マンションの外へ出ると、朝から容赦の無い太陽にクラリとする。
サングラスをかけ、現地調査には欠かせないジープを地下駐車場から出す。
最後の一日、海は駄目だということで、どこか山の方へドライブすることにした。
奥多摩か鎌倉の方かと思案していたら、ケンジがあの写真の場所へ行きたいと言い出した。俺としては、また二・三週間は通い詰め、忙殺されるであろう仕事中の現場へなどわざわざ行きたくもないが、ケンジの珍しく強い要望に負けてしまった。
ジープに乗れると知った時、ケンジの喜びようは大変なものだった。
ステップに足を掛け助手席に乗り込みながら「うわぁ高い」と声を上げ、運転席の計器類を見て「すごいすごい」を連発し頬を紅潮させている。
軍隊で使用しているのと同じ車種なので、石ころだらけの悪路だろうと、急な勾配の山道だろうと苦もなく走る。だが鉄板が厚くガッチリしている分、サスペンションが固くクッションが悪い。振動がダイレクトに伝わって来るのが唯一の難点だろう。
以前、助手の川上を乗せて終日山道を走ったら酷い車酔いに苦しみ、それ以来「現場につき合え」と言うと尻込みするようになった。
ケンジに部屋からクッションを二つ持って来させ、助手席に置く。
「ケンジ、未舗装道路に出たらこれを敷け」
と言うと
「こんな厚いクッション敷いたら、足が床に着かないですよ」
と困った顔をする。
「お前の好きにすればいいけどな、ケツ、もろに響くぜ」
俺の言った意味が解ったのか、顔を赤らめたケンジに、
「ベルトをきっちり締めておけ」
と言って、ジープを国道6号線に向け発車させた。
松戸市から柏市を軽快に走り抜け、やがて利根川にさしかかる。
大利根橋を渡りながら
「大きくってきれいな川ですね。僕の故郷にも大きな川が流れているんですよ」
目をきらきら輝かせ俺を振り向く。
「これは利根川って言って日本一長くて大きな川だ。徳島の吉野川は三番目で福岡の筑後川と並んで日本の三大河川なんだぞ」
「そうなんですかぁ」
後方へ遠ざかる川をまだ見やりながら、ケンジが嬉しそうに言った。
「坂東太郎、筑紫次郎、四国三朗で別名川の三兄弟だ」
「えっ、川にも別名が有るんですか?兄弟かあ…。僕も兄さんが欲しかったなあ」
ケンジがぽつりと呟いた。
「弟じゃなく兄貴が欲しいのか?」
「僕が強くてしっかりした長男じゃなく、父が希望していたような男じゃなかったから…、僕は弟でいたかった」
「ふーん、お前も長男の圧力に負けた口か。俺なんかとっくの昔にポイ捨てされたから、もう何の関係も無くなったがな」
そうだ、親父の選択は正しかった。
親父の眼鏡に適った姉婿は、頭打ちの綿布に見切りをつけ、デニム産業に切り替えた。
住宅街の中に有った工場を売り払い、郊外に三倍の敷地を確保し、織布と縫製の工場を作り、アメリカのジーンズメーカーと契約して業績を上げている。
長田産業は工場で働く人達だけでなく、織機や加工機を二・三台置いただけの、家族で細々働いているような、下請けの小さな工場も沢山擁している。その人達の生活もみな長田産業に懸かっているのだ。
社長業ともなれば、経営能力だけでなく世界の動向にも精通していなければ、大勢の人間を不幸にする。
姉婿はきっと、親父の要望通りの人物なのだろう。
途中で408号線を北上して、稲取郡からつくば郡へ入る。
このあたりは、数年前までは静かな田園地帯だったが、二年前に東京教育大を母体とする筑波大学が設置されてからは続々と多くの教育研究機関が移転し、大変な建設ラッシュとなっている。
おまけに、近く日本を縦断する高速自動車国道が通る。その為の調査、地価査定に俺は追われているのだ。
宅地造成地を抜け、あちこちとゴルフ場建設の為に山や丘の緑が削り取られているのを横目に眺めながら、ケンジの希望の場所に着いた。
何の面白みも無い崖下の平地。
「ほらほらっ、長田さん見てっ」
ケンジが嬉しそうに弾んだ声を出し俺を呼んだ。
見れば、こんもりと緑が茂っている小山の上は、柔らかな白い花穂が揺れている。
六月の末に写真に撮った時は、細い緑の葉の集団だけだったのに、えらい変わりようだ。
「長田さん、ここをよく見て」
長さ五十センチ位の葉を手に取って、ケンジが指し示す所を見る、
葉は茎の付け根で完全に転倒し、裏面が上向きになり濃い緑色をし、表面が下側になって白っぽい色をしている。
完全に裏表が逆だ。
「大抵は山地か崖に生えているのに、平地に生えているのなんて珍しいですよね。横の山から種が飛んで来たんでしょうね」
「これ、なんて名前だって?」
「裏葉草って言います」
「ふーん、まるっきりそのまんまの名前だなぁ。それにしても雑草の中にもヘソ曲がりというか、拗れたヤツもいるもんだな」
俺の吐き捨てるような言葉に、ケンジが少し首を傾けた。
「僕には葉の仕組みがどうなっているのかよく解らないですけど…、拗れているというより、長い年月を掛けてこの草が生きて行くのに一番無理が無くて、自分らしい生き方を見つけた結果が、これやったんだろうと僕は思うんですけど…」
―自分らしい生き方―
ケンジの言葉が俺の中に何かを落とした。
「この草は僕の生まれた山にも沢山生えていて、僕はこの草が大好きだった…」
おそらく東京に来てからは初めて見たのだろう、花穂の柔らかさを愛しむように何度も撫で、ケンジは雑草に見入っている。
俺は改めてその雑草を眺めた。
自分の裏側を堂々と表に向け、太陽の光を受け入れ深々と根を張る。これが本当の自分の姿なんだ、自分らしい生き方なんだと主張し、悠然と誇らしく花穂を揺らし、そこに存在している。
なんという雑草の強さ、潔さ。
青い草いきれに、俺は軽い目眩を感じた。
裏葉草が揺れる頃(13)