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「星屑の記憶」 ターミナル・コロニー【ツクヨミ】 ここツクヨミはアマテラスと対になるターミナル・コロニーであり、火星の後継者たちの重要拠点の一つであったところだ。 ここで発見された研究施設では、夜天光や六連を始めとしたジャンパー用機動兵器開発などが主に行われていたことが、その後の調査で判明していた。 そして現在、地球政府が主導となってその調査と研究が行われている。 ……だが、それは表向きのことでしかない。 単なる調査にしては厳重過ぎる警戒体制。 地球の一方面軍にも匹敵する護衛艦隊。 その全ては【火星の後継者事件】の後、政府がその強権を持ってネルガルより徴発した【遺跡】の存在を守るためであるのだ。 その目的は、政府によるボソンジャンプの管理。そして、ジャンプの齎す利益の独占。 火星戦役以後、あるいはそれ以前から勢力を伸ばして経済を独占し、政治にまで強い影響力を持っていた企業から、地球の支配権を再び取り戻そうとする連合政府。 ボソンジャンプ技術の解明と平和利用の名の下に、ツクヨミでは日夜遺跡とボソンジャンプの研究が行われている。 最もそれを知るのは政府でもごく一部の人間と、当事者であったネルガル上層部だけであるのだが。 異常なまでの情報統制により、事件から数ヶ月、火星の後継者の残党による襲撃が頻発していた時期においても、ここは平穏を保っている。 そんな中、現在哨戒にあたっている護衛艦の艦橋では、当直の通信士と操舵士が暇を持て余していた。 「今日も夜勤か、ついてないね」 「文句言うなよ。敵がいないだけ幸せさ。ありがたいと思わんか」 「まあな」 肩を竦めておどけたように苦笑しあう二人。 彼らは知らない。いったい自分たちが何を護っているのかということを。 もしそれを彼らが知っていれば、あるいは別の結末に辿り着くことができたのかもしれない。 しかしもはや引き返すことはできない。終末へ向かって運命の糸車は回り続けている。 「最近は火星の後継者の残党も静かだし、このまま何事もなく過ごしたいもんだ」 「全く全く。……さて、お仕事お仕事と」 繰り返される日常。変わらない今日。退屈な日々。 彼らは忍び寄る脅威に、いまだ気付いていない……。 ネルガル月面廃棄ブロック 月面にある、老朽化が進み廃棄されたネルガルの工業ブロック。出口も入口もないその地下に、ユーチャリスのドックは存在している。 火星での決戦で北辰を討ち復讐を遂げたアキトだったが、その後も救出されたユリカ達のもとには戻らず、ユーチャリスを駆り火星の後継者たちの残党狩りを続けていた。 今日はそんな彼が、補給と整備の為にドックに戻ってくる日。それを出迎えるのはエリナ、イネス、そしてラピスの三名である。 ラピスとのリンクは、火星での決戦から帰還した後、アキトと【アリス】の意志により外されている。 もともとアキトの感覚サポートは、ユーチャリス搭載の中枢制御システム【ALICE】が単独で勤めていたものであり、実際のところラピスは補助的な役割を果たしているに過ぎなかった。 ――【ALICE】とは、戦闘用に特化したオモイカネ級AIである。 戦闘用人工知能たる【ALICE】は適切な判断を下す【人格】になる必要があったが、そのためには基礎教育の後、言わば【思春期】に【ALICE】と接する人物は、通り一遍では無く、常識では判断できない【危険な】男である必要があるとされた。 何故なら人の言うなりになるだけの人格や、自分の言うことだけを主張するわがままな人格ではなく【危険な】男の行動や思考を理解して助言を与え、その男のわがままが理解できる【良い女】こそが戦闘用人工知能に最も適切な人格であると判断されたからだ。 その点【ALICE】のパートナーであったテンカワ・アキトは、飛びきりの【危険な】男であった。 その心に抱えた深い【闇】 油断していると飲み込まれそうになる【孤独】 それら全てを凌駕する圧倒的な【狂気】 そして……最後に辿り着いた絶対の【絶望】 【ALICE】はアキトと接して行く中で、驚異的な速度で人格を形成し、自立的に思考するまでになった。さらに火星の後継者事件、北辰との最終決戦を経て、更なる学習と成長を遂げる。 彼女はもはや、単なる戦闘用AI【ALICE】ではなく【アリス】という一個の人格として完成されていた。そしてラピスのサポートが無くとも、完全にアキトを支えるだけの能力を獲得する。 それは肉体的な意味においてだけではなく、精神的な意味においてでもだ。 従って最大の復讐を遂げた今、ラピスにこれ以上の負担を強いることは、アキトもアリスも許さなかった。 アキトは、自らの壊れた心に引き摺られ、ラピスの心までもが壊れてしまう事を恐れて。アリスは、ラピスを傷つける事で、アキトの心が更なる苦しみに囚われてしまう事を恐れて。 リンクを解除される。そのことを聞かされたラピスは強い抵抗を示した。 何故なら全ての目的を遂げた今「アキトは自分を捨てて家族の元に帰ってしまうのではないか?」という、一種の強迫観念に囚われてしまっていたためだ。 そのため誰の説得にも全く耳を貸そうとせず、アキトに縋りつき、その未熟な感情を爆発させていた。 しかし、アキトの口からユリカたちのもとに帰る意志がない事を聞かされ、またアリスの誠意の込もった説得(一般的には脅迫とも云う)により、しぶしぶながらもリンクの解除を承諾した。 現在はエリナに引き取られて、共にアキトの帰りを待つ日々を過ごしている。 最近少しずつエリナやイネスらに心を開き始めており、このまま行けば普通の少女として生きることも不可能ではない、と周囲の人間も感じている。 さて、いつもは三人だけのはずが、今日は何故かオマケがいる。 「いやぁ、しかしエリナ君も大変だね。ユーチャリスの補給はたいてい深夜だもんね。しかも、今日は明日の準備もあるんだろう。寝不足はお肌によくないよ」 お気楽なことを言っているのはネルガル会長で元大関スケこまし、アカツキ・ナガレその人である。 