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 筑波スカイラインを走り、涼しい山頂から雄大な景色を眺め、学園都市のしゃれたレストランで夕食を済ませ、外へ出た時にはもうあたりは一面薄墨色に染まっていた。
 雑木林を切り拓いた駐車場から見上げると満天の星空だった。
ケンジが夜空を指差して、夏の星座の名を教えてくれる。
 妹の入院していた大学病院の図書室で、図鑑を見るのが唯一の楽しみだったというケンジは、植物だけで無く色々な物の名前をよく知っていた。
 都会では見えない星々を、ケンジの指先を追ったが、俺には星座としての形を成さなかった。
「俺に解るのは、そこに見えてる北斗七星とせいぜいオリオン座くらいのもんだな」
 ケンジが俺の顔を見上げ、微笑んだ。
「十一月頃からオリオン座が東の空に見えてきます。四角形の一つ、左上に赤く輝くペテルギウスを平家星、右下の白く輝くリゲルを源氏星って呼ぶんです。空の上で永久に睨み合ったまま…悲しいですよね。十一月になったら忘れんと見て下さいね」
 十一月…。俺一人で夜空を見上げるのか?
 俺一人では、何も見つける事は出来ないだろう…たぶん。
 夜空を見上げているケンジの星明かりに青く縁取られた横顔を。俺は黙って見つめた。


 マンションへ帰り着いたのはもう夜中に近い時間だった。
 玄関を入る時、お邪魔します、と小さく頭を下げ、俺の分まで靴をきちんと揃え、やはりヴィーナス像にドキリと身体を硬くして、俺の後を追うようにリビングへ入って来る。
 こいつはいつまで経っても、都会の生活に慣れる事は無いのかも知れない。俺はふとそんなことを思った。
クーラーのスイッチを入れ、ふうっとため息を吐きながらソファに座り込み、背もたれに頭を預け目を閉じる。
 寝不足と一日運転していたのとで身体はくたくたなのだが、胸に何かがわだかまり落ちつかない気分にさせている。おまけに前頭部が脈打つように痛む。
 前の椅子に腰掛けたケンジが、不安そうに俺を見ているのが解ったが、俺は目を開けなかった。
「あの…今日はありがとうございました。楽しかったです。…それから、すみませんでした。僕が運転できたら良かったんですけど……」
 ケンジが小さく呟いた。
 俺は目を開けてケンジを見た。
 ケンジは黙って見つめる俺から目を逸らし、心細そうに椅子の上で身体を小さくしている。
 その姿は十日前の夜を思い出させた。
 いつまでも何も言わず動かない俺に、ケンジは自分から行動することを恐れるかのように、息を詰めじっと指先を見つめている。
「ケンジ、服を脱げッ」
 弾かれたようにケンジが顔を上げ、俺を見た。
「裸んなれ」
 俺の強い口調にケンジがよろよろと立ち上がり、服を緩慢な動きで脱いでいった。
 怯えて泣きそうな全裸のケンジを、寝室へ連れて行きベッドの上に座らせ、俺も着ていた物を全部乱暴に脱ぎ捨てた。
 ケンジの前にゆっくり座りながら、うつ向いている顔を持ち上げ、俺の目を見ろ。と言った。
 涙が薄くかかった黒い瞳が、下からすくうように俺を見る。
「ケンジ、いいか。今から俺が聞くことに全部答えろ。身体だけじゃなく心も裸にして。いいな。俺も裸になってお前の言うこと聞いてやる。全部受け止めてやる」
 股間を隠すように、前で組んでいるケンジの腕を解かせ、両手で強く掴む。
「まず、どうしてあんな分不相応な借金が有るのか、俺に聞かせてくれ」
 ケンジは、強張って乾いている唇を舌で湿らせてから、重い口を開いた。
