〜 祈りはかなう 〜
相変わらず満足に祈りませんでした。
聖書に関係した小説はたくさん読んだのに、1年かかっても聖書を読みきることができませんでした。
でもイエス様を信じ愛している、このことさえ見失わなければ、祈らない、聖書もあまり読まない、それはたいしたことないんじゃないかと自己弁護していました。
仕事を辞めた後、婦人の区域礼拝に誘われました。
個人宅に5〜6人が集まり、讃美歌を歌い、聖日礼拝のメッセージについてどう感じたか順番に告白し、最後には2人づつ、お互いの為に祈ります。
これは大変なことになったと思いましたね(笑)
姉妹が私や家族の為に長〜く祈ってくださった後、「○○さんを祝福してください」ぐらいしかでてこないんですから。申し訳なくって、この時間はかなりプレッシャーでした。
申し訳ない、彼女たちのためにもっと祈りたいと思う一方、ひねくれものの私は心の中でまた自己弁護をはじめます。
「みんなだってきれいな言葉を並べているだけじゃないの? 聖書にもくどくどと祈るな、とか 1人で祈れ、とか 書いてあるじゃん。 もともとしゃべるのって苦手だし、私の賜物はきっと祈り以外のところにあるんだもん。」 ・・・あぁ、自分で書いていてほんと、情けない(泣)
その頃、礼拝の中で罪についてメッセージが語られました。
「小さくても、大きくても完全な神様の前では罪は罪。お詫びして清めていただけなければ、悪魔はその罪を足場として私たちを捕らえようとする。」
私は人を憎みつづけたという罪を告白し許していただいた。もちろん完全な人間じゃないから、それからも罪は犯してきただろうが、人から後ろ指さされるような、神様に怒られるようなことはしていないと思っていた。
でも、いつまでも祈らない、聖書も読まない、それが罪でないはずがない。
主よ、感謝します。罪を示されなければお詫びする事もできませんでした。変えてください、変えてくださいと、祈るばかりで足踏みしている私を許してください。“今”1歩を踏み出させてください。
そう祈ったときすぐに、神様は私の祈りの環境を整えてくださいました。
早天祈祷会に行けるようになりました。
英会話教室での祈りと賛美を一部お手伝いすることになりました。
いままで祈らなかったからかなわないだけだった、神様は本当に祈りを聞いてくださる方なんだ、と実感しました。
これからも神様は私の祈りをかなえつづけてくださるでしょう。
私は神様のみわざと、感謝を忘れることのないように証しをつづけていきます。(2002年・夏)
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