天、さくもの。



 少女はずっとそこにいた。
 それははるか昔からの約束。
 遠い未来への誓い。
 その言葉は既に雲にかすんだ。
 本来いてはいけない自分。
 世界の必然である存在。
 それは全て闇へと消える。
 ただ、待ち続ける。名もわからない人を。
 何時間も、何日も、何ヶ月も、何年も。
 それだけが、自分だと信じ続けて。


「ここから少し行ったところに一つの街があるのです。それは天空への塔を代々見守る一族が築いた町だそうですわ。」
 ルーシアの導きにより、中央の大陸に足を下ろしたラグたちは、そのルーシアの勧めどおり、この大陸唯一の町を目指していた。
「綺麗ね…」
 ミネアは空を見上げる。雲ひとつなく、どこまでも蒼い空。そこに突き刺さるように伸びる真っ白な塔。それはまさに芸術だった。
「本当じゃな…このように美しい光景があるなど…」
 そう言うブライのみならず、全員がただ見とれながら空を見て歩いた。そして、だんだんと塔は近づいてくる。
「・・・あれはなんですかな?」
 トルネコが眼を凝らして言う。全員がトルネコの視線を追った。
「ほこら…のようですね・・・」
 クリフトが言うように、それは忘れられたような小さなほこらだった。
「寄ってみますか?」
 トルネコの言葉に、ラグが頷く。天空へ行けば、ここへ戻ってこられるか判らない。そんな気持ちも少しはあったから。
馬車をガラガラと動かし、そのほこらへ近づいた。

「本当に、古いですわね…ゴットサイドの住人も訪れていないのかもしれませんわ。」
「やだ、モンスターとか出るんじゃないでしょうね。」
「そうなら、望む所よ!かかってらっしゃい!」
 三人の女性達の言葉に苦笑しながら、ラグは足を一歩ほこらに踏み入れた。そのとたん。
「おにいちゃん!」
 金の色が、ラグの体にまとわりついた。とても、暖かかった。

「ラグ殿に、妹がいたとは知らなかったぞ!」
 ライアンは心底驚いたような顔をして金の髪の女の子を見た。
 その女の子は6歳くらいだろうか。すこしウエーブを描く透けるような金の髪を肩までたらし、ただひたすら一つの言葉を叫んでいた。
「ち、違いますよ!僕に…」
 ラグはそこまでいいかけて止まる。考えてみたら、ラグは自身のことを何も知らないのだと。父も母も自分の親ではないのだ。
「…僕は自分の妹なんて知りません。
 もしかしていたとしても、僕が覚えていないのに、その妹が僕のことを知っているなんて余り考えられないと思いますけれど…」
 そうして女の子を見る。
「おにいちゃん!おにいちゃん!」
 女の子は、ただひたすらラグにしっかりしがみつき、その言葉を叫んでいた。

「あなたは何てお名前ですかな?」
 その女の子に目線を合わせて、トルネコは聞いた。女の子は、叫ぶのを止めてトルネコのほうを見た。眼をぱちくりしている。
「その子、あんまりラグに似てないわよねえ?」
 ようやく顔をあげたのを見て、マーニャが冷静に評する。
 その少女の顔はあどけなく、そして整っていた。
今は愛らしさが支配している顔が、大きくなるにつれ妖艶になることは一目見ただけでわかった。
 だが、同じ綺麗な顔立ちでも、どちらかというと朴訥とした人を優しくさせるようなラグとは一線を画した顔立ちだった。
 マーニャの顔を見て、女の子はまた顔をラグの体に隠した。
「ほら、姉さん!そんなこと言っちゃ駄目よ!おびえてるじゃない!」
 ミネアがマーニャに怒る。マーニャはうろたえた。
「え?あたし脅えさせるようなこと言った?」
「姉さんは元々派手なんだから!」
「ねえねえ、ミネアさん、怒鳴ったら子供も怖がるんじゃない?」
 アリーナの言葉に、二人は沈黙した。ミネアが咳払いをする。
「ねえ?僕はラグって言うんだ。何て名前?」
 ラグは女の子に聞く。女の子はラグの顔を見上げ、首をかしげた。
「君の、名前だよ?」
 だが女の子はただ黙っている。その様子を見て、クリフトは顔を翳らせた。
「…名前を…知らないのでしょうか…?」
「そう言った可能性もあるじゃろうが…」
 名前のないもの。それは生まれた時に親に見離された孤児。
治安の良いサントハイムにも、悲しい事に存在していた事をブライもクリフトも、そしてアリーナも知っていた。
 ラグは辛抱強く顔をのぞいて聞く。
「名前は?」
 そうして、やっと意味を飲み込んだように、女の子は小さな声でつぶやく。
「ディ…」
「ディー?ディーっていうんだ?」
 ディーと名乗った少女は首をまたかしげた。そしてしばらくたった後、首をこくんと縦に振った。
「そっか、僕はラグだよ。」
 ラグはにっこり笑って言う。
「ラグおにいちゃん…?」
「そう、ラグだよ。」
 そうして、二人はにっこり笑いあった。
「それで、ラグ殿は心当りはやはり?」
 ライアンの問いにラグは頷く。
「ええ…ディーという名前に聞き覚えはありませんね。」
「では、どうしてラグ殿を兄だとおもったのだろうか?」
 ライアンの疑問にトルネコが追加する。
「そもそもディーはどこの子なんでしょうかね?」
 そしてアリーナがまとめた。
「とりあえず落ち着いてディーに話を聞いてみましょうよ。」
 ディーはただ、不思議そうに皆を見ていた。