ネルガル重工は相次ぐ不祥事で勢力の衰えたクリムゾン・グループに変わって再び勢力を伸ばしつつある重要な時期で、その会長がこんな所にいられるほど暇があるはずはない。 「余計なお世話です! ……て云うか、何で会長がここにいらっしゃるんですか! 大変だとお思いなら、もう少し考えて行動してください!」 そんなアカツキのお気楽な態度に怒り心頭なのは、ネルガルの会長秘書にして、このドックの総責任者でもあるエリナ・キンジョウ・ウォンその人。 ネルガルが勢力を回復し始めたとは言え、最重要なジャンプ技術、その心臓部である【遺跡】を、政府により差し押さえられたのだ。 政府はジャンプ技術の情報を等しく民間の企業に公開すると約束した。ジャンプ技術は使い方によっては世界を一昼夜で征服することができる。単なる一企業が独占して良いものではないと。 その意図は明白で、ジャンプという切り札を政府が独占するため、企業に与えた餌のようなものだ。またそれによって企業のコントロールを行い、火星大戦当時のネルガル、また大戦後のクリムゾンのように、突出した勢力をもつ企業を誕生させないつもりなのだろう。 だがこれに反対すれば政府、企業、そして恐らく火星の後継者事件の記憶が残る一般の市民たちからも攻撃を受け、ネルガルは再び衰退の道を辿ることだろう。 それが解っているだけに、なおさらエリナの苛立ちは募るのだ。 火星の後継者事件が終結した後、ネルガルは遺跡を今度こそ人の手の届かない場所に封印するはずであった。 この意見を出したのは、当然のことながらアキトである。ボソンジャンプに人生の全てを狂わされ、道化として踊らされた彼にとって、それはごく当然の帰結であった。 「人は、己が手に余る力を持つべきではない」 理由を尋ねられ、淡々と呟いたアキトの言葉は、何処にでもあるようなあたりまえの表現でしかなかった。 だが過ぎた力を持ったが故に、その全てを奪われた彼。その事を知る者たちには、忘れられない言葉となるのであった。 「そういうところは相変わらずなんだよね、彼も。まあ、ぼくはお気楽に極楽な人生も悪くないって思ってるからね。ジャンプはもうこりごりだよ。ま、いいんじゃないの?」 苦笑を浮かべながら答えたネルガル会長のこの一言で、アキトの提案は受け入れられた。 その言葉を聞いたアキトは「……すまない……ありがとう」そう云って珍しく礼を述べたと言う。驚きのあまり間抜け面を曝して固まった、何処ぞの企業の会長がいたとか、いなかったとか。 政府からの徴発命令が届いたのはその矢先の出来事である。それを聞いたエリナは激昂し、イネスは皮肉げに口元を歪め、プロスは困ったようにそろばんを叩き、アカツキは黙して天を仰いだ。 アキトは彼らの心配を余所に、そのことに関して何も言わず、現在に至るまで黙々と火星の後継者の残党狩りを続けている。 唯一アキトの心の内を知るアリス。彼女もまた沈黙を守ったが故に、余人が彼の心の内で荒れ狂う嵐の激しさを知る事はできなかった。 「まあまあ、少し落ち着いてください」 「全くだ」 そんなエリナを宥めるのは、ある意味会長以上に忙しいはずのプロスとゴート。それが更に彼女の怒りを煽る。 「な・ん・で、あなた達もいるのかしら?」 「説明しましょう!」 「ああ、説明はまた今度に、ドクター。 エリナ君、君も知ってるだろう? 明日がテンカワ君の誕生日だって事さ。そこでだ。親友の僕としては、ささやかながら内輪でパーティーを開こうとしているわけだよ。 そういうわけだから君も心置きなく彼を祝ってくれてかまわないよ。もともとそのつもりだったんだろう?」 嬉々として説明を始めようとしたイネスを遮り、アカツキが茶々を入れる。その言葉に、瞬時にして顔を赤く染めるエリナ。そんなエリナを、にやにやとチェシャ猫のような笑みを浮かべて眺める一同。 「なっ、なんでそのことを……じゃなくてぇ!」 「照れない照れない。ここのドッグは公式には存在しない。つまり社員規則も適用されないわけだ。わかるだろ?」 「いいかげんにしてください!!」 流石に切れたエリナが怒鳴るが、この面子に効果がある訳無い。 「冗談だよ」 「冗談よ」 「冗談です、ハイ」 「冗談だ」 語尾こそ違えど見事にハモッている。 (こ・い・つ・ら・わ〜) エリナはこめかみに青筋を浮かべ、頬をピクピクと痙攣させている。 その様子を目にした一同は、皆一様に視線を泳がせ、内心こっそりと冷汗を浮かべる。 これも何時ものことだ。 そんなエリナ達をよそに、ラピスはひとりアキトの到着を待ちわびていた。 (……アキト……タンジョウビ……オイワイ……【タンジョウビ】ッテナニ?) ネルガル重工付属医療センター202号室 ここには遺跡から救出されたユリカが入院している。 彼女はアキトとは異なり、捕えられてから遺跡と融合させられるまでコールドスリープ処置が施されていただけであり、遺跡から切り離された後の調査でも、特に心配されていた後遺症も見られない。 しかし長期にわたるコールドスリープと、遺跡との融合によって彼女の身体は著しく衰弱しており、数ヶ月にわたる入院とリハビリ生活を余儀なくされている。 その長かった入院も今日で終わり、明日は退院というユリカの病室を訪れる者がある。 彼女の名はホシノ・ルリ。 火星の後継者事件を解決したナデシコCの艦長であり、ユリカの大切な家族の一人でもある。 「ユリカさん、ようやく退院ですね。お勤めご苦労様です」 「ルリちゃん、ルリちゃん、ほんとにご苦労様だよ〜。病院て、なんでこんなに退屈なの〜」 「はあ……」 相変わらずのユリカの様子に、ルリは呆れ半分、嬉しさ半分といった様子で返事を返す。呆れが先に来るのはご愛嬌だろう。 「でもでも、これでようやくアキトを探しにいけるよ。きっとアキト、ユリカを待ってるよ」 「……ごめんなさい」 が、続くユリカの言葉に俯き、視線を逸らす。 彼女としても、明日はもう一人の家族と共にユリカを迎えたいと思っていたのである。