「ねぇ、ミネア聞いた?今日入ってくるバトラー見習のこと。
 何でも養成学校を主席で卒業した、若いイイ男っていう話じゃないvv」
食後のお茶を味わいながら、
どことなく艶めいた感じのする邸内担当のマーニャが訊ねる。
「全く、姉さんたら、そういうことだけは詳しいんだから…ええ、聞いたわよ。
 ブライさんが直にお会いして、こちらに来ることになったということも」
と応えるのは、同じ服装をしていながら、
こちらは落ちついた知的な魅力を感じさせる給仕担当のミネア。
「えーっ!あの爺さん自らが勧誘するなんて…よっぽど優秀ってことね。
 でも、若手を採用するってことは、爺さん、もう引退するつもりなのかしら?」
「ブライさんも、もういいお歳ですからねぇ…。家のことは新しい人にまかせて
 ユーシャさんの指導に専念するおつもりなんでしょうか?」
と茶々を入れるのは、これから片付けが待っている恰幅のいい料理長。
「……………」
無言でお茶をすする庭師。

そこへ…、
「お前たち!朝食の後、いつまでくっちゃべっておる!
 アリーナはもうとっくに庭に出てるぞ!お前たちもさっさと仕事に戻らんかーっ!!」

―― そうして、クェラー家の日常が始まる。



『クェラー家の人々』 ― 出会い ―



「よいしょっと…。うん、これで大丈夫」
クェラー家敷地内で一番大きな樹の上、アリーナはにっこりと微笑んだ。
彼女の目の前には、小鳥の巣。
再会を果たした親鳥と雛とが喜びの声をせわしなくあげている。
「ふふふ…、よかったね」
そう小鳥たちに告げると、彼女は自分の世界に戻るべく、下の枝に足をかけた。その時、
――― 一陣の風。


「話には聞いていましたが…、りっぱなお屋敷ですね…」
ちょうどその頃、敷地内の庭園を屋敷に向かって歩く青年がひとり。
華美でなく、かといって地味すぎでもない服装。
すらりとした長身、理知的で端整な横顔。
使用人たちが騒いでいた新しいバトラー、クリフトである。
とはいえ、そんなことは知るはずもない彼は、
広大な敷地を見回しながら、
(何故ブライさまはご自分がいらっしゃるのに
 学校を出たての自分などを採用されたのだろうか…?)
などと、考えにふけっていた。
が、ふとしたことが彼の思考を中断させる。
敷地内でもひときわ大きな樹。けれど、わざわざ近寄ってみたのは違う理由。
何故だかその根元に置きっぱなしの庭ぼうき。
手入れが行き届いているはずのこの家にしては、それがここにあるのはおかしかったから。
手にとって訝しげに眺めている彼に、
――― 一陣の風。

そして、

「きゃっ!!」
高い悲鳴の後、それは落ちてきた。あまりにも突然に。
クリフトは、慌ててほうきを投げ、上を見あげて、
どすんっ!
なんとか腕の中に抱きとめた。おさげの可愛らしい少女を。


いつもの自分だったら、こんなことないのに。
やっぱり、ひさしぶりの木登りだったからかな…
突然の風に驚いて足を滑べらせたアリーナは
落下の瞬間、そんなことを考えながら、
目をつぶって来るべき衝撃に身構えていた。
けれど…、
どすんっ!
予想していたよりもずっと軽くてやわらかい衝撃。
それに、あたたかい。なんでだろう…?
落下の緊張がまだ解けないアリーナの頭上から、
「大丈夫ですか?」
穏やかに降ってくる、優しいテノール。


腕の中の少女は、
落下の衝撃のためか、まだ目をつぶって身体を硬くしていた。
こんな状況に出会ったことのないクリフトは、
自分も緊張しながら、彼女に声をかける。
「大丈夫ですか?」
ようやく少女の体から余分な力が抜けて、彼女は目を開ける。
自分を見つめる大きな蘇芳色の瞳。
ばくんっ!!
その瞬間、心臓が大きな音をたてたように弾けた。


