『鬼門』

この時期の夜風というものは身を切るほどに冷たい。
煌々と輝く星々も、糸のように細く蒼白い月も寒々しさを一層かき立てる。

だからこそ自分の部屋の明かりが灯っていれば心底ほっとするのだ。
それは…君が待っていてくれるという証に他ならないから…。
合い鍵を渡してからもうどれくらい立つだろうか。
無機質な冷たさが支配していた私の心と私の部屋に、君は彩りを与え続けていてくれる。

自然と緩んだ口元のまま部屋のドアに手をかけた瞬間、
唐突にドアは内側から開いた。したたかに額を打って思わずしゃがみこむ。

「おっかえりー!!…あれ?零一、なにやってんの。お前」

彼女ではなかった。私の、悪友だった。
あくまでもお気楽なその様子はいつもと変わるところがない。
その後ろから心配顔の彼女がひょっこり顔を出した。

「零一さん!おでこが、おでこが!!」

慌てて駆け寄り私の額にそっと手を当てた。
そのひんやりとした感触が心地良い。

「だ、大丈夫だ。心配ない、それよりなぜ二人が…?」

「あの、ここに来る途中で偶然マスターさんに会って…マスターさんもここに来るところだって」

「今日店休みだからさ、昼間色々作ったんだよ。で、差し入れしてやろうと思ってさ」

そう言って指でダイニングテーブルの上を指し示す。

「彼女が来る日だとは知らなくてさ、まあ、適当に退散するから。な!」

「そんな、私こそお邪魔なんじゃ…」

彼女が私とあいつの顔を交互に見上げた。

「そんなわけないじゃない。さ、食べよ、食べよー」

そうして小さな子供にするように彼女の頭を撫でた。

「こ、こらっ」

「おっとっと。ごめん、ごめん」

まったく…。
あいつが包みを広げると私も彼女も『それ』を凝視したまましばし無言だった。

「…おい。なんだこれは…」

太巻きらしきものがごろんと四本ほど重箱に収まっていた。

「何って、太巻き寿司だよ。見りゃわかるだろ。あ、自家製のぬか漬けもあるぜ」

「マスターさん、ぬか漬けまで自分で作るんですか!?」

「うん、俺マイ糠床持ってるよ。毎日優し〜くお世話してんの」

はあっと、彼女が感心したように息を吐く。

「…すごい…私、マスターさんみたいな…」

「ダンナが欲しい?」

いたずらっぽくあいつが聞いた。

「こらっ!」

「…いえ…マスターさんみたいなお嫁さんが欲しいかも…」

一瞬きょとんとして、すぐ弾けたようにあいつが笑い出した。

「よ、嫁さんねえ。君が現れなかったら零一にもらってもらおうかと思ってたんだけど」

「ホントですか!?」

「こらーっ!!彼女が本気にするだろう!」

「冗談だよ。馬鹿♪」

「…まあいい。なぜ太巻きなんだ。遠足や花見じゃあるまい?」

「今日節分だぜ。お前、恵方巻きって知らないの?」

「節分…ああ、忘れていたが…」

「私、コンビニとかで見たことあります!まだやったことなかったけど!」

彼女が目をキラキラさせて嬉しそうに笑う。

「その年の恵方を向いて、無言でお願い事しながら食べるんですよね」

「そうv俺もやってみたかったんだ。でも一人じゃ間抜けだから」

「…知らなかった。でも、迷信ではないのか?」

「何でもいいんだよ。面白きゃ」

「では、包丁を取ってくる。お前のものほど切れないかもしれないが」

クルリと二人に背を向けてキッチンに行こうとした瞬間、同時に二人が叫んだ。

「だめーっ!」

「待てっ!!」

なんだというんだ一体。

「切っちゃダメなんですよ。零一さん」

「そうそう。このまま食べるんだよ。丸かじりすんの」

「無言で?」

うんうんと彼女が頷く。

「この長いまま?」

うんうんとヤツが頷く。

(…何人でやっても間抜けな光景だと思うが…)

間抜けだ、間抜けだ…と思いながら結局は二人のノリに負けて食べてしまった。

ふうっと満足そうに息を吐いて、ニコニコしながらヤツが彼女に聞いた。

「で、何お願いしたの?」

「え、あ…色々…。健康で過ごせますように、とか」

「零一のお嫁さんに早くなりたい♪とか?」

「えっ?あ…いえ、その…」

真っ赤になって、恥ずかしそうに俯いてしまう彼女がとても愛しかった。

「からかうのはよせ。お前にいわれるまでもなくちゃんと考えてる」

彼女の頬の色がますます赤みを増した。

「はいはい、ごちそうさま。お邪魔虫はそろそろ退散するわ」

「あ…マスターさん、アレはやらないんですか?一緒に…」

(アレ?)

「いいよ。俺が一緒にやったら独り身の寂しさを思いっきりコイツにぶつけそうだからさ」

「そんな…一緒にやりましょう。マスターさんも一緒のほうが…アレは…」

「じゃ、お言葉に甘えてもう少しいさせてもらおうかな」

(アレ?)

「どうせ時間はあるんだろう?何をするんだ、一体」

「これです!」

彼女はバッグから豆の袋と鬼の面を勢いよく取り出す。

「…豆まきか…まあいい、厄払いだな。で、鬼は…」

二人の視線が一瞬交わり、そして痛いほど私に注がれた。

「…そんなの…」

「お前に決まってる」

聞いた私が馬鹿だった。



fin.