テングの亜細亜論


 結局ヨーロッパ社会は所詮ギリシャ時代から延々と続いた奴隷社会から脱皮出来ないでいる

訳だ。 ここが、アジアとは根本的に違う。 モンゴリアを中心とする東アジアにおいてはい

い意味での原始共同体が根付いていて、これは例えば日本社会にも見えないところで潜在して

いる。 よく、「以心伝心」という言葉があたかも欧米的な意味あいでの「非論理的」という

意味で語られることが最近多いがアジア社会に於いてはこれは伝統的な実践的互助精神の世界

にあって極めて普通な自然発生的・原人間的な心情である。 元来アジア社会には「互助」と

いう言葉はあっても自助とか平等という言葉は必要なかった。 そこで、小民族間での差異は

もともと誰も気にも止めなかった。 その観念が存在しなかったのである。 そう言う意味で、

社会主義とか民主主義という概念はアジア社会にしてみれば所詮西欧から輸入されたもの、な

いし、西欧の対アジア恐怖感ー>対アジア卑下感に根付いた極めて利己主義的な恐るべき固定

偏見観念に依るもの以外の何者でもあり得ない。 ここから根ざした大航海時代ー>大植民地

時代(かつて弱小国であったはずの国であるギリシャ・ローマを夢想した・模倣したいとする

新興国の安直且つ成金主義的な、往年の大ヨーロッパ帝国主義への回帰)、そしてその後、2

0世紀に迄亙る極めて永年的な利己主義的疑似世界制覇の歴史は誰もが既に認めているところ

であり、我々アジア人はこれから常に注意深く見守っていく必要のある領域ではある。 コロ

ンブス以降の歴史を我々は再点検せざるを得ない。


 そして、最も忘れてならないのは明治・大正・昭和の日本が二の轍を踏んだことである。

善隣関係を保つべき近しいはずの民族を脅かし、征服し、その文化と人命を葬り去り、自己の

勝手な非人道的・非論理的・暴力的な様式を強要したのであるから、その罪は遥かに重い。

そして、戦後50年以上経った今日に於いても明快な謝罪をしていない、ないし、そういうよ

うに認識されていないのは、時機を逸してしまったと同時に、罪悪度を年々増加させ続けてい

るのだ。



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