「瞳の先にあるもの」
暗闇と静寂。ステージ本番前の張りつめた空気。
微かにざわつく客席は、先生が指揮台に立つと水を打ったように静まりかえる。
次の瞬間まぶしく私たちを照らす白いライトの光。
先生はスッとタクトをとり、私たち一人一人に視線をめぐらせ、
深く息を吸い込むと同時に、ひときわ高く上げたタクトを振り下ろす。
紡ぎ始められる音楽。
木管の細やかな主旋律、金管の華やかなハーモニー、
低音群は力強くそれらを支え、パーカッションは様々なリズムで彩りを添える。
一つ一つの音が重なり、絡み合い、巨大なうねりのように流れていく。
私のソロパートが近づいてくる。早鐘のように鳴る胸。
緊張に耐えきれずに先生を見つめれば、抱きとめるように両手を広げ、微かに視線で私を促す。
(大丈夫。落ち着いて、全て私に委ねなさい・・・。)
先生のタクトに導かれるように私は旋律を奏で始める。想いを音に込めながら。
(好きです。大好きです。とても言葉にする勇気がないけれど、あなただけを見つめています。)
曲のクライマックスにのぼりつめていく時の、陶酔したような先生の表情。
私の心を捕らえて離さないその表情。
あと何回、こうして一緒のステージに立てるんだろう?
先生の横顔、見つめていると少し哀しくなる。
いつか訪れる卒業という別れ。
演奏が終わった舞台のそでで、私たち一人一人と握手する先生。
私の手を包み込み、ありがとう・・とささやく。
微かに上気した頬、額ににじんだ汗、少し乱れた髪。
いつもより数段優しい光をたたえているその瞳。
先生の手に触れたうれしさと、たとえようもない切なさが同時に去来して、私は戸惑い立ちつくす。
fin.