「Blue Horizon・U」
『本日、念願の店「CHAOS」をオープンしました。開店祝に一曲弾きにくるように!
add・・はばたき市●×△・・・〜〜ビルB1F
tel・・■△○−×●□○ 月城 悠介 』
こんなふざけた葉書を受け取ったのは教師になって二年目の秋。
高校卒業後N.Yに行ってしまってから約五年、一通の手紙も一本の電話も寄こさなかったあいつ。
まったく・・・いつの間に帰国して開店の準備を進めていたんだろう?
俺を驚かせておもしろがるのは悠介の悪い癖だが、今回もまんまとやられた。
きっと、訪ねていったらつい昨日別れたように軽い挨拶を投げてくるに違いない。
住所をたどり、なんとか悠介の店があるビルを探し当てた時には日が陰り始めていた。
『CHAOS』・・(カオス・・?)薄暗いビルの通路に看板らしきものが灯りを放っている。
少し重めのドアを開けると、中はほどよい暗さでカウンターの上にだけピンスポットがあたり
哀愁を帯びたようなピアソラのタンゴが流れていた。
「ようっ、久しぶり。元気だったか?」・・・ほらこれだ。あくまでも軽い。
グラスを磨きながら笑うあいつは、すこし大人びた風貌になってはいたが、瞳がイタズラっぽく
輝いている様は、高校時代と何ら変わらない。
「元気だったか?じゃないだろう!一度も連絡を寄こさないで・・。ずいぶん心配したんだぞ!!」
「里心をつけたくなかったんだ。見知らぬ町の、見知らぬ人たちの中で俺は本当に孤独だと感じたよ。
でもそんなときに日本にいる俺を知ってる人たちに連絡を取ったりしたら、たちまち日本に帰りたく
なっちまう。それじゃ意味ないんだ。店を開くためにあらゆるものを見て、聞いて、感じる必要があったし。」
「・・・そうか。」
「バーテンなんてものは一種カウンセラーと薬剤師を兼ね備えたようなもんさ。同じマティーニだって
幸福の絶頂にいるときと、絶望のどん底にいるときじゃ味わいはちがうだろう?レシピ通りでも。
喜びを増幅させるために酒を飲みに来るのか、哀しみに沈みたいために酒を飲みに来るのか客の雰囲気や
最初の会話で素早く判断して、その人にとって最良の酒を提供する。そんな風になりたいんだ、俺。」
「なれるさ、お前なら。」・・・本当にそんな気がした。
「サンキュ、じゃなんか一杯作ろう。最初っからウイスキーじゃキツイだろうから・・・」
そう言って悠介は何か作り始めた。高校時代見よう見まねでシェーカーを振っていたときより
格段に動作が洗練されて来ている。
ごく自然にイヤミない仕草で俺の前にジン・フィズのグラスを置いた。
一口口に含むと炭酸が効いて、スッと風が通るようなさわやかな口当たり。店を探した疲れが
ほぐされるような感じだった。
「上手くなったな、さすがプロだ。」
「バカ言え!俺なんかまだまだスタートラインに立ったところさ。お前にハリーズ・バーの
サイドカーやホワイトレディを飲ませてやりたいよ。涙が出るほど旨かったぞ。」
「なあ、何で店の名前カオスなんだ?」唐突に聞いてみた。
悠介はよくぞ聞いてくれたとばかりにカウンターから身を乗り出してくる。
「あのな、CHAOS(カオス)の意味知ってるだろ?」
「確か、混沌だろう。」
「そう、混沌さ。お前聞いたことないか?全ては混沌から生まれたって話。この世が成立する前、
ただ一つ混沌だけが存在していた。そこから天地が別れ、善も悪も、光も闇も、陰も陽も生まれたんだ。
もちろん、男と女も。何が生まれ出てくるのかわからない、好奇心を刺激されるもの。そんな話を
聞いてすごく混沌て言葉が気に入ったんだ。何かが始まるきっかけのような場所にしたかったんだ。」
「ふーん、お前にしちゃ・・」
「よく考えたって言いたいか?相変わらず厳しいな〜零一は!」悠介が愉快そうに笑う。
「それはそうと、ほらあれ・・・」悠介が指さす先には圧倒的な存在感でグランドピアノが置いてある。
「約束、覚えてるか?俺がいない間、お前ずいぶん無理してきたんじゃないのか?