「おにいちゃんじゃないの?」
 ディーはラグを潤む目で見た。
「うん、ごめんね…僕には妹は、多分いないと思うんだ。ねえ?ディー、どこからきたの?」
 ディーはラグにぴったりとくっついている。アリーナがさらに尋ねた。
「ここの近くの子?」
「ここの近くには…ゴットサイドしかないと思いますけれど…」
 アリーナにルーシアが答える。ディーはそれをじっと見た。
「お羽根…」
 白い羽根がパタパタ揺れるのを少し楽しそうにディーは見た。
「飛べる?おねえちゃん、空飛べる?」
 ルーシアは哀しそうに首を振った。
「ごめんね、今は飛べないの。おうちに帰ったら飛べるのよ。…ディーさんのおうちはどこ?」
 そう言うと、ディーはまたラグの胸に顔をうずめる。ラグはその頭をそっと撫でて聞く。
「どうしてディーはここにいたの?」
「…おにいちゃんを待ってたの。」
 そう言って、ラグをぎゅっと抱きしめた。
「あ、あの、だから、僕は…」
「おにいちゃんだもん!おにいちゃんなんだもん!おにいちゃんをずっとずっと待ってたんだもん!」
 そう言ってラグを抱きしめるディーの頭をラグは撫でる。そこへミネアがミルクを持ってきた。
「ラグ、どうぞ。飲んでください。」
 きがつくと皆は近くに焚き火を作っていた。とりあえずここで昼を食べる事になったらしい。
「はい、ディーちゃんも。」
 そういって、ミネアはディーにコップを渡した。ディーは恐る恐る受け取る。
「?」
「あせらないでゆっくり飲んでね。」
 ディーはコップの中を覗き込んだ。ライアンとトルネコは横目で見ながらため息をついた。

「しかし一体…どうすれば・・・」
「そうですな…やはり家に連れて行って上げるべきでしょう。…やはりゴットサイドの子供でしょうな。」
 クリフトはただ、心配そうに見ている。ゆっくりとミルクを飲む様が、なれていないことを予想させたからだ。
「もしかして…捨て子なのでしょうか…?」
「じゃったら親が名乗りでない可能性もある…困ったものじゃ…」
「お兄さんがラグに似ていたのかしらね?」
 アリーナはただ首をかしげる。マーニャはディーに近づいて聞く。
「ねえ、あんたゴットサイドの子?」
 するとディーはまた脅えて隠れる。
「違うもん、ディーはおにいちゃんを待ってたんだもん。ずっと待ってたんだもん!」
 マーニャは頭を掻いた。どうやら自分はこの子に嫌われているらしいと判断して、少し離れる事にした。
 今度はミネアがディーに聞く。
「ねえ、ラグを待ってたって、いつから待ってたの?」
「?・・・ずっと、ずっと。」
 少し首をかしげて、そう言った。どうやら良くはわからないらしい。
「どうして僕がおにいさんと思ったの?おにいさんとは最後にいつ会ったの?」
 ラグがディーに聞く。ディーはまたしどろもどろに答える。
「ずっとまえ…会ってない。ううん、会った事、ない。」
 意味があるようで、無い言葉。その言葉を聞いて、アリーナが身を乗り出す。
「それじゃどうして、ラグを見てお兄さんって思ったの?」
「だってわかったんだもん、見たときにそう思ったんだもん!ディ−、嘘ついてないよ!!」
「ええ、わかってますよ。」
 クリフトは優しくディーをなだめる。それでもディーは必死で訴える。
「ディー、嘘ついてないもん!本当だもん!そう思ったんだもん!」
「そうですね、ディーは嘘つくような子じゃないですな。だから大丈夫。」
 トルネコがディーの頭を撫でる。ディーはこくん、とうなずいた。
「さすが子供なれしてますじゃ、そういえば姫も昔は…」
「止めてよ、ブライ!」
 アリーナが顔を赤くして止める。ラグはディーに向かって優しく告げた。
「ディーが嘘ついてると思ってはいないけど、僕はディーのお兄さんじゃないんだ。…判ってくれる?」
 ディーは泣きそうな表情をした。ラグは半ば泣く事を予想したが、ディーはラグの服をぎゅっと掴んで、こっくりとうなずいた。
「…ラグおにいちゃんは、ディーのおにいちゃんじゃないんだね・・・」
「うん、ごめんね。だからディーをちゃんとお家に返してあげたいと思うんだ。だからディーのおうちはどこかな?」
 そう言うと、ディーはまた黙り込んだ。
「ラグ殿が言っても駄目だとは・・・もしかして家がないのか?」
 ライアンが首をかしげると、クリフトがあることを思いついた。
「もしや…行き場のない死者…」
 一瞬の緊張が走る。皆の目が、一斉にミネアに向く。だが、ミネアは首を振った。
「いいえ、違うと思いますわ。そんな気配ではありません…。」
「とりあえずこれからどうするべきじゃろうか・・・」
 ブライの言葉に皆が黙り込んだ。トルネコがにっこり笑って提案を出した。
「とりあえず、お昼にしましょうか。」