クリフトの顔が朱に染まる頃、
彼を見つめていたアリーナは、ようやく自分の置かれている状況を理解した。
間近にある心配そうな濃藍色の瞳、しっかりと自分を抱えているあたたかい腕…。
クリフトの動揺が移ったかのように、アリーナも顔を真っ赤に染めて彼の問いに応える。
「あ、大丈夫…」
「立てますか?」
「うん…」
地面に彼女の足がつく。
あらためてクリフトに向き直ったアリーナは、急にうろたえ始めた。
「あああ、すみませんっ!こちらへいらしたお客さまなのに!」
あわてて言葉づかいを改めて話す少女の可愛らしさに、
クリフトはつい笑みを洩らしながら自分の名を告げる。
「いいえ、私は違います。今度こちらにお世話になることになったクリフトです」

「そうだったの!ブライさんから話は聞いているわ!私はアリーナ。よろしくね!」
ほっとした表情で、アリーナは彼の両手を握る。
ばくんっ!!
また大きな音をたてるクリフトの心臓。
「い、いえ…、こちらこそ…、よろしく、お願いします」
「これからブライさんのところに行くの?だったら案内してあげる!」
「え、ええ…。でも、お仕事いいんですか?」
「少しくらいなら…。だって、この家の中で私が一番の新人だったから。
 クリフト…さんも、新人さんなんでしょう?だから、なんか嬉しくって!ね?」
そう言いながら、彼女は早くも屋敷へ向かって歩き始める。
クリフトも慌てて後を追い、彼女と並んで歩を進める。

「アリーナさんは、いつからこちらで働かれているんですか?」
何気ないクリフトの質問。しかし、
「半年くらい前から、かな…」
アリーナの瞳に一瞬、暗い影がよぎる。
「そうですか。…それにしても何故、樹の上にいらしたのですか?」
彼女の変化に気づいたクリフトはさりげなく話題を変える。
その理由がわかるはずはないけれど、ただ彼女に笑っていてほしかったから。
「うん、あのね…」
彼女は再び瞳を輝かせて、嬉しそうに雛を巣に戻した一件を話し始めた。

「…そうでしたか。しかし、今回は私がたまたま近くを通りかかったから
 良かったものの…、お怪我をされるようなことは慎んだ方がよろしいですよ」
「そうね、今度は樹から落ちないように気をつけるわ!」
それは少し違うと思ったクリフトだが、何も言い返すことが出来なかった。
瞳をくるんとまわして言い切るアリーナがあまりにも可愛らしかったので。

そんなことを話しているうちに、ふたりは屋敷にたどり着いていた。
「ブライさんはね、今の時間ならあっちの書斎にいると思うわ、クリフト…さん」
「ありがとうございます。それと、私のことはクリフトで構わないですよ」
「え、いいの?」
とまどうような瞳を向けたアリーナに、クリフトは肯定の笑顔で応える。
「…じゃあ、クリフト。ちょっとかがんでくれる?」
「?」
言われた通りにかがんだクリフトの耳元に
アリーナは顔をぎりぎりまで近づける。
“助けてくれてありがとう”
そう恥ずかしそうにささやいて、
アリーナは屋敷の外へと駆け出していった。

無邪気なアリーナの不意打ちにあったクリフトは、
手で耳をおさえてしばし呆然としていた。
しばらくして…
ようやく、平常心を取り戻した彼は
アリーナに教えられた通りに書斎へと歩いていった。


数刻後、ふたりは再会した。
ブライがクリフトを屋敷のみんなに紹介する。
クェラー家のバトラーの制服は、おそろしいくらい彼に似合っていた。
(ブライさんと同じ服装だなんて信じられない…)
アリーナは、ブライの話そっちのけで彼を見つめていた。
彼を見ているとドキドキしてくるのは何でだろう…?
そんなことを思っているアリーナの耳に、マーニャとミネアの囁き声が聞こえてきた。
「ちょっと!やっぱりいい男ねぇ〜。年下だけど、狙ってみようかな〜」
「姉さんたら、はしたない!それに声が大きいわよ。それにしても素敵な方ですね。
 誰かさんと違って常識的そうですし…」
(……………)
何でだろう?
このふたりとは仲良しで、こんな会話を聞くのも珍しくないことなのに、
何故か、今に限って…。
(何か面白くない…)
妙なわだかまりがアリーナの胸に残った。


バトラー見習、クリフトが加わったクェラー家。
彼らの、そしてふたりのあらたな日常が始まるのは、これから。




                          おしまい。