スタリオン・デー


 私のアルバイトはこの声で始まる。
「いらっしゃいませ!!」

 その次に発する言葉もほぼ決まっている。
「窓はお拭きしましょうか?」



 私のアルバイト先はスタリオン石油。
いわゆるガソリンスタンドだ。
たまたま見かけたアルバイト募集の求人メール。
 それが思いもかけない喜びを生むとは、私は全く予想していなかった。



「今日は何の日か、自分わかってるか?」
 同級生でここの先輩アルバイト・姫条くんが聞いてくる。
「わかってるよ」
 私はわざと素っ気なく答える。
 別に姫条くんが嫌いなわけでは、ない。
仕事中におしゃべりなんて!と思うほど私は真面目な性格ではない。
 ただこちらに向かって来るエンジン音が聞こえたからだ。
それも聞き覚えのあるエンジン音が。


 姫条君にそれを告げると、彼は急いでスタンド内の作業に回った。
この時間に現れる人物に心当たりがあるのだろう。
 それは、私も同じなのだけど。



 マセラティがゆっくりとスタリオン石油に進入してくる。
私は丁寧に車を誘導した。


「いらっしゃいませ。どうしたんですか?」
「君か・・・」
 マセラティの主・氷室先生は私の顔を見て眉をひそめた。
「どうしたも何も・・・。ガソリンを入れに来たに決まっているだろう」
氷室先生が生徒指導に来た、と思いこんでいたからそんな当たり前のことに気がつかなかった。
「あ、そうか!」
 私の反応に氷室先生は大きなため息を一つつく。
「・・・ハイオク満タン、エンジンルームには触るな。洗車は手洗いだ。以上」
「はい、かしこまりました!」
 指示を手短に下すと、私に鍵を渡し先生はスタンドに向かって歩き出した。


(今頃姫条くん、慌てているだろうな)
 スタンド内の様子を想像し、私はクスリと笑った。



 給油と洗車を無事に終わらせ、私は氷室先生の待つスタンドに入った。
 氷室先生は紙コップに入れたコーヒーを仏頂面で飲んでいる。
視線の先には、レポートの束。

(何もここで仕事をしなくても・・・)
 そう思いながら、私は先生に声をかけた。

「氷室先生。洗車と給油が終わりました」
 そう言いながら鍵を手渡す。
ほんの少し先生の手のひらと私の指先が当たった。
 先生の手のひらは大きくて、しなやかで、でも冷たくて。
できることなら私の両手で包んで暖めてみたくなった。

「よろしい」
 私の気持ちを知らない先生は笑顔で鍵を受け取る。
そしてそのまま席を立ってスタンドから出て行こうとする。

「先生、あの・・・」
「どうした」
「お会計がまだです」

 スタンド内のレジスターに先生を連れて行き、手際よく会計をすませる。
せっかく洗車を丁寧に、ガソリンもきっちり満タン入れたのに、ここで不機嫌になられては私が悲しい。


「氷室先生。・・・あの、これ。バレンタインのチョコレートです!!」
 そう言って差し出した私の両手はセピア色をした小さな紙の箱を抱えている。

「全く、君は・・・。私へのバレンタインチョコレートは昼休みに持ってきたのではなかったか?
それに教師に贈るチョコレートは職員室脇の“チョコ受け付け箱”に入れる規則だ」
「でも、今日は“スタリオン・デー”だから・・・」
「“スタリオン・デー”?」
訝しげな先生を尻目に私は必死に説明を始める。

「毎年2月14日の“スタリオン・デー”は、お客様全員にチョコレートをプレゼントすることになっています。
そして氷室先生もその規定に当てはまっているので、当店からのチョコレートを受け取って頂きたいのですが」

 先生はふむ、としばらく考えていた。
「・・・そう言う事情ならば仕方がないだろう」
 結局先生は私の手から紙の箱を受け取り、自分の車に戻っていった。



「よかったな」
 マセラティがガソリンスタンドから立ち去ったのを確認し、姫条くんは私に話しかけてきた。
「念願かのうてヒムロッチにバレンタインチョコ手渡しできて」
 私は笑顔で答える。
「“スタリオン・デー”の景品だけどね」
 私は心の底から嬉しかった。
 学校で氷室先生に手作りチョコレートを渡そうとして、きっぱりと拒絶されてしまったから。
その分だけ余計に。


「しかし。自分も難儀な人を好きになったなぁ」
 姫条くんは背伸びをしながら呆れたように呟いた。
「仕方ないじゃん。好きになっちゃったんだから」
 私も背伸びをしながら返事をする。
洗車の後だからか筋肉が伸びていく感じがとても気持ちいい。

「ところで、オレへのバレンタインチョコレートは?」
 私はにこやかにそんな台詞を吐く姫条くんの胸を軽くグーで叩く。
「大好きな奈津実ちゃんから手作りチョコレートを貰っている人間が何言っているの。
姫条くんには義理でもあげない!」
 姫条くんは私の友人・藤井奈津実の彼氏。
その人にチョコレートをあげるなんて奈津実ちゃんの嫉妬心をあおるようなこと、とてもできない。
まして姫条くんとアルバイト先が一緒だという事で、彼女には時々妙な対抗心を持たれているのだから。

 私がガソリンスタンドのアルバイトを辞めて姫条くんと会う機会を減らせば彼女の嫉妬が少なくなるのはわかっている。
でも、私はしばらくこのアルバイトを辞めたくはない。



 時折やって来るマセラティを見るのが私の喜びだから。



★「起きたら草紙」の藤村 涼様のバレンタイン・フリーSSです。
片想い中の主人公ちゃんの切ないけどとっても可愛らしい雰囲気が
先生や姫条君とのやりとりにあらわれている素敵な作品です♪