「淑女の選択」
学園の中にあるバラ園を通りかかろうとしたとき、聞き覚えのある男女の話し声に私は思わず身を隠した。
男性は天之橋理事長、三十代の若さながら理想に燃え意欲的に学園を経営している。
女性は私のクラスの生徒、私の・・・もとい私のクラスのエース的存在。
最初は目立たない存在だったが、こつこつと努力を重ね勉強面やスポーツ面でも成績を伸ばし、
好感の持てる清楚な身だしなみや、周囲に対する気配りも忘れない。
いつの頃からか私の心を占領し始めた彼女。
担任であるという気楽さからか、私の数学準備室にもしばしば訪れるが、彼女と過ごす時間ほど
最近の私にとって幸福だと感じられる時はないだろう。
もっとも教師という立場上、そんな感情をおくびにもだしはしないが・・・。
彼女が輝けばそれだけ彼女に惹かれる男性も多くなってくる。
理事長からも抱えきれないほどの深紅のバラの花束を貰ってしまったと、少し困惑したような表情で
私のところへ報告に来たこともあった。
あろうことか、理事長所有のクルーザーに招かれたこともあったらしい。密かに憤慨した私が強引に
課外授業の予定を入れたことで、彼女が行くことはなかったけれど。
私があれこれ考えているうちに話が済んだのだろう。
私が身を隠していた校舎の方に理事長が戻ってくる。私は平成を装って訪ねた。
「今のは私のクラスの生徒だったようにお見受けしましたが、彼女が失礼でも?」
理事長は私が近くにいたことに少々驚いたようだったが、愉快そうに答えた。
「失礼?とんでもない。私はね氷室君、彼女にイギリスのフィニシングスクールに留学しないかと
打