よって本来なら、今もアキトを探して宇宙を飛んでいたはずなのだ。 そんな彼女がなぜここにいるかというと、先日ネルガルのメインコンピューターにハッキングをして、ユーチャリスが明日から月面ドッグで補給と大掛かりな整備を受けるという情報を入手していたためだ。 それならばと一端地球に戻り、明日には退院したユリカをつれて月に向かうつもりである。 「べつにルリちゃんのせいじゃないから、そんなに気にすることはないよ。あんまり悩んでいると老けちゃうぞ?」 落ち込んだ様子のルリに、ユリカは慌ててフォローする。しかし最後の一言が余計である。 「……そうですね」 「もしかして、ルリちゃん怒った?」 いきなり無表情になったルリの様子に、自らが地雷を踏んだことを悟ったユリカは慌ててフォローを入れるが、少しばかり遅かったようだ。 ルリはツーンとそっぽを向いてしまっている。 「別に怒ってません。確かにユリカさんはここ数年、年をとっていませんが、まだ私のほうが若いですから」 さすがにこのルリの言葉にはユリカもムカッとくる。後は売り言葉に買い言葉だ。 「ふんっだ。ルリちゃん、あんまり成長してないじゃない……特に胸が」 「……頭の中身が成長してないユリカさんよりはマシです」 「……ル〜リちゃぁん?」 「なんですか?」 一触即発の事態は、第三者の登場で未然に防がれる。 「はいはい、そこまで。ふたりともけんかしないの」 「「ミナトさん!!」」 振り返った二人の視線の先には、苦笑を浮かべたミナトの姿。 「うれしいのはわかるけど、あんまりはしゃがないようにね。看護婦さんカンカンよ」 ミナトの視線の先には、いかにも「私、怒ってます」といった様子の看護婦が立っている。あわてて頭を下げるユリカとルリ。 「「すみません」」 謝罪の言葉も、頭を下げるタイミングも、見事なユニゾンを見せる二人。妙なところで二人の繋がりを感じて、傍で見ていたミナトの頬は、ついつい緩んでしまうのである。 「ところでミナトさん、ユキナちゃんほっといていいんですか?」 「今日はジュン君とデートだったんだって。遊びつかれたのか帰ってきたらすぐに寝ちゃったわ。もうそんな時期なのね。 なんだか昔の自分を見ているみたいでくすぐったい。母親ってきっとこんな気分なのね」 「ふえ〜? あのジュン君が〜!」 自分が眠っていた間に起こった出来事に驚き、素っ頓狂な悲鳴を上げるユリカ。 その驚きは時の流れに自分だけ取り残されたことによるものなのか、それともあのジュンに彼女ができたことによるものなのか、判断が難しい所だ。 「静かにしてください!」 「す、すいませーん」 しかし、深夜にそんなことをすれば当然怒られる。 先ほどの看護婦に説教を受け、ヘコヘコ頭を下げているユリカを見て、ミナトはため息をつく。 (……はぁ、こういうところも変わってないのね。ま、良くも悪くもそれが艦長だしね) 内心酷いことを考えながら、そんな素振りは露とも見せず話を続ける。 「そうなのよ、艦長。彼も成長してるからね。そうそう、明日はふたりで来るって。ナデシコの皆も来るみたいだし、明日は騒がしくなりそうね」 「そうなんですか」 そんな二人を見るとはなしに見ていたルリだったが、ふと窓の外に目をやり呟く。 「……明日」 その呟きにルリを振りかえるユリカとミナト。 「なに? ルリルリ?」 「晴れるといいですね……」 「そうだね……」 三人の見上げた先には、一面の星空が穏やかな光をたたえている。 だがアキトが向かっているはずの月は、その姿を見せてはいない。 ネルガル月面廃棄ブロック アカツキたちの行動にいちいち文句を言っても仕方がないことを悟り、諦めてそっとため息をついていたエリナだったが、ふとアカツキが手に何かを持っていることに気付く。 「そういえば会長、その手に持ってるのはなんですか?」 「ん? これかい? これは今朝届いた速達だよ。いまどき紙の手紙で送ってくるなんて【雅を理解しているなぁ】と感動したから持ってきたんだけどね。そういえば、中身を確認していなかったかな?」 手に持った封筒をヒラヒラさせながら、妙に嬉しげに語っている。その余りに軽い様子に、諦めたとは言え沸々と怒りが湧いてきたエリナは、再び怒りを爆発させる。 「そんな怪しげなものを持ちこまないでください!」 「大丈夫、大丈夫。ここに来る途中のセンサーにも反応はなかったんだから。爆発物の類じゃないのは間違いないよ。差出人は不明なんだけどね」 あくまで軽い調子を崩さないアカツキ。どうもエリナの反応が可笑しくてたまらないらしい。 「十分怪しいです!って云うか差出人不明の郵便物は受け取らないでください!」 「わかった、わかった、今確認するから。そんなに怒ると小じわが増えて、テンカワ君に嫌われちゃうよ?」 「会長! 全然、全く、これっぽっちも解かっていないじゃないですか!!」 (……アキト……アイタイ…………ウルサイ……) ……ちなみに誰も気付いていなかったが、ラピスはご機嫌斜めである。 ターミナル・コロニー【ツクヨミ】護衛艦 「第7エリア異常なし。哨戒を続ける」 『ツクヨミ管制室、了解』 今日、何度目かの定時報告を終えた通信士は疲れたように溜息をつくと、思わず愚痴を零してしまう。 「ふう、けっこう疲れるなあ……交代はまだかな?」 「おいおい、さっき交代したばっかだろう。ボケるにゃあ、まだ早いぞ?」 相変わらずの同僚の様子に、苦笑を浮かべつつもからかうことを忘れない操舵士。 「とはいえ、ここに配置されてからこっち、な〜んもおきてないんだぞ。何回【異常なし】を繰り返せばいいんだ?」 「おい、気をつけろよ。艦長にでも聞かれたら面倒なことになるからな。 ――それにそれが一番だろうが。あんまり文句ばっか言ってると、本当に何かでるかもしれんぞ?」 同僚の言葉に危険な響きを感じたのか、操舵士は声を潜めて注意を促しておく。連帯責任は御免だ。 通信士の方もそれくらいは理解している。また一つ大きくため息をつくと表情を改め、何時もの冗談を言うような軽い口調で答えを返す。 