柄で、京生まれの母親似の白い肌と優しい面立ちの少年だった。
 和春も小学校へあがるまで京都で育ったせいで、京なまりが抜けず、おっとりと緩やかに話す言葉は俺達とは合わず、俺にはまどろっこしくトロ臭く感じ、よくイジメたものだ。
 和春もそれが解っているからつい無口になって、何か気持ちを表す時は目で訴える。
 黒々とした澄んだきれいな瞳だった。
 色気の無い小学生の時はうざったく感じてわざとシカトしたり、反対にイライラして叩いたりして泣かしたが、中学になり色気づき女の子とセックスの経験も済ませた俺は何故か、和春の事が気になって仕方がなくなった。
 どんなに可愛い女の子とデートしてもセックスしても、和春に見つめられる時ほどドキドキしないのに気が付いたのだ。
 俺は少なからずショックだった。
 悪ガキとして仲間を支配してきた俺が同性の幼馴染みに、それも俺をいらつかせいじめてきた和春に恋愛感情を持つなど…
 表に出すまいと苦しい演技をしながら、それでも今まで通り学校から帰れば集まり、何食わぬ顔で遊んでいた。
 俺が高校へ入った年、和春は独身寮にいる中学を卒業したばかりの女の子に恋をした。
 にわかに女子独身寮に仲間達の目が向いた。考えてみれば同じ敷地の中で、十五から二十五くらいまでの女の子が何十人も生活しているのだ。関心を持たない訳がなかった。
 それからは、集まると女子寮へナンパしに行くのが一番新しい遊びとなった。
 そうだ。俺には少なくとも遊びだった。チャンバラごっこや基地ごっこなどと同じように、ナンパごっこでしかなかった。
 二交代で工場からあがってくる女の子に目を付け、声をかけ、夜こっそりと空き部屋や倉庫の裏で抱き合った。
 そんなことが半年近くも続いたある夜、俺達の行状を心良く思っていない、男子寮の奴らが待ち伏せしていた。
 俺達は四人、相手は五人。こっちは和春だけが中三で後の三人は高一、相手は二十歳前後の機械工だった。
 工場裏の街灯が薄ぼんやり照らす空き地で、口論からやがて乱闘へとエスカレートしていった。工員達は最初から戦闘的で、スパナやモンキーレンチなどを武器に持っていて、俺は小柄な和春を守るのに必死で必要以上に力が入ってしまい、思いがけない流血事件となってしまった。
 結果は、俺達仲間が二人、相手が四人、骨折や裂傷で入院し、女子工員二人が退社するという大きな事件に発展していた。
 名士である親父の顔と金で、何とか警察沙汰にはならなかったが、負傷者全員に治療費と休業保障と口封じの慰謝料を支払い、俺一人が全責任をとり長田の家を追い出されるという、俺にとっては不服きわまりない処罰で、明治三年創業以来の不祥事に親父は強引にケリをつけた。
 別に長田の家にも将来の社長の椅子にも何の未練もなかったが、幼なじみだと思っていた仲間達の裏切りは、俺の心を酷く打ちのめした。
 社長の息子の立場を利用して、仲間達に命令し扇動したというのだ。自分達の保身、親達の失業を心配しての虚偽の証言だと解っていたが、悲しかった。
 社長の息子という偏光グラスを通して見れば、デカイ図体や物怖じしない態度、大きな声さえも傲慢で鼻持ちならないやつ、と皆の目には映っていたのかも知れない。
 何か馬鹿々しくなり脱力した俺の目に、和春の涙で潤んだ黒い瞳が映った。しかしそれは俺にではなく、親父や他の大人達に向けられたもので、俺がいかに暴力的で自分がどんなに忍従させられていたかを、例の不安そうに揺れる切ない瞳で訴えていた。
 本当なら少年院へ入れられても文句は言えないところだ、と言う誰かの言葉を背に、俺は十六年間育った故郷を追い出され、東京行きの汽車に乗った。
 ざっくりと傷ついた心とボストンバッグを抱え、泣くすべも知らず引きつった表情が映る暗い汽車の窓ガラスを見つめ、これは男のくせに男に惚れた馬鹿な男の顔だ、よく覚えておけ。そう心の中で自分を罵倒した。

 東京では叔父が身元引き受け人となって、下宿の世話から転入転校の手続きまで、こまめに面倒を見てくれた。
 叔父は昔、学徒動員で中国の戦地へ送られ、戦後四年間シベリアへ抑留された。過酷な生活に耐え、凍傷で足指を切断しながらも、命からがら帰国した。
 その叔父に対して親父は『敵国の捕虜にまでなって生き恥晒すとは、随分命汚い奴だ』と罵ったそうだ。
 自分は軍服やゲートルなど軍需用品生産に携わる者として、兵役を免れていながらである。
 そんな弟に、事件を起こした不肖の息子の世話を頼む親父の厚顔さにも呆れるが、何の文句も言わず、兄に言われるまま甥の世話をやく叔父にも、俺はイライラさせられた。しかし叔父は俺のそんな感情などおかまい無しに、俺が大学を出て不動産鑑定士として独立する時やマンションを買う時も保障人となり、融資の方も少しでも良い条件になるよう骨を折ってくれた。
 そんな事もあって頭が上がらない分、余計に、叔父は今だに不可解で苦手な存在なのである。
裏葉草が揺れる頃(11)
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