= 以下は引用と心得たり (浅香蕭先生談)=

 我々人間は絶えず高邁な理想を持っている。 いかに絶望にひしがれた時にでも、やはりこの理想は潜在的に存在しているのである。 しかし、我々の眼前には厳然として現実というものが横たわっている。 理想と現実とは合一する時もなくはないが、むしろ異なっている場合の方が多い。 この事実を前にして楽天主義になるか悲観主義になるかは主観性の問題であって、この理想と現実の間の溝を埋めねばならぬことは、いつの時代においても変わりがないと言えよう。 しかも、この溝に単に良心的に挑戦するだけでは駄目だ。 現代に生きる人間として知性的・科学的に処理していくことが肝要である。 マックス・ヴェーバーはこういう人生の矛盾をあるがままにいささかの幻想も交えずにそのまま受け取りながら、これを良心的且つ知性的に闘うことにその生き甲斐を見出した学者であり、自由主義者であった。 彼は正しく生きるための闘いの場としての、また人間を理解する経験の場としての現代が先ず問われねばならぬと考えた。 そして、キリスト教的立場から現代を反省・分析することがその一つの根本的中心問題であり、翻って、またこの現代の経験と理解とが歴史において千変万化する人間を原理的に捉えるための出発点と考えた。 彼はドイツの学者であるが、同時に一人のドイツ国民として生きようとした。 「祖国にまことの栄光あれ!」ーこれが彼の悲願であった。 彼が生きたのは1864年から1920年まで。 活躍したのはビスマルクの後を受けたウィルムヘルム2世の時代から第一次大戦におけるドイツ敗戦直後までの時期に相当する。 祖国の真の栄光はいずこにあるか、祖国の正しい進路はどうあるべきか、これまたドイツ国民としてのヴェーバーの絶えざる関心事であった。 この観点からも現代、特に祖国ドイツの現状が顧みられ、その社会・経験・政治の営みが分析されねばならなかった。

 ところで、当時ドイツは、その資本主義的完成を完遂しつつあり、軍国主義的指導のもとに華々しい躍進の途上にあった。 そして、ドイツ国民の歴史的使命に対する信念が生まれ、ドイツの精神的伝統に深く根をおろした国粋主義がドイツの知識人と世論とを支配し、ドイツの政治の推進力となった。 また、国家の神聖視から国家の干渉に対する反発も弱かった。 従って「自由」の理念は英米やフランスのように政治的自由主義に向かわず、むしろそれは内面化された。 こうしてドイツの自由主義は何者も止めがたい力をもって個人的自己教養の方向に進んだのである。

 しかしヴェーバーは当時のドイツに支配的であった、これらの信念を擁した多数派思潮と対立する立場に立った。 つまり、ヴェーバーは国家であれ英雄であれ神によって創られた地上的なもの、いわゆる被造物の神聖視をいわば権威への盲従・偶像支配として、形の如何を問わずすべてしりぞけ、権威あるものは内なる良心のみであるとした。  ヴェーバーも精神の自律を重んずるが、しかし、それは伝統的な立場におけるような、内面化され神秘化されたそれではない。 また、国家の神聖視もあり得ない。 それは被造物である限り誤謬を犯すものであり、批判されるべきものである。 要するに、伝統的立場がルター派の信仰と密接に結びついていたのに対して、ヴェーバーの立場はこの点でカルヴィニズム及びピューリタニズムと共通するものを持っていた。

 他面において彼はドイツ政治思想上最も代表的な政治的自由主義者の人であった。 確かに彼の考えは人間観においても社会観においても多くの点で英仏の啓蒙思想と対立する。 しかし、基本人権の意義を容認し、これを主張した点では啓蒙思想の継承者であった。 かくて、彼は西欧民主主義の立場に立ってドイツ的なる自由の理念を拒み、さらに国家の無批判的崇拝をしりぞける。 しかし、同時にまた彼は「文明」を軽視することに反対する。 ドイツの精神的「文化」を語り、英米の「文明」を軽んじつつドイツの強大を図る政策は、よしんば一時的成功を博するにせよ、結局大いなる悲劇への途に他ならない。 「文明」を尊重し、英米の社会にならって社会と政治を近代化し合理化することによって初めて、ドイツ人はその歴史的責任を果たしうるのである。 しかし、このような英米の近代的・合理的な文明と、その自由主義とは決して無関係ではない。 その一つの重要な場合がカルヴィニズムとピューリタニズムの貢献である。 ヴェーバーの自由主義的な生活信条であったとも言える。 この清教主義が「文明」ー即ち、社会一般の此世的・世俗的・日常的な「利益」に関心をおくこの「文明」ーの一つの決定的な原因なのである。 この点、ドイツでルター派の信仰が精神的伝統の一つの重要な支柱であったのと対照的である。

= 引用了 (浅香蕭先生)=

テング (Sho Asaka)