不器用で、肩肘張って、最悪なことにプライドも高いときてる。愚痴もこぼさずやってきたんだろ?」
・・・あれは高校卒業間近だっただろうか・・・
〜〜〜〜〜「俺さー、帰国したら金貯めて小さなバー開くの夢なんだ。で、ピアノ置くの。どーんと。」
「ふーん、何でピアノなんだよ?」
「何でって、お前が弾くため。」
「だからどーして俺がお前の店でピアノ弾かなくちゃいけないんだよっ?」
「だってお前さあ、ピアノ弾いてるとき、すっごく柔らかくていい顔してるぜ。こう、なんか解放されてるっていうか。」
「・・・?」
「きっとお前ってさ、大学行ったって社会に出たって、他人に対しちゃどーせヨロイ着たみたいにガチーンとしてると思うわけ。
そういうのに疲れたら、俺の店に来て好きな酒飲んで、さらっとピアノ弾けばいいじゃん。
お前はリラックスする、客は喜ぶ、俺はピアニストを雇うための人件費が節約できる。
いいことずくめだろ!なっ?ああ、俺って経営の才能あるなあ。」
思わず苦笑する。そうだな、こいつの開く店なら客はリラックスして楽しめるような気がする。
きっと、客一人一人にピッタリ合った上等のカクテルを作れるようなバーテンダーになるんだろう。
「わかったわかった、弾いてやる。そのかわり時給もらうからな。」〜〜〜〜〜
・・・そんな会話を交わしたような気がした。
それにしても、高い買い物だったんじゃないだろうか?このグランドピアノ・・・。
「お前の考えてることなんてすぐにわかるぞ、これはなあ理事長さんが貸してくれたんだ。自宅や別荘に
何台か持っているからって。ほら、俺あの人に名刺貰ったじゃないか、昔。」
そういえば、大風呂敷を広げて理事長を感動させて援助の約束取り付けてたんだった。コイツは・・・。
「じゃ、せっかくだから一曲弾こう。・・・。」
一つ、深呼吸をして弾き始める。曲は・・そうショパンのノクターン・・・
悠介は曲を聴きながら何か用意している。そういえば再会の乾杯もまだだったな・・・。
久しぶりに誰かのためにピアノを弾いたら、思いの外気分が軽くなった。
やはり、コイツがいなくて寂しかったんだろうな、俺は。絶対に口には出さないつもりだが。
「やっぱりピアノ弾いてるときのお前いい顔してるよ。ただ・・・」
「ただ、何だ?」
「こういうロマンチックな曲想の作品は、好きな女に弾いてやれ。なっ!」
「なっ・・うるさい!何も考えてなかっただけだ!!」
二人で顔を見合わせはじけるように笑い出す。声を立てて笑うなんて事も本当に久しぶりだ。
「じゃ、乾杯。」と悠介が薄紫のカクテルを私に手渡した。自分はウイスキーの入ったグラスを手に持って。
「カオスの誕生に、そしてこの朴念仁がいつか連れてくるであろう好きな女のために。」
「そんな日が来るとは今は到底考えられないが、お前の帰国とまだ見ぬ私の恋人のために。」
グラスがカチリ、とあわせられお互いの乾杯のせりふにまた声を出して笑う。
落ち着いた空間と、旨い酒と、腹を割って話せる幼なじみ。
こんな場所になら安心して好きな女を連れてこれそうだ。いまはまだ恋の始まりすら感じないけれど・・・。
fin.
★マスターの名前と店名勝手に想像しちゃいました。先生ちょっと寂しがりやさんになってしまった。(汗)