「――五年前に父が死んで入院費が払えなくなったので、妹を仕方なく退院させたんです。けど、あんな山の上で生活させる訳にいかないから、村の知り合いの納屋を借りて…、僕は鉄工所で働きながら農家の手伝いをして、母も妹の世話の間に山菜採りをして…」
 ケンジは震える声で一気に話す。
「とにかく一生懸命働いたんです。納屋住まいの貧しく不便な生活でしたけど、母と妹と三人で暮らせた、僕にとって一番楽しい時でした」
 ケンジは肩で息をし、俺が握っている手をじっと見ている。
 手の平は硬く指の節が高い。細いが確かに力仕事をしてきた手だ。
「けど、母は生まれつき腎臓が悪くて、看病疲れの上に慣れない生活は到底無理だったんです。妹は大学 病院へ預け、母は町の病院に入院したんですけど…、人工透析の設備が無くて」
「二人の入院費用を稼ぐ為に、東京へ出て来たという訳か?」
 俺の質問にケンジが頷いた。
「で…、それで、売りをやっていたって訳か」
 驚いたように顔を上げたケンジが、激しく首を横に振った。
「嘘つくんじゃねえぞ。本当のことを言えっ」
 俺は握っていた手を強い力で締め付ける。
「ほ、本当ですっ。嘘と違いますっ」
 ケンジが顔を歪め叫んだ。
「朝は牛乳配達、昼は印刷工、夜は飲み屋の手伝いをして、なんとかぎりぎり送金出来てたんです…」
 それが…と言って唇を噛んだ。
「二年前、母が尿毒症を起こして死んだ時…、葬式の費用三十万円を飲み屋の紹介してくれたサラ金で借りて、葬式を済ませ父の眠っている山奥へ埋葬をして、十日後アパートへ帰って来たら…、早くも支払の督促状がドアに挟まれてました」
 まあ、後は大体の想像がつく。
「十一の利息として、今、どれくらい借金残ってるんだ?」
 ケンジは下を向いたまま少し逡巡していたが
「一生懸命働いて返してたんですけど……三百万ちょっと…です」
 俺はふうっとため息を吐き出し
「まあ、よく返していった方だろな。複利計算で雪だるま式に増えて行くから、まともに働いて返却できるもんじゃあないさ」
 ケンジはちらっと俺を窺い
「本当はもう何度も死のうって…思うたんですけど、妹のこと、両親に代わって面倒みていくって…誓うたから…。やっぱり水商売しか無いって決断して、取りあえずボーイから始めたんです」
「それで銀馬車に入った訳か?」
 こくりとうなずいたケンジが、自嘲の笑みを浮かべた。
「僕はやっぱり駄目でした。全然向いてないことを認識させられただけで…、もう、どうしていいか解らんと思うてた時、長田さんに声を掛けてもろうたんです」
 感情が高ぶったせいか、ケンジの故郷訛が強くなっているのに気がついた。
「十日間で三十万って言われた時、お金は勿論欲しかったですけど、これで身体を売るきっかけが出来たっていうか…覚悟がついた…というか…」
「覚悟を決めてた割にゃあ、えらく往生際が悪かったがなぁ」
 俺の揶揄にケンジが泣きそうな顔をした。そしてケンジはなにを思い出したのか、顔を真っ青にして、肩を振るわせ始めた。
「……ケンジ、今夜はお前の胸の中にあるもの全部出してしまえ。俺がひっくるめてがんじがらめに縛って、東京湾に捨てて来てやるから…な」
 拘束の手を解き、青ざめ歪めているケンジの顔を持ち上げ目を合わせる。
 ケンジがおそるおそる俺を見た。涙の溜まった瞳を大きく瞠ったあとギュッと閉じた。青ざめた頬を涙が滑り落ちる。
 小刻みに震え出したケンジの身体を抱き締め、頬の涙を吸い取ってやる。
 背中をあやすように撫で、根気強く話し出すのを待った。

裏葉草が揺れる頃(14)
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