翌日も俺は終始デスクワークに没頭していた。
ケンジは寝たり起きたりしていたが、徐々に体力も回復してきているようだった。
昼はざるそばと握り飯の出前で簡単に済ませたので、夜は何かスタミナのつく物でも食べに行こうか。などと思いながら膨大な書類の山と格闘しているうちに、部屋にいつの間にか明かりが点いていた。
時折カタコト音を立てたりしていて、あいつ何やっているんだ、と気になりながらも仕事の方を優先する。
道路台帳と現地地図の照合は、途中で止めると後が面倒になるからだ。
どれくらいの時間が経ったのか、ふと足元に座り込んでいるケンジに気がついた。俺が落として散らかした写真や図面などを拾い集めている。
「何やってるんだ。大事な仕事の資料だぞっ。勝手に触るなっ」
俺の怒鳴り声にケンジはビクッと手を止め体を小さくした。
時計を見るともう十時が近い。
椅子の背凭れに押しつけるように、背中をグッと反らせ首をボキボキッと鳴らす。
「よしっ」
自分に声をかけ仕事に区切りをつけた。
床のフローリングに長々と横たわり、強張っている背中や腰を伸ばす。
首を巡らせてケンジを見ると、まだ床に座り込んだまま、写真を手に持って途方に暮れている様子だ。
「その写真はなんだ?」
今度は声を荒げずに聞く。
ケンジが写真を俺の方へ向けた。土地区画整理の現地写真で、今調査している内の一つだ。石ころだらけの広い空き地に、木立が数本とあちこちに雑草が生えているだけの、面白くも何とも無い写真の一つだ。
「これは裏葉草ですよね?」
俺にはただの茅かなにかの雑草にしか見えない緑の塊を指して見せた。
立木は鑑定の対象となるので、高価な庭木から雑木に至るまで一応の知識は有る。ただし、金に換算する為の試算価格のみだが…
「その草、そんな名前なのか?」
俺が返事したことが嬉しかったのか、ケンジが少し微笑んだ。
「葉の裏側が表になっている草で、日本古来から有る雑草なんですよ」
俺には白っぽい土に、緑の茂みが点在するだけの興味の無い写真を、ケンジは嬉しそうに眺めている。
ここは農地にもならず長年放置されていた土地だが近く縦貫道が通り、東京の通勤圏に入る為、都市計画法に基づき市街化区域に指定され、調査対象となった土地だ。
ケンジは写真の四隅をきちんと合わせ、書き飛ばしていた略地図や計算用紙などのしわを丁寧に伸ばし、テーブルの端にそっと乗せて置いた。
「腹へったな。ケンジ何か食いに行くか?」
と言いながら、もう十一時か、この時間だと開いているのはラーメン屋か飲み屋くらいのもんだな…と少し憂鬱になってもいた。
「あのう…、雑炊炊いたんですけど…」
ケンジが口の中でモソッと言った。
何の事だか意味が解らず
「なんだ」
と聞き直した。
俺の機嫌の悪い声にオドオドしながら、「雑炊です」と消えそうな声で答る。
「雑炊?、このくそ暑いのにか?」
キッチンの方でカタコト音がしてたのはそれか?。しかし、米なんぞ置いてないぞ。
キッチンとの境のカウンターの座りながら、鍋の中を覗き込んだ。
「これの正体は一体なんなんだ?」
俺は鍋一杯のドロドロしたモノを、一客分しか無い飯椀と汁椀に注ぎ分けているケンジに聞いた。
「ああ、お昼におむすびが三コ残ったでしょう。あれで炊いたんです」
ごく当たり前のことの様に言った。 冷蔵庫に残っていた、ベーコンと萎びたレタスの炒めたのが皿に乗っている。
ああ、やっぱり面倒でも外に食いに行けば良かったな…。少し後悔しながら箸を取る。
…食いにくいっ。こんな水っぽいモノ箸ですくえるかっ。
「ケンジ、スプーン取ってくれ、スプーン」
スプーンの上の熱々どろどろを吹き冷まし、口にようやく入れる。
「ん? …いける」
俺の声に、きれいな仕草で椀を持ち箸を使っていたケンジが、顔を上げ微笑んだ。
おかかのダシと梅干しの酸味がほど良く利いて、溶き入れた卵がトロリとまろやかだ。
今日はずっと腰掛けていて体を動かしていないので、胃にもたれなくて丁度いいのかも知れない。お代わりもして結構満腹した俺は少し機嫌が良くなり、食後のコーヒーを淹れた。
俺はブラック、ケンジにはミルクと砂糖をたっぷり入れてやる。
カウンターに向かい合わせでコーヒーを飲みながら、ケンジの顔をまじまじと眺めた。
間近で見ると、一つ一つの造りが綺麗な形をしている。線が細くて小造りな分、遠目にはパッとしないが、明るい光の下でじっくり眺めると、綺麗で飽きがこない感じだ。
図体も顔の造作もデカくて荒削りな俺とはまったく対照的だ。
そう思いながら見つめている俺の目と、カップから顔を上げたケンジの目がぶつかった。
深い吸い込まれそうな黒い澄んだ瞳。それは少し不安そうに揺れて、俺をイラつかせる瞳になる。
俺は視線を外すと乱暴に立ち上がり、
「昨夜は俺も遠慮したけどな。今夜は犯るぞ。さっさと飲んじまえよ」
俺の言葉に、コーヒーを含んだままケンジは固まり、やがてそれを毒薬であるかの様に眉を顰め、目を瞑ったまま飲み込んだ。
裏葉草が揺れる頃(5)