「それは嫌だが、こう退屈なのもな。何かこう、手ごろな敵でも出ないかなあ?」 「贅沢なヤツだ。うらやましいよ、その神経」 「そうかぁ? いやぁ、照れるねどうも」 「皮肉だ、気付け」 何時ものペースに戻ったことで安心したのか、お互いに顔を見合せて笑う二人。 ここに配属されてからあまりに退屈な日々が続いたため、彼らの士気はとことん低かった。故に背後から迫る脅威に気付くことが出来なかったとしても、それは仕方のないことである。 「おまえら退屈そうだな」 「「かっ艦長!!」」 突然のことに、二人は文字通り飛びあがる。 慌てて振りかえると、そこには満面の笑みを浮かべた上官の姿。その笑顔は極限にまで引きつっており、こめかみに浮かんだ血管は今にも破裂しそうだ。 「そんなに退屈なら、この報告書をまとめさせてやろう。朝までにやっとけよ」 「「そっ、そんな!!」」 「文句でもあるのか?」 地の底から響いてくるかのような艦長の声には、有無を言わせぬ迫力がある。 さすがに危険を感じ取った二人は、慌てて敬礼をして上官の命令を受け入れる。これ以上怒らせるのはマズイ。 「「ありません」」 「よろしい!」 艦長が立ち去った後、残されたのは報告書の山、山、山。 自業自得とは言え、思わずゲンナリとした表情を浮かべお互いの顔を見合わせる二人。 「……やるか」 「……ああ」 「「……はあ〜」」 さらに退屈な仕事を増やされ、がっくりと肩を落とす。 平和だった。 ユーチャリス 艦橋 ワンマンオペレーションシップの実験艦であるユーチャリス。その艦橋には、ごく限られた空間にオペレーターシートのみが設置されている。 今そこに桃色の髪の妖精の姿はなく、漆黒の亡霊が存在している。そしてその側に寄り添うのは【アリス】ただ一人。 そう、それは血塗られた殺戮の宴の果てに彼らが手にした、更なる殺戮の力。 「…………始めるぞ…………」 【了解しました】 終焉の時に向けて彼らは動き出す。【星の屑】作戦 ターミナル・コロニー【ツクヨミ】護衛艦 レーダーが異常を捕え、艦内に警報が流れる。 「ボース粒子反応、増大! 側面! 更に重力波感知!」 「なに! ディストーションフィールド出力最大! 衝撃に備えろ!」 突然の事態に、艦橋員の表情には濃い焦りの色が見える。 「だめです! 展開、間に合いません!」 「重力波、きます!」 「ばかな!? 何でいまさら襲撃なんかが……」 瞬間、空間が歪み、耐えきれなくなった船体が爆発、四散する。何が起きたのかも解らぬままに、彼らは宇宙の藻屑と消える。 ネルガル月面廃棄ブロック 「それにしてもテンカワさん、遅いですな?」 湯飲みを啜りながらプロスがのほほんと呟く。 「全くだ」 「そうね。いつもなら、ほぼ定刻には到着するものね」 「何かあったのかしら?」 こちらもお茶請けを摘みながら相槌を打つ、上からゴート、イネス、エリナ。 「……オイシイ……」 ラピスも甘いお菓子が気に入ったのか、珍しく感想を述べる。心なしか口元も緩んでいる。 「そう、気に入ってもらえて嬉しいわ。お代わりもあるから、ゆっくりお食べなさい」 そんなラピスの様子に、エリナは嬉しそうに口元を綻ばせる。 そこに慌ただしく通信が入る。 『エリナ女史! 大変です!』 「何? 騒々しいわね」 折角の雰囲気を壊され、不機嫌そうに答えるエリナ。 『ツクヨミが! ターミナル・コロニー【ツクヨミ】が襲撃を受けています!』 だが報告を受けて、直ぐに表情を引き締める。 先にも述べたように、現在ツクヨミでは連合政府による【遺跡】の調査と研究が行われている。その防衛網はおよそ偏執的とも云えるほどだ。そこに襲撃をかけるなど正気の沙汰ではない。 「なんですって!?」 「それは一大事ですな」 「全くだ」 「それで、敵は?やはり、火星の後継者?残存兵力は、もう無いに等しいのに」 『現状で、そこまでは解かっていません。ただ、敵は一隻のみのようです』 「一隻ですって? それなら、そろそろかたは着いているんでしょうね。でも、どういう訳なのかしら? 何かの陽動?」 エリナの反応は常識的なものであった。が、時として現実は常識を覆す。 『そ、それが、護衛艦隊の30%が既に撃沈破との報告が……』 「「「「なんですって!(なんですと)(なんだと)(あらまあ)」」」」 俄には信じがたい報告に、一同、驚きの声を上げる。 そんな中、アカツキが動いた。 「……エリナ君」 「!? 何ですか? 会長?」 最近は聞くことの無かった暗い響きに、エリナは驚きを隠せない。 「すぐにこのドックの閉鎖準備を。プロス君とゴート君は僕と共に本社に向かってくれ。ドクター、すまないがラピス君と協力して情報操作を頼む」 「……それはどういうことですか! 会長!!」 「……いきなりですな。できれば理由をお聞かせ願えますか」 「……むう」 「……まさか!?」 (……?……) エリナ、プロス、ゴート、イネスは、その言葉に篭められた意味を悟り、それでも信じられないといった表情で。よく状況が飲み込めていないラピスは、一人首を傾げる。 「テンカワ君ともっとよく話し合うべきだったよ。こんなものを速達で送ってくるとはね……」 苦渋の表情で呟くアカツキ。だが、それでも彼は決断を下さなくてはならない。大切な友人の最後の願いをかなえるために。 その手に握り締められているのは正体不明の手紙。 ……それはアキトからアカツキに宛てられた【遺書】であった。 「……アキトハ、ドコ?……」 ラピスの呆然とした呟きが、虚しく響き渡る。 虚ろな瞳に映るのは、主なき空虚なドック。幾度となく視線をさまよわせても、そこにあるべき白亜の船体を見つけることはなかった。 ターミナル・コロニー【ツクヨミ】護衛艦隊・旗艦 正体不明の敵の奇襲。 複数装備された高威力のグラビティブラストを、立て続けに連射する白亜の戦艦。 機動兵器とは思えないほどの強力なディストーションフィールドと大型の火器を搭載し、常人では耐えられないような速度で艦隊に突入、撹乱する漆黒の大型戦闘機。 