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 後日、俺が買ったマンションは、実は親父が俺名義で買った物だと知らされた。
 俺が月々払い込んでいた割賦金は、叔父がきっちり積み立ててくれてあった。
 今考えれば、あんな高級マンションのローンが、そんなに早く終わる訳がないのだ。
 親父と叔父にまんまとしてやられた感じだが、親父にしてみれば、勘当した息子でも、多少の遺産分けをしておくつもりだったのだろう。
 以前の俺ならば、バカにするな、と金を叩き返したところだが、今の俺には必要な金だ。
 二十数年ぶりに電話から聞こえてきた親父の声は、俺の記憶にある威勢のいいダミ声ではなく、すっかり嗄れた老人の声だった。
 お互いに相手を気遣う言葉も何も無い、無愛想なやり取りで終始したが、俺の胸の中に長年澱のように溜まっていたものが消え、久しぶりに晴やかな気分になった。
 結局は叔父の助言で、事務所は売らずに貸し事務所にして、マンションを売った金と叔父が貯金しておいてくれてあった金とを合わせ、ケンジの田舎に肢体不自由児ばかりを収容する、小さな福祉施設を作る計画を実行に移した。
 銀座三丁目の土地を十坪買う金で、ケンジの生まれ育った山を望む四国の片田舎に、千坪弱の土地を購入することが出来た。



 昭和六十三年 初夏
 開園四年目の施設には、現在二才から十八才までの肢体不自由児が、三十六名入園している。
 一応俺は責任者として、資金繰りや国・県との折衝を担当しているが、実質的な運営はすべてケンジに任せてある。
 俺の本業の方は、(社)日本不動産鑑定士協会県支部に籍を移し、相変わらず忙しい毎日を送っている。
 学歴不足のケンジが、堅実に実績を積み学園長の資格を得るのには、あと何年か先になるだろう。
 そこで、それまでの臨時園長として、県立病院の整形外科部長を退職した知り合いの先生に肩書きと名前を貸して貰っている。気の良いジイさんで、俺の囲碁の先生であり、ゴルフでは俺の弟子でもある。
 今年二十九才になった妹の舞子は、園の会計と事務を担当し、ケンジの片腕として頑張っている。まだ左の手足に麻痺が残っているが、日常生活には何の不自由もない。
 舞子は快活で聡明ないい娘だ。同じ園で働いている、作業療法士の純朴で心優しい青年と愛し合い、近く結婚する予定だ。
 俺とケンジの仲も、少し時間がかかったが、今は舞子なりにちゃんと理解してくれている。
 過酷な闘病生活に歪められる事もない明るい舞子と、誠実で優しいケンジ。
 二人とも、逆境に負けることなく前向きで、自分に厳しく人に優しい。この強さは本当に雑草そのものだ。
 ケンジの何事にもひたむきな人柄は、園生のみならず職員にも人気があり、俺としては心穏やかならざるものがあるが、子ども達の手を引き、車椅子を押しながら、美しい山々を背景に小川のほとりを散歩する楽しそうなケンジの姿を見ると、これこそがケンジの天職なのだと納得させられる。
 園は原則として、土日は保護者が迎えに来て、園生達は全員帰宅する事になっている。従って、行事や急務が無い限り、二日間は俺がケンジを独占することにしている。
 平日は寮の方で園生達と寝食を共にしているケンジも、週末は俺達の家に帰って来る。
 俺は一週間の欲求をケンジにぶっつけ、ケンジも日頃の温和な姿からは想像もつかない乱れようで俺を挑発し、ますます俺を熱く夢中にさせる。
 今夜も、激しく求め合った後も身体のつながりを解かずじゃれつく俺に
「もう、政大さんは、園生より甘えん坊やし手間が掛かるし、ほんまに疲れるわぁ」
 と、ケンジはくすぐったそうに笑う。
「ガキと一緒にするなっ」
 俺は柔らかな髪を掴み引き寄せると、俺の首に両腕を絡ませ、ケンジは潤んだ黒い瞳で見つめながら唇を合わせてきた。
 俺は今、幸せだ。
 生きて行くことの意味と人を愛する心。素晴らしい人生を手に入れることが出来たから。
 ただ一つ気に入らないのは、退職して暇を持て余している叔父が、慰問と称しては度々園を訪れ、ケンジの顔を見に来ることだ…。



 もうすぐ四国へ来て六回目の夏が来る。
 今年も盆になったら二人で、ケンジの両親が眠る山の上へ行こう。そして、夏草に混じって悠々と花穂を揺らしている、あの裏葉草の中で祈ろう。
「あなた達の子孫を残すことは出来ないが、大勢の子供達を育て、二人で共に歩んで行くことを誓う。どうか、許して下さい」と…。



                              おわり
裏葉草が揺れる頃(22)
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