ESCAPE
BACK
TOP
 俺の名前は長田政大。三十二才になる。
 女達が知りたがっていた職業は、不動産の鑑定を生業としている不動産鑑定士だ。
 時は、昭和五十年。
 『昭和元禄』と呼ばれ泰平爛熟の世の中、日本は急激な発展と膨張を続け、土地ブームで地価は異常な値上がりし、都市部は深刻な住宅難に見舞われた。
 さらに、去年四十九年に国土利用計画法が制定され、俺の仕事は一段と繁忙を極め、その分俺の懐は豊かになり、自然、生活も遊びも贅沢で派手なものになっていった。
 だが、いい思いをする反面、危険な目にも会う。暴力団や質の悪い不動産屋などから、土地転がしや地上げがらみの嫌がらせや脅しを受けたりもする。
 実際、何度かやくざを敵に回し、或いは危うい取引をして今までやって来た。
 そんな時だけは、周囲を威圧する親父譲りの大きな体と強面が有り難かったし、それだけの度胸と腕力にも自信が有った。
 堅い職業の割に得体の知れない人間に見られるのは、そういった不穏な空気を常に身に纏っているせいだろう。
 この仕事に就いて七年。今は都心に事務所を構え、自分のマンションも持っている。
 接待を受けワイロも貰う。最初は感じていた罪悪感も、今はギブ&テイクだと割り切っている。
 人間、綺麗事だけでは生きて行けない。正直者が馬鹿を見る。だが…俺も三十を過ぎ、懐は豊かになったが、心の中は空虚に倦み疲れて来ていた。



 銀馬車へ行ってからこちら、時折あのボーイの姿が頭をかすめる。
 俺の忌々しい過去に触れる要素さえ持っていなければ、目の前に座って居たとしても気が付きもしないだろうと思うほど、何の特徴も無い若者だ。それが仕事中だろうとプライベートで酒を飲んでいる時だろうと、ふとあの不安気な表情が浮かんで来る。
 いらいらとして落ちつかない。
 俺は忙しくきつかった現地調査がようやく済んだ日の夜、程よく疲れた頭と変に高揚した気分のまま、あの若者を買おうと、唐突に思った。
 『ウリをしている』と言っていた店の女達の噂話を頭から信じた訳でも無いのだが、借金で困っているのならば金でどうにでもなるだろう。
 銀馬車のマネージャーと話を付け、店の裏の殺風景な控え室で、ボーイと会った。
 粗末な応接セットに足を投げだし座っている俺の前に、緊張した面もちで立ったボーイを値踏みする目で見上げる。
 白い蛍光灯の下で見る若者は、店内の派手なライトの中で見た時よりもずっと清々しく整った顔立ちをしていた。
「聞いたところだいぶ借金があるようだが、十日間で三十万払う。どうだ?」
 極めて単刀直入に聞いた。
 ボーイはうつ向き唇を噛んでいたが、やがて顔を上げ、俺から目を逸らすようにして小さくコクと頷いた。
 俺は立ち上がり、そいつのすぐ前に立った。丁度頭が肩の位置にくる。その顎に手を掛け上向けると、確認するように瞳を覗き込んだ。
 ウリ等とおよそ無縁に見えるこの地味で大人しそうな若者が、簡単に身売りを肯定した事に何か裏切られたような気がして、俺自身が持ちかけた話にも関わらず、彼に対して理不尽な侮蔑の念が湧いてきた。
 俺がこれから十日間、この若者を買おうと決めたのは、『アイツ』の代わりに思うさま弄び、ウップンを晴らしたいという暗い欲望と、今まで目を逸らせていた自分の本質をも見極めてみたい、という強い思いに捕らわれたからだった。
 店の方には,十日間の給料分プラスアルファを渡し、本人には十日後三十万支払う約束をする。
若者の名前は『長曽我部剣児』と言った。
 えらく大時代がかった名前だな、と揶揄うと困った顔で下を向く。言い難いので『ケンジ』と呼ぶことにした。

 そのまま車に乗せ、自分のマンションへ連れて帰る。
油断のならない女共は絶対に自分のテリトリーには踏み込ませないのだが、この山奥育ちの素朴な若者には、無用な警戒心に思えたのだ。
 十六階にある俺の部屋のドアを開け、ケンジの肩を押し込みドアの鍵を閉める。
 ガチャッという音に、ケンジの肩が跳ね上がった。
 明かりを点けて、上がれと促す。
 反応の無いケンジを見ると、明るい玄関ホールの正面に置いてある裸婦像に目を当てたまま硬直している。
 白い代理石の光沢も美しい、横たわった裸婦の彫刻だ。一昨年ヨーロッパへ土地開発会社の招待で行ったおり、“ウルビーノのビーナス”を模したこの一メートル程の彫刻が、ひどく気に入り買い求めた。
「なんだお前、女の裸が珍しいのか」
 俺が揶揄うと、
