I.日常の中の微かな異変の察知
心地よい風だ。
斜(はす)に開けた突き出し窓に腰掛けながら僕はかなり前に流 行った SPYLO・GYRAを聴いている。よく言えばほのぼのとした、でもどっちつか ずの暗がりの中に時々点滅するネオンが僕の目の中に進入して来る。外気と部屋の 空気は完全につながっている。ただ、僕の耳には微かな外の雑踏よりも、空気の様 なフュージョンしか聞こえて来ない。彼女は部屋の別の片隅で椅子に腰掛けてファ ッション雑誌に目を通している。そしてまた、先程から僕とこの時空についてけだ るそうに会話してる。いや、彼女は単に頷いているだけなのかも知れない。果たし て満足して居るんだろうか。時々、そんな不安が僕の脳裏をよぎる。
僕達が此処に越してからと言うもの、吸い込まれそうな夜の空とほのか な星を見ながら、3次元を越える話題がいきおい増えた。いや、僕の方から一方的 に増やしたのだ。彼女は元よりさほど乗り気ではない。と、言って夢のあるファン タジィのある話が嫌いな訳でもない。ロマンなんて表現はちょっとださいかも知れ ないがでもそこに一つの別の世界を求めるのは決して逃避だとは思わない。それは 皮肉にも現在が未来或いは過去を欲することによって、その現在をより豊饒にする 事になると言う一つのパラドックスなのかも知れない。ここから眺望する夜の都会 はまことブルーで(これ以外巧い表現を思い浮かばない。)、星はでも白いひ弱な 点にしか過ぎず、都市の人工的な灯に完全に負けてしまっている。ただ、高層建築 のそれぞれの稜線とも呼ぶべき曲線と夜の空の境界線との微妙な関わり合いがいか にも曖昧で・・・・。厳しい都会の狭間に於いてこうして存在する、或いは感知で きる曖昧さが好きで、とりわけ過去の、未来の歴史へと、又時空へと飛翔出来る、 此処YOKOHAMAを、いや、高踏的に眺望出来る夜のYOKOHAMAの一種 アンニュイな時空を、だから僕は愛している。彼女もかなり強引な僕の薦めに戸惑 いつつ、でも気に入っていると勝手に思っている。と、言うより彼女のそう言った 気持ちの微妙な動きを僕は察知しようと単に努力しようとしたのに過ぎないのかも 知れない。僕と同じ気分になれない訳がない。「女性は必ずこう言う雰囲気が好き に決まっている。例外がある訳がない。」
僕達のそんな会話を途絶えさせるかの様にそれこそ一瞬の閃光が煌めい た。ほんの一瞬だった。彼女の居る場所からはそれに気付くのは無理だった。でも それを目撃してしまった僕は、何故かそこにこれから起こるであろうやや不吉な気 配を時空の中で感じざるを得なかった。僕はそれでも何事もなかったかの如く緩や かに彼女と話を再開しなければならない。それは、あたかも義務の様でもあった。 何とか平静を装わなければ・・・。実は、僕は深淵なるあのブルーな空の、いや天 上の奥に何かしら煌めく円盤若しくは球体を見てしまったのであった。ただ、その 「物」には有機性がどう言う訳か感じられなかったのだ。これが、僕が何故か言い 知れぬ不安と言うか恐怖を感じる心情の基になっていた。有機性を感じる事と言う のがどう言う事なのか、僕自身にも到底言葉では説明出来ない。ただ、あの亀の甲 の化学式に対しては都合のいい事にそもそも生まれながら生理的な拒絶反応が僕に は備わっている。一度、学校の教科科目と言う脅しもあって取り組まざるを得ない 状況に晒された事もあった。でも、それも、教師が気に入らないと言う単純な理由 でたちどころにその努力を放棄出来たのも事実である。どだい、努力と言う代物が どうも好きではない。歴史的と言うかただの名所で、なんであんな文字をさも重要 そうに刻印したのか、その類の盾が売られており、またそれを事もなげに買って行 く人の気持ちは僕の、少なくとも「今の」心情とは程遠いものがある。話が逸れて しまった。僕が図らずも目にした物はまるで新しい物体、いや天体物であったよう だ。でも、二度目に目撃する迄ははまだかなり時間を要した。
僕と彼女とは元来喧嘩友達であった。真相はともかく表面的に意見が合 う事は先ず以てない。ああ言えばこう言う式である。とにかく会話では何時も正面 衝突。そして、実はお互いにそれを楽しんでもいた。双方とも迎合するのは、特に 形式に於いては、最も嫌いなたちでたまにはわざと相手を曲解してもいたものであ る。ただ、お互い腹の内はとうに見通していたのだが・・。変な話だが派手に言い 合いをしてる時が一番充実していた。ところが、最近この、世にも不思議な関係に 異変が現れつつあった。それと言うのもあの、僕が謎の天体物を知覚するように なってからである。僕の方からだけではなく、「それ」の事はまるで知らない筈の 彼女からもそれが明らかに見て取れた。この力は一体何なんだ?この際、僕が何気 なく知覚した事を告白すべきなのか?このままでは、多分二人は会話を無くして しまう。そして、いとも簡単に終わりが来てしまうかも知れない。最近の僕はそれ程 迄に思い込む様になっていた。
二人と言うのか男女と言うのか、心が通じ合うっていわゆる、特殊相対性 理論の世界に近いのかも知れない。つまり、本人同士はものすごく共鳴し合っていた としても、つまり心の琴線が震撼するようなことであったとしても、外部の人間、 つまり観察者からしてみれば余程常識破りか普通以下かどちらかにしか見えないのだ。