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「妹が入院して一年ほど経った夏、月に一度の面会のその日は丁度治療日になっていて、妹の痛がって泣く声を聞くのが辛うて…、僕は病院の裏庭に出て行ったんです。
 白つめ草が一面に咲いていて、僕は妹に持って行ってやろうと夢中で摘んでいました。そこへ白衣を着た若い学生が来て、
『ボク、綺麗な絵を見せてあげようか?』
 って言うたんです。僕、妹にええ土産話が出来ると、単純に思うて手を引かれるまま、建物の中へ入りました。殺風景な部屋の中には絵では無うて、長方形のセメントの台の上に裸の女の人が寝ている彫刻でした。 他にも白衣を着た男の人が二人居て、彫刻やと思うてた女の人の身体をメスで切り開きだして…、内臓が引き出されて初めてそれが死体やって解ったんです。
 もう、びっくりしたのと恐ろしいのとで逃げて帰ろうとしたら、後ろからさっきの学生が肩を押さえ付けて、『ボク、女の人の身体の中、よう見とき』って離してくれんかった…。その死体から必死になって目を逸らした先に、小さなプールみたいな水槽が有って、その中にも死体が沈んでいて…、もう、僕は気が変になりそうでした…。
 その時、その学生が僕をはがい締めにしたまま、大きく勃起したモノを僕の腰に擦り付けるようにして…、恐さと気持ち悪さに泣き出したら、く、口を塞がれて、そして…」
 俺は小刻みに震えながら話すケンジの身体を抱き締めた。
「ケンジ、もういい…。もういいよ」
 抱き締めた背中をゆっくりと撫でる。
 消え入りそうに、身体を小さくしたケンジの顔を覆った指の隙間から、細い嗚咽が漏れだした。
「い、生きたまま、内臓を引きずり出されていくようで…。自分も、あのプールの中の死体と同じになっていく。そう、思うた…」
 俺は震えるケンジの肩を抱いたまま、混乱している頭が冷静になるのを待った。
 すべて本当の事を言え、と言ったのは俺だ。そして全部受け止めてやるとも。
 ケンジが泣き止み落ちつくのを待つ。もう時刻は夜中の一時をまわっている。
「お前の裸婦像拒絶反応の原因は、それか?」
 ケンジが小さく頷いた。
「本物の女の裸も駄目か?」
「たぶん……時折夢に見て、うなされます」
 変態インターン野郎め!
 ケンジは手の甲で涙を拭いながら、震える息をゆっくりと吐き出した。
「あれ以来風呂が恐くて…、一人で入れないようになったんです」
「風呂?風呂が恐いのか?あんな狭い所が」
 俺には理解不可能な事だ。
「長田さんはこのマンションに有るような、明るくてきれいな風呂しか知らんからそう思うんです。僕の家の風呂は、母屋から離れた庭に建っていて、ランプか懐中電灯を持って入るんですけど、暗い風呂場の浴槽がまるであの…水槽に見えてきて、暗い底に死体が沈んでいるように思えて…。そしてまた、後からはがい締めにされるんやないかって…」
 辛すぎる記憶を一気に吐露したせいか、ケンジの顔は青ざめ表情が無く、心がどこかへ逃避してしまったようだった。
「もう…忘れろ」
 こんなにもけなげで、やさしいケンジが、どうして理不尽な仕打ちを受けつづけているのか。俺は唇が血の味がするほど噛みしめた。
 …分かっている。本当は俺にこんなことをいう権利など、ない。
 俺とそのインターンと、どれほどの差があるというのか。弱みにつけ込み、ケンジの心と身体に深い傷を負わせてしまった…この俺が。
 俺はただ、ケンジの身体を強く抱き締める事しか出来なかった。
 ただただ、熱いマグマみたいな物が胸の中に渦巻いていて、苦しい…身体が熱い。
裏葉草が揺れる頃(15)
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