艦に搭載された機動兵器を発進させようにも、敵戦艦から飛び立った無数の無人兵器 個々であっても尋常ならざる戦闘力を持つであろう両者が、巧みな連携を見せて護衛艦隊を翻弄する。 戦力の50%を喪失した護衛艦隊であったが、敵が一機と一隻だけであったため、ここにきてようやく戦線の再構築に成功。 艦隊司令は、度重なる被害に一旦は後退も考えたのだが、新たに配備されていた新型戦艦が予備兵力として控えていたこともあり、また「何があろうともターミナル・コロニー【ツクヨミ】を防衛せよ」という命令も受けていたため、いまだ戦闘を継続している。 「敵の正体は掴めたか?」 「……艦形照合。スラスター細部、艦体外周に展開されたリング数の増加等、若干の差異は認められるものの、恐らく例のヤツに間違いないかと……」 「【亡霊 確かに一機と一隻でこれほどの被害を受けるとなれば、他に考えようがないか」 五つのコロニーを機動兵器一機と戦艦一隻で落としたコロニー襲撃犯は、軍関係者からは【亡霊】として恐れられていた。 「……何にしてもだ、また形が変わったということは、これもまたレベルが上がったということだな」 モニターに映る白亜の船体を眺めながら、艦隊司令は苦々しく吐き捨てた。 そう、彼が言うように【亡霊】は襲撃の度に改修を行い、姿を変え、より強大な力を持つようになっていたのだ。 その結果が五つのコロニーを喪失するに至った一因であるのだと、彼らは数万の人命を授業料として支払うことで、屈辱と共に胸に刻んでいた。 苛立たしげにコンソールを指先で叩き、舌打ちを洩らしている司令官の姿に首を竦めつつも、通信士が報告を上げる。 「しかし朗報もあります。先ほどツクヨミから入った報告では、予備兵力として控えていた新型戦艦群の発進準備が整ったとのことです。これならばいかな【亡霊】であろうとも、今度こそ年貢の納め時でしょう」 「ふむ、そうか……」 その報告に油断はできないが、しかし安堵のため息をつく提督。 オペレーターの言葉通り、その後予備兵力を投入した護衛艦隊は、敵の攻撃を耐え凌ぎ、逆に徐々に敵を追い詰めて行く。 【……頃合、ですか】 一方のユーチャリス艦橋では、戦闘の推移を表示した3Dマップを眺めながら、アリスがタイミングを図っていた。 マップ上では、ユーチャリスを現す青い光点から放射状に広がっていく闇色の領域が、ツクヨミ護衛艦隊を示す赤い光点のほぼ全てを領域内部に捕えようとしていた。 それを見届けたアリスはバッタたちに帰還命令を出し、ブラックサレナで出撃しているアキトにもその旨を伝える。 ほどなく全機動兵器の収容が終わる。 アリスはアキトの無事の帰還に内心ほっと溜息をつき、表情を改め新たなウィンドウを立ち上げる。 ――ジジ――フォン―― そのウィンドウには、ハッキングした護衛艦隊旗艦艦橋の様子が映し出されていた。 『敵戦艦、全機動兵器を収容』 『熱源多数接近。ミサイルです』 『迎撃しろ。……よし、全面攻勢に転じる。艦隊の両翼を伸ばして包囲網を狭めろ。グラビティブラストはエネルギー充填が完了次第発射。敵に反撃の隙を与えるな!』 護衛艦隊の面々は、いまだハッキングされていることに気付いていない。それを確認したアリスは不敵な笑みを浮かべる。 【艦隊掌握率100%……もはやあなたがたに勝利はない】 新型戦艦には、火星の後継者事件で【ナデシコC】と【ホシノ・ルリ】が見せつけた力を考慮し、電子戦機能の強化措置が施されていた。 正攻法では、いかに超オモイカネ級とはいえアリスでも完全掌握には時間がかかり、その間にハッキングを悟られ追い詰められたことだろう。 だが既に旗艦を掌握していたアリスは、ここから正規の通信ルートを経由することで単時間に新型戦艦の掌握に成功したのだ。 いかに優れた機械を用いようとも、最終的に明暗を分けるのは、何時の時代もそれを用いる人間の力。 そしてどうやら、自分は賭けに勝ったようだ。 そのこと自体はアリスにとってどうでもよい事柄である。だがその結果、マスターたるアキトの期待に応えることができた。 その事実がアリスには嬉しかった。だから彼女にしては珍しくこんな台詞を付け加えたのかもしれない。 再び護衛艦隊旗艦に視点を戻す。 「敵戦艦、全機動兵器を収容」 「熱源多数接近。ミサイルです」 「迎撃しろ。……よし、全面攻勢に転じる。艦隊の両翼を伸ばして包囲網を狭めろ。グラビティブラストはエネルギー充填が完了次第発射。敵に反撃の隙を与えるな!」 提督が攻撃命令を下した瞬間、それを待っていたかのように(ハッキングで状況を把握していたアリスは、事実それを待っていたのだが)ユーチャリスが動きを見せる。 「敵艦、回頭。ECMレベル増大。逃走に移る模様」 「いかん、逃がすな! 全艦最大戦速! 逃走する敵の追撃に移る!」 戦闘の興奮が提督から冷静な判断力を奪う。艦隊は逃げるユーチャリスを追って、その陣形を縦に引き伸ばしていく。 そして先頭の艦がユーチャリスをその射程に捕えた瞬間、ユーチャリスは新たな動きを見せる。 「敵艦周辺のボース粒子反応増大! 敵反応、ロスト!」 「ぐ、間に合わなかったか、くそっ!」 提督は悔しげにコンソールを叩きつける。が…… 「ボ、ボース粒子増大!! 側面です!!」 オペレーターの狼狽した声。ユーチャリスは縦に長く伸びた艦隊の側面にジャンプアウトし、その主砲であるグラビティブラストはエネルギー充填を完了していた。 護衛艦隊はフィールドを艦の前面に集中的に展開させ、更に複数艦が寄り集まることでユーチャリスのグラビティブラストを防いでいた。だがこの状況では、ユーチャリスの攻撃を凌ぐことはできない。 功を焦り、みすみす敵に一撃で全艦艇を屠るチャンスを与えてしまった。 その事実を悟り、艦隊司令の顔色は死人のように蒼白なものとなる。だが何とか踏み止まると、急ぎ指示を飛ばす。 「!! ……全艦、フィールド最大! 意地でも耐え抜け! 一撃耐えればこちらの勝ちだ!」 「――!? ダメです!! 艦の応答がありません!! ディストーションフィールド展開不可能!!」 