漱石の「思い出すことなど」 第二十三章

〜 余は好意の干涸らびた社会に存在する自分を甚だぎこちなく感じた。 〜

二十三章はこの言葉では始まっている。 そして漱石には珍しくこの同じ句がこの文庫本で二ページほどしかない本章でこの冒頭を含んで何と四回も出てくる。 よく清澄が新聞連載小説の中でかなり似た表現を意図的に或いは非意図的に繰り返し使うことがある。 が、漱石のこの反復はよほどのことがあっての事だろう。 ここでは義務と好意が鮮明に区別されている。 そしてその区別がそれぞれの社会的生き方に、そのアプローチに深く根ざしていることを指摘している。 ここには江戸の人情と明治の世知辛さか対比されている。 そしてそれはそのまま現代にも通じる。 私自身が上京前と上京後で感じた違いとも酷似している。 私はいわゆる「駒ラブ」で帰郷シーンを書き、そして上京シーンを書いた。 本当の趣旨はその間の東京生活である。 漱石は「坊ちゃん」で東京から地方への「下り」を書き「三四郎」で地方から東京への「上り」を書いた。 江戸時代以前に一般庶民がそのような「上り」「下り」をする事は極めて珍しかった。 江戸の町民は長屋で暮らし、田舎の農民は隣との共存の中で暮らした。 そのどちらにも社会的な暮らし方のアプローチとしては無理がない。 私は以前アジア的共存=互助精神について書いたがまさにその世界である。 計算ずくではないのである。 漱石は多分「江戸」に人情を見、「明治」に近代社会特有の計算ずくの論理を見たのではないか。 人情は好意であり、論理は義務である。

ここに近代・現代社会の経済活動が入ってくるとややこしくなる。 経済活動は絶対的に論理で動かなければ困る。 誰にも分かる一定の秩序で動かなければ社会が混乱する。 それではその経済活動に関わるあらゆる社会人(=会社人)は計算ずくの論理だけで働いているのか。 私は昨年、食道潰瘍という急性の病気のために生まれて初めて病院に入院した。 このときの看護婦の手厚い看護はとても義理ではないし、まして計算ずくの論理では毛頭なかったと確信している。 会社人であることと全く関係なくなった私は、会社の重役らしい人が後から同室に入院するのを見て不思議な気がしたものである。 もとより患者に社会的地位の序列はない。 それにしても人間は入院すればたったの五分でいとも簡単に身分が均一になるのである。 そして看護婦にとってはその人がもと部長であろうとペイペイであろうと、そもそも、その直前の職業が何であろうと関係はない。 これは患者同士にとってもそうである。 漱石がこの章で、そういう意味で看護婦の仕事上の所作に言及している様は私にはよく理解できる。

計算ずくの論理だけで固められた社会はともかく、少なくとも高邁な義理で結束された社会には「自我の主張」はまことに必要ないのである。 そんなに切りつめられた息詰まる世の中であっては漱石同様、私も多大な精神的疲労を伴って、いかにもぎこちなく振る舞うことになる。 児童が教師に対して猟奇的「切れ方」をするような社会環境を、そしてそれを作った私たち自身の心の病巣を、真剣に浄化せねばならない。

てんぐ