二月号の ”「ゆとり教育」の責任者に問い糺す”と、詰問者の櫻井よしこ氏が冒頭言及した(諸君!
1999年10月号)八木秀次氏の「日本の教育を牛耳る寺脇研の正体――汝、亡国の文部官僚なりや」
を併読しながら思った。

 

 二年前の新学期から土曜も休みの「ゆとり教育」が始まった頃、私は「学校の生徒・児童にゆとりなど
いるものか、若い時にこそ詰め込み教育せなばならないのに、文部省はアホか」と呆れていた。

 対談と八木氏の二編を読んでいかに杜撰な「指導」だったかがよくわかった。
 

 ただ、槍玉にあげられた寺脇氏の言う「子供を自然に触れさせて、例えば実地で生物や昆虫の生態
を観察 させること」は大事なことだ。私どもが小、中学生の頃と違い、開発の進んだ現今では殆どそれが
出来ないないのは正にその通りだ。

 しかし、その「生活科」導入のため、土曜日を削ってまで基礎学科を減らすというのは大間違い。
六日間の授業で従前の学科時間と「生活科」を按配すればよいことだろう。

 八木氏が指摘するように、かつてアメリカで「教育の自由」の提唱のもとに「ゆとり教育」路線そのもの
が実施され、その結果は暴力、性犯罪の横行、学力低下が問題視されることになった。日本では、それを
他山の石とせず、そのまま辿ったわけだ。

 「ゆとり教育」の旗振り役を勤めた寺脇氏が糾弾されるのは当然として、こんな愚かな教育改革をなすが
ままにさせた文部省や文科省の責任はもっと重い。

 方針に過ちがあれば速やかに是正すればよい。それより、実施して二年ほどで欠陥が認められるよう
な愚策に当初誰も異をさしはさまなかったのだろうか。

 自然に学び、自ら課題を見つけ考えるには基礎・基本が先ず必要ではないか。