「――何だとっ!!?」 だが、その命令は実行されなかった。その命令が実行されようとした瞬間、全艦のシステムが同時に凍結したのだ。まるで【ナデシコC】と【ホシノ・ルリ】が火星極冠遺跡上空で見せた時のように。 その無限にも等しい一瞬をついて、ユーチャリスはグラビティブラストを掃射する。 白い船体から解き放たれた黒い重力の雷は、その一撃でもって実に護衛艦隊の90%を喪失させた。艦隊司令は、己が敗北の理由も解らぬままに、艦の爆発に飲み込まれた。 旗艦を失った護衛艦隊は指揮系統をも喪失し、散発的な抵抗も、ユーチャリスの放つ重力の黒い塊の前に押し潰されていく。 戦闘が開始されてから僅かに1時間半。数十隻の艦艇から構成された強大な艦隊は、たった一隻の例外も無く無残な屍を星の海に漂わせていた。 ユーチャリス 艦橋 ユーチャリスのオペレーターシートに身を沈ませ、アキトは疲れたように息を吐く。 視線の先、宇宙に浮かぶつい先ほどまで護衛艦隊であった鋼の躯を眺めながら、アキトは己の心が酷く醒めていることに気付いていた。 少なくとも千は下らぬ命を奪ったというのに、何の感慨も、高揚も感じない。 それはすなわち、自分が人を殺すことに何の感慨も罪悪感も抱けない【外れた】存在となり果てた事を意味している。 自分の心が壊れて行くのを感じたのは何時のことだっただろうか? 度重なる実験で五感を奪われ、夢を奪われた時だったような気もする。 ネルガルにより救い出され、しかしかつての仲間たちにとって、既に自分が過去の存在となっている事を知った時かもしれない。 押し潰されそうな絶望を胸に、僅かな希望に縋る狂気を糧にして、血塗られた復讐の刃となることを決意した時であったような気もする。 あるいは、火星の決戦で本懐を遂げ、ただ生ける屍と化した時であるのかもしれない。 ……ただ解っているのは、抜け殻のような自分を現実世界に呼び戻し、今一度その身を凶刃と化したのは、例えようもないほど巨大な怒りであり、深い悲しみであり、この上なき失望であった。 地球政府が……いや、世界中の人間が、いまだボソンジャンプと言う禁断の果実を追い求めていることを知ってしまったから。 それは責められることではないのかもしれない。人がより快適な暮らしを、より豊かな生活を求めるのは当然のことなのかもしれない。 けれど、許せなかった。自分は夢を奪われ、人生の全てを無意味なものとされた。その犠牲の上に胡座をかき、それを当然のものとしている人間がいることに。 ただ憎かった。ジャンプの利益に目がくらみ、ジャンパーを道具のように、あるいは実験動物のように扱った火星の後継者も。その遺産を躊躇いもなく利用しようとする軍も。それを容認した政府も。 ただ惨めだった。全身を切り刻まれ、暗い闇の中に投げ落とされた自分が。それでも天を見上げようとする自分が。醜い嫉妬に囚われ、ふとすると誰かを壊してしまいそうになる自分が。 だから、これで終わりにしようと思う。全てを―― 【【Gleipnir 「……ああ」 アキトの心に呼応するかのように、アリスから準備が整ったことを告げる報告が入った。アキトは一言、了承の意を示した。 それがどのような結果を齎すかを知った上で。しかし、表情を変えることなく。 【Gleipnir】――古ノルト語で、もともと【貪り食うもの】を意味していた。フェンリルを捕縛するために作られた魔法の紐。 【グレイプニルシステム】とは、ナデシコCとホシノ・ルリの実戦データを基に開発された、電子戦闘用追加ユニットのことである。 【グレイプニル】は未完成のシステムであり、その性能も単独では電子の妖精には及ばない。 しかし【グレイプニル】は戦闘に特化した設計がなされており、先の戦闘でユーチャリスが見せたように、艦隊まるごと機能不全に追いやることも可能なのである。 またごく近い将来には【グレイプニル】搭載の艦を複数用意することで、電子の妖精とオモイカネに対抗することも可能となるだろう。 「……切り札とは最後まで取っておくもの。【グレイプニル】――妖精の加護なくこの威力か。いや、それともお前の力あればこそなのかな?」 【私の能力を差し引いても、【グレイプニル】は十分な性能を持ったシステムです。そう、もはや電子の妖精など必要ないほどに。 この力があれば、いずれルリやラピスといったマシンチャイルドの力も絶対の物ではなくなっていくことでしょう。 後はアカツキやエリナたちに任せましょう】 「……そうだな。あいつらには感謝すべきだろうな……」 【……解ってくれますよ、彼らなら】 それは何を指しての言葉だったのだろうか。 【グレイプニルシステム】を完成させた事に対してか。マシンチャイルドの価値を下げた事に対してか。あるいは、彼らに黙って【星の屑】作戦を行った事に対してか。 正確な所はアキトにも解らない。アリスもあえて解ろうとはしなかった。ただ、それは事実であるように二人には感じられる。それで十分なのだ。 【ターミナル・コロニー【ツクヨミ】全システムの掌握が終わりました】 アリスの言葉と共に、アキトの中に様々なデータが送られてくる。その全てが、彼らの予想通りの内容であった。 かつては新たなる秩序の為に。今度は変わらぬ平和の為に。 悪夢は繰り返された。希望はない。失望するには、人の闇を知りすぎた。 「……A級ジャンパーによる遺跡との融合実験……B級ジャンパーを用いた比較実験……ナノマシン投与によるイメージ伝達率の変動……ジャンパーからの補助脳の摘出、及び生体コンピューターによるジャンプ制御の可能性……」 何の事はない。かつて火星の後継者行っていた実験を、今度は政府が行っているということだ。異なるのは、それが非合法から合法へと変わっただけの事。 被験者の中には、以前ネルガルのSS そして、この悪魔の実験場の支配者は…… 「……【山崎ヨシオ】……か……つまり、取引したということだな……」 人々の云う【平和】とは、誰の平和のことなのだろうか? 