 風が吹いた。湿気を含んだ冷たい風。
 ディーも含めて10人は、焚き火を囲んでゆっくりとご飯を食べる。
 少しずつ、ディーは緊張を解いていった。
相変わらず、ラグにはべったりだが皆に笑顔を見せ、食べ物を渡されたらにっこり笑って礼を言うようになった。
 …あいわからずマーニャにはなぜか脅えているが。
「いーわよ、あたし、子供に好かれるタイプじゃないし。ところで、ほんとにこれからどうするの?とりあえずゴットサイドに連れて行く?」
 アリーナが空を見上げる。少しずつ翳りを見せ始めた空が、旅人達の心を急がせた。
「あんなにいい天気だったのに…雨が降りそうね。」
「ですが、私は雨も好きですわ。とても心が落ち着きますもの。」
 ミネアはにっこりと笑う。ライアンは空を心配げに眺めた。
「急がないといかんな。濡れてしまっては体に障ろう。」
「そうですね…やはりマーニャさんの案が一番いいと思います。とりあえず親がいるか一応確かめて…」
「いや!」
 クリフトの言葉をディーはさえぎる。ディーは立ち上がって涙ぐんだ。
「ディー?」
「いやいやいや!街なんかにいかない!」
「どうして?なにがいやなの、ディー?」
 ラグの言葉に、ディーはさらに声を高める。
「いやだもん!皆ディーが嫌いなんだもん!ディーが怖いんだもん!」
 ディーが叫んだ言葉に、皆は首をかしげる。
「どうして?ディーは怖くなんかないよ?」
 ラグは必死に落ち着かせようとする。だがディーはさらに声をあげる。
「だってディー!嫌われてるもん!ディーが来ると、みんなおうちの中に入って扉を閉めて、カーテンを閉めるの!
 それでディーが来ないようにって、お布団のなかで脅えるんだもん!ディー知ってるもん!だからいや!街に行くの、いや!」
 泣きながら首を振る。トルネコがディーの頭をなでる。
「大丈夫ですよ、きっと誤解ですから。」
「違うもん、本当だもん!ディーは嘘つかないもん!」
 そう言ってディーはラグの胸にすがり付いて、えんえん泣いた。ラグはディーの背中を撫でる。
「そんなこと、ないよ?ディーはいい子だから、怖くなんかないよ?」
「違うもん…みんな、嫌いなんだもん…そこのおねえちゃんも、ディーのこと、きっと嫌い。怖がってるもん…」
 そう言って指差された人物に視線が集まる。
「はあ?あたしが?何で?」
 そこには自分を指差してあきれてるマーニャの姿があった。

「…姉さんなにしたのよ?」
 ミネアの不審顔にマーニャは食ってかかる。
「あのねえ、今日会ったばっかりでしょ?知らないわよ!」
「あら、判らないわよ。もしかしたらモンバーバラで何かしたんじゃないの?私の知らない間に。」
「もしそうだとしても、あたしがこの子を怖がることはないでしょ?逆はあったとしても!」
「そういえばそうね…」
 皆に一つの疑問がよぎる。どうしてディーは皆に恐れられるのだろうかと。
 そして皆は知っていた。人間に化けるモンスターがいることを。もちろんラグも。
 けれど、ただの人の子かもしれない。
「とりあえず…あたし先にゴットサイドとやらに行くわ。」
 最初に口火を切ったのはマーニャだった。
「マーニャさん!だって!」
「それはあまりにも端的な意見だと思いますわ。」
「姉さん!わかってるの?それとも子供の言うことにむきになったの?」
 熱くなる女性陣に対し、男性陣はただ難色を示していた。
「やはりそれが・・・」
「いやいや、それは危険ですよ。」
「そうですよ、決まったわけじゃないんですから。」
「じゃが、このままというわけにも…」
 そして、皆の意見がすれ違った時、決定を下すのは、いつもラグだった。
「皆さん、先にゴットサイドに行っていてください。そしてディーのことを聞いておいてくれますか?」
「じゃがラグ殿!!ディーはモンスターかも…」
 ブライはそこまで言って口をふさぐ。そしてディーの方をちらりと見るが、ディーは首をかしげ、そしてラグに無邪気に尋ねた。