「いえ…」
 ケンジは慌ててかぶりを振り、小さな声で、
「おじゃまします」
 と無人の暗い奥に向かって頭を下げた。
 ケンジは粗末なデッキシューズを脱いでそっと揃え玄関の隅に置いたあと、八の字に飛んでいる俺の靴も揃えている。
 廊下を通ってリビングに入る。
 トイレ、浴室、キッチンのドアが並び、キッチンとリビングはカウンターで仕切られている。リビングの奥が寝室だ。
 明かりとエアコンのスイッチを入れ、座れ、と応接セットを顎で示す。
 三十畳程のリビングには大きな応接セットと隅に滅多に見ない大型テレビが有るだけの至って愛想の無い部屋に、ケンジは心細気に言われるまま腰を落とした。
 冷蔵庫から冷えたビールとチーズを出しテーブルに置く。
 グラスになみなみと注ぎ、飲めと勧める。
「僕はアルコールは、あまり…」
 小さな声で言うと、困ったようにビールのグラスを見つめている。革のソフアも座り心地が悪いのか、端の方に浅く腰掛け体を堅くしている。
「飲めよ。こんなの水みたいなモンだぞ。お前アルコール抜きで夜のお仕事するつもりか?それとも素面でヤレる程慣れてるのか?」
 ケンジは顔を赤くして、何かに耐えているようだった。
「ほらっ、飲め」
 強引に口元へグラスを持っていくと、ケンジは覚悟を決めたように両手でグラスを持ち、一息にクーッと飲んだ。
「飲めるじゃないか。もう一杯いけ」
 注ぎ足したビールを今度は迷わず飲み干して、彼は苦い水薬を飲んだ後のような顔をした。
「そうだよ。時にはそうやって脳細胞の半分を痺れさせてやらなきゃあ、人間疲れ切ってバラバラになっちまうぜ。その為にアルコールやセックスが有るんだ」
ビールのせいか少し頬を赤くしたケンジが、潤んだ眼差しで俺を見上げた。
 俺はYシャツをくつろげ、テーブルに片肘を付きビールを飲みながら、目交いにある無垢にも見える黒い瞳を見据えた。
 本当に『アイツ』によく似ている。
「シャワー浴びて来るから、適当にやってろ」
 荒っぽくズボンとYシャツを脱ぎ、上着と一緒に椅子の背に投げかける。
 上着の内ポケットから分厚く膨らんだ財布が覗いていたが、そのままにしておいた。
 シャワーで汗を流し腰にバスタオルを巻き付けたまま、部屋に入る。
 ケンジはまだそのままの姿で、ひっそりと椅子に座っている。
「お前もシャワーを浴びて来い」
 ケンジは少しおびえた目をして頭を横に振った。
「汗臭いのは嫌だろ、お互いによ」
 強引に風呂場へ追い立てる。
 残っていたビールを飲みながら、厚みの変わっていない財布を確認する。
 生きるか死ぬかってほど金に困っているだろうに。
 まっ正直に生きても一生薄幸な者もいれば、悪事ばかり重ねていても裕福なまま人生をまっとうするヤツもいる。
 どうせ人生一度きりなら俺は後者でありたい。アイツは典型的な前者だな。
 足音に振り向くとケンジが服のまま立っている。濡れた髪が辛うじてシャワーを済ませた事を物語っていた。
「何でまた汗臭い服なんか着るんだよ」
 ずかずかと近づいてTシャツを引き剥し、ジーンズに手を掛けたとたん、ものすごい勢いでケンジが暴れ出した。
 泣きそうな顔で必死に抵抗する。
「金で買われるのを承知しておきながら、今さらなんだッ」
 俺は本気で腹を立て強引にジーンズを引き抜き、足をすくわれ後ろに倒れたところを馬乗りになり、顔を思い切りひっぱたく。
 ケンジは短い悲鳴を上げ、抵抗をやめた。それでも気丈に俺を睨みつける顔をもう一度張り飛ばした。
 おとなしくなったケンジの体を乱暴に担ぎ上げると、寝室のドアを蹴り開けベッドへ投げ下ろす。
「まさか、ビールを飲んでお話しして終わりだなんて思ってねえよな。いくら山奥から出て来た猿だってよ」
 ケンジの体を跨いだまま怒りをぶつける俺に、目を瞠り体を硬直させ見上げてくるケンジは、泣きたいのを必死で堪えている子供のような表情だった。
 組敷いたケンジの体は、細いが脆弱では無く、きれいに筋肉が付いている。特に足が綺麗だと思った。アスリートの足だ。
 腕にも足にも俺のような剛毛は生えておらず、思っていたよりも滑らかな手触りだ。
 手の平で体を撫でながら、思い切って胸を舐めてみる。柔らかなふくらみは無いが、鼻に付く化粧や香水の代わりに爽やかな素肌の匂いがした。
 だんだん自分の息が荒くなり気持ちが高ぶって来る。二度と目覚ませるまいと、心の奥底に押し込めてきた感情が堰を切って溢れ出した。
裏葉草が揺れる頃(2)