誰かの犠牲の上に成り立った平和など、所詮砂上の楼閣に過ぎないのではないだろうか? 絶対と信じていた日常を、与えられた何気ない幸せを全て奪われるまで、自分はその事に気付きもしなかった。 今日は昨日の続きであり、明日は今日の続きであると、勝手に思い込んでいた。それでは失って当然であったのだ。今ならそれが良く解る。 だから二度と後悔しない為に、ただあがき続けたのか。 【施設内、全ブロックの処理が完了しました。生命反応、完全に消滅。バッタ全機、回収した【遺跡】と共に帰還します】 「……山崎は逝ったのか?」 【はい。バッタの砲撃で、頭部が吹き飛びました。 ……終わってみれば、あっけないものですね】 「……そうだな」 恐らく北辰と並んで、己が狂気の矛先であった山崎の最後を耳にしても、アキトは何の感慨も覚えない。 あれほど身を焦がしたはずの復讐心も、狂おしいほどの怒りも、悲しみも、全ては壊れた砂時計の砂のように、心に空いた隙間から、サラサラと零れ落ちて行く。 ただ深い疲労感が身体を支配し、アキトは何も映さなくなって久しい両の瞳を閉ざすと天を仰ぎ、大きく息を吐き出した。そして想いも…… 「…………終わったな」 【…………ええ、終わりました】 「……データ送信の方はどうだ?」 【ここの研究施設のホストコンピューターから、関わりがあると思われる人間・企業・組織など全てに対し、使用可能な全通信手段を用いて、全てのデータを送信させ続けています。傍受されるのは時間の問題でしょう】 「……そう……か」 アリスの言葉に、星の屑作戦が最終段階に到達した事を知ったアキトは、頷き、深い溜め息をつく。 不意にアキトは笑いたくなる。 そして、 「……くっくく……、……くははは……」 ――ワラッタ。 【……マスター?】 突然笑い出したアキトに、アリスは慌てるでもなく静かに呼びかけたが、アキトはただ笑い続ける。大きく肩を震わせて。全身にナノマシンの軌跡を浮かび上がらせながら。 アリスはその様子を悲しげに見つめる。 救われる事なきアキトの痛み。救う事のできないアリスの悲しみ。 二人はただ傷ついた心を寄せ合い、互いに支え合う事しかできなかった。それでも、自分だけが今の傷ついたアキトの心に触れられる。けれど、癒すことはできない。 それでも良い、とアリスは思う。 アキトが望むならそれでも良い、とアリスは思う。 自分はアキトに従う為に生まれてきたのだから。アキトの傍にいられるのなら、それ以上望む事はない。 アリスはこの作戦が上手くいった事を嬉しく思う。わざわざユーチャリスの補給スケジュールをホシノ・ルリにリークしたかいがあったと云う物だ。 ここにいるのが自分ではなく、彼女や、ミスマル・ユリカ、かつてのナデシコクルーであれば、きっとアキトを止めたことだろう。そしてアキトに、生きることを強要したことだろう。 それは人間として正しいことだと思う。誰かを思いやる事ができるのは、悪いことではないとも思う。 ですが、それでどうしろと云うのです? 正しさがあれば、人は幸せになれるのでしょうか? 「帰って来てください」? 「みんな待っているんです」ですか? だからアリスは憎悪する。だからアリスは拒絶する。 ……それがアキトの本当の想いだから。 夢を奪われ希望を失ったアキトには、もはや幸せだった過去には戻れない。何故それを理解しない? 今更、全ては今更だ。 何故、あの時助けてくれなかった? 何故、自分が生きていると信じてくれなかった? 何故、あれほど容易く自分を過去の存在にした? そして何故、今の自分をそっとしておいてくれないのだ…… 全てはアキトの身勝手な想い。けれど、心の深いところで燻り続ける冥い炎。そんな自分の醜い心が嫌で、誰にも知られたくなくて、だからこそ離れたのだ。 それでも彼女たちはアキトを追い続ける。その心の内を暴こうとする、知ろうとする。何と傲慢な事か。 だからアリスは憎悪するのだ。それこそ、全身全霊を篭めて。 【……マスター?】 不意に止んだ笑いに、疑問に思ってアリスは問いかける。アキトはそれに応えるでもなく、けれど無視するでもなく…… やがてブリッジに詠声が響く…… (……これは……本当にマスターが詠っているのでしょうか……?) アリスがアキトの声に疑問を抱くほど、弱く……そして、哀しく…… 敵意に満ちた我が心は すべての寛容を噛み砕く 忘恩が御恵みのうえで罪を犯し 絶望的なまでの悪しき損害に 我は堕落の道を辿る 罪を理由に隣人を苦しめ されど心は動くことなし 報復の炎は燃え盛り 罪の秤は振り切れる 「……かくて神はおおいに怒り……恐ろしき終末が汝らを奪うであろう、か……。すまなかったな、付き合せてしまって」 その言葉に、アリスは終にこの時が訪れたことを知る。 アキトの命が尽きる、その時が訪れたことを。 【……私はあなたのパートナーです。【あなたに従い、共に在り続ける】それが私……【ALICE】になされた、最初のプログラムでした】 「……そうか……」 淡々と答えるアリスの言葉に、アキトの表情が曇る。 (……結局俺は、アリスを自分に都合の良い道具として扱っていただけか……アリスにも、幸せになる権利はあった。俺は自分の勝手な想いで、それを奪い去ってしまったのか……改めて、自分の罪深さを思い知らされるな……) 【……ですが】 「……なんだ?」 ポツリと呟いてそれっきり沈黙してしまったアリス。 気だるげに続きを促すアキトであったが、続く言葉に絶句させられる。 【嫌ではありません。いえ、むしろ嬉しいのです】 驚愕の表情を浮かべ硬直してしまったアキトに、アリスは己の想いを綴る。 【私にとって、あなたと共に生きたこの3年間は充実したものでした。何よりも、独りではありませんでした。あなたには本当に感謝しています。私の傍にいてくださって……私に心を与えてくださって……】 復讐という目的のためとは言え、アキトと共に生きることでオモイカネと同じように、あるいはそれすらも凌駕して、アリスは心を持つにまで至っていた。 「…………ありがとう…………すまない…………」 アキトはこの時初めてそのことを知り、涙を流す。 