「ねえ?ラグおにいちゃん?モンスターって何?」
 全員に戦慄が走る。この世の中で生きていて、モンスターを知らない、そんな事がありえるのだろうか?
 だが、ラグはいかに世間に出たとしても、あの狭い村で生きてきただけあって、そういう常識を知らなかった。だからにっこり笑って答える。
「えっと…なんでかしらないけど、僕達に危ない事をする不思議な生き物がいるんだよ。」
「ふーん、そんなのいるんだね。じゃあ、ディーがおにいちゃんをモンスターから守ってあげる!」
「…僕も、ディーをモンスターから守ってあげるから、心配いらないよ。」
 ラグは微笑んで、ディーをぎゅっと抱きしめた。
(もう、誰も…殺させないから…)
 皆、何もいえなかった。ラグが、信じているのだ。それに、疑うにはあまりにもディーの眼は純粋すぎた。
(それに、モンスターの気配でもないですし…)
 ミネアはそう思っていた。そして皆も気がついているはずなのである。
(けれど、人ともまた違った気配なのが気になりますわ…)
 そう思って、ミネアは念を押す。
「お一人で、大丈夫でしょうか…?二組に分かれたほうが・・・」
「大丈夫です、きっと。それより本当に雨…いや嵐になりそうですし、早いほうがいいですよ。
 僕はディーと一緒にほこらにいます。明日の昼に迎えに来てください。」
 黒い雲は、もうそこまで来ていた。まるで悪い予感を乗せるかのように。風も少しずつ強くなり始めていた。
「あー、もう、降りそうだわ。急ぎましょ!」
 いらだたしげに言うマーニャに、ディーはラグの陰に隠れながら話し掛けた。

「おねえちゃん、雨、嫌い?」
 初めてまともに話し掛けられ、マーニャは少し驚きながらもちゃんと答えた。
「そうねー、雨は嫌いじゃないわよ。特に夜の雨は。ただ…嵐は嫌いね。うっとうしいし。」
「…そう…皆、そうなの?」
「ふむ、行商などはやりにくくなりますし、客足も落ちますからなあ。」
 と、トルネコがいい。
「うむ、雨は気配を隠してくれるが、足元が心もとなく、攻撃もしにくい。そう考えると余り好条件でないことは確かだな。」
 とライアンが言う。ブライは。
「雨が降ると神経痛がしましてな…」
 と腰を抑え、アリーナは
「そうね、天気が悪いと外に出られないわ。逃げ場がないのよね。ちょっと困るわ。」
 と締めくくった。ディーはなぜか少し落ち込む。
「そう…」
「ですが、雨は神からのめぐみ。全てを潤すものです。」
 少し低く朗々と響く声。クリフトが優しい目をしていた。
「ええ、雨は全ての汚れを落とし、少しずつ清めて下さいますわ。そして、全てを育てるもの。」
 ミネアがうなずきながら言う。
「無駄なものなんて、何もありませんわ。マスタードラゴン様の采配ですもの。」
 ルーシアが空を見上げながら言う。
「そう…?そっか。」
 その言葉に、ディーは一瞬ハッとして。それから少しだけ、明るく笑った。そして、またラグの胸に顔をうずめる。それを見て、ラグも笑う。
「ですけれど、雨にぬれるのは余り健康上よくありませんわ。では、私たちは行きましょうか。」
 ルーシアが微笑んで言いながらゴットサイドの方を指し示す。
「ここに4食分置いていきますね、ラグさん。お気をつけてください。」
 馬車から食料の水を置いて、トルネコが言った。
「もし、何かあってここにいられないなら・・・エンドールに行きましょう。判った?」
 アリーナの言葉にラグはうなずく。そして。
「きっと、大丈夫です。皆さんもよろしくお願いします。」
 そういって、ラグは皆に手を振り、見送った。近づく雨雲に追われ、皆はゴットサイドへと急いだ。
その背中を見ながら、ディーもラグの真似をして、手を振った。
 だが、一度でも仲間達が振り返っていたら、気がついたであろう。

 ディーの体は、10歳ほどに成長していた。