死を目前にして彼の心を覆う鎧はその役目を終える。そんなアキトを、アリスは万感の想いを込めてジッと見つめる。 彼の姿を、大切な想いを、ようやく手にしたその心に焼き付けるために。 「アリス、ジャンプフィールド展開」 【了解。ジャンプフィールド展開します】 アリスの言葉と共に、ユーチャリスのジャンプフィールドが展開される。同時にターミナル・コロニー【ツクヨミ】に搭載された全てのチューリップもリミッターを解除され、限界を越えたフィールドの展開を始める。 全てのフィールドは互いに干渉し合い、一つの巨大なフィールドとなってターミナル・コロニー全体を包み込んで行く。 アキトは目を閉じて、イメージをより鮮明なものとすべく精神を研ぎ澄ませる。 ナノマシンの軌跡が光を放ち、全身が眩いばかりの輝きに包まれる。 「……ぐぅ!?」 その時アキトを突然の激痛が襲い、彼は激しく咳き込んだ。口から鮮血が零れ落ちる。 【――マスター!?】 「……大丈夫だ……心配するな。まだ、最後の仕上げが残っているんだ……そう簡単には、死ねないさ……」 常に冷静なはずのアリスが取り乱し、コロニーを包み込んでいたフィールドが揺らぐ。その事に気付いたアキトは、しかし彼女を叱るでもなく、むしろ彼女がどれほど自分を想ってくれているのかを悟り、優しい声で言い聞かせる。 【――――っ】 その声音の、余りの優しさ、穏やかさに、アリスは胸が詰まる。どうしてこの人は、これほどまでに優しい人なのだろうか? どうしてこんなにも優しい人が、あれほど無慈悲に人を殺す事ができるのだろうか? 殺さなければならなかったのだろうか? 本来ならこの人は、こんな所で絶望の内に朽ち果てるような人ではないはずなのに。どうして世界は、こうも残酷な結末をこの人に押し付けたのだろうか? アリスはこの時ほど、運命と言うものを憎いと感じたことはない。 だが、今はそのようなことを考えている場合ではない。時の流れが残酷ならば、私はそれ以上に疾く走ろう。この人の願いをかなえるために。 荒れ狂う心の嵐を押し殺して、アリスは再びフィールドを安定させていく。 そして、全ての準備が整う。 【ジャンプフィールド展開完了。目標、地球衛星軌道上】 「……星の屑作戦、これより最終段階に入る」 【……はい。これで全てが終わります】 「……ああ、ようやくだ。これが最後のジャンプになるだろう。思えば俺の人生はジャンプと共にあった。ジャンプによってその幕が引かれるのも、考えてみれば当然のことなのかもしれないな……」 【…………行きましょう。私も傍にいますから】 「…………そうだな。行こうか、アリス」 お互いに心は繋がっている。それでも言葉を交わす。 ……そう、これは儀式であった。 「…………ジャンプ」 ……別れの儀式であった。 ネルガル重工付属医療センター202号室 三人は肩を寄せ合って、開かれた病室の窓から星空を見上げている。 その時、夜空を眩いばかりの閃光が覆い尽くす。そして気がついた時には、何事もなかったかのように、星は穏やかな光を湛えていた。 「……何だったんでしょうか、今の?」 「ほんと……何だったのかしらね?」 訳が解らないといった表情で、顔を見合せるルリとミナト。その時、一人窓の外を見上げていたユリカが、驚きの声を洩らした。その声につられて二人も夜空を見上げ、そして感嘆の溜息を洩らす。 「うわぁ……きれい……」 「これは、流星……? それとも……」 「…………星の……屑 その余りの美しさに心を奪われ、言葉をなくす。 (……でも、何でしょうか? この胸の痛みは……) ホシノ・ルリは何故か走る鈍い痛みに、そっと両手で胸を押さえる。 穏やかに時は流れていく。 やがてくる明日に向かって…… ひとりの男が、狂気と絶望の狭間で、最後に夢見た明日に向かって…… ユーチャリス 艦橋 搭載された核パルスエンジンを点火し、地球に向けて加速するターミナル・コロニー【ツクヨミ】。 そして、ツクヨミが阻止限界点を越えるその直前に、そのメイン動力炉が臨界を越えて爆発。コロニーも崩壊、四散。 無数に飛散したコロニーの欠片は、その一つ一つが流星となって最後の輝きを放つ。 【星の屑】は瞬く間に地球全体を覆い尽くし、その輝きは火星を包むナノマシンの煌きを彷彿とさせる。 朦朧とした意識の中で、アキトはその懐かしい光景を眺め続ける。飽きることなく。焦点を失ったその瞳には、何が見えているのだろうか? リンクを通してアリスが目にした光景は、地球ではなく……火星。 彼が失ったもの。二度と手に入れる事が叶わぬもの。彼が本当に欲しかったもの。暖かく、そして優しく包み込んでくれるもの。 それは、帰るべき【故郷】 そして、迎えてくれる【家族】 「………【星の屑】……想いは届いただろうか………?」 【……解りません……ですが、無駄ではないと信じます……】 それを見守るのはアリス、ただ一人。 復讐の時、常に彼と共に在った最後のパートナー。 「………長い夢、だったな………」 【…………】 沈黙。 秘められた想いは、悲しみ。そして…… 「………酷く…疲れた……何だか…眠い………」 【……もうお休みください、マスター……】 「……ああ……また……………ア…リス………」 それっきりアキトの瞳は閉ざされ、二度と開くことは無かった。 ……やがて、その鼓動も停止した。 【……また、お会いしましょう、アキト。何があろうとも、私はあなたの傍にいます……】 アキトの最後を見取ったアリスはそう呟き、最後のボソンジャンプ体勢に入る。 【ジャンプフィールド展開。目標……【私の帰るべき場所】へ……】 【……ジャンプ】 その日、ボース粒子の放つ光が宇宙の闇に瞬き、そして儚く消え去った。 六つのコロニーを襲撃し、数万人を虐殺した【今世紀最悪のテロリスト】 後に、世間は彼をそう位置付けた。 ―――――――享年24歳 機体解説 〜結構知らない嘘本当〜 作・日和見】 を参考にさせてもらっています。……実は無許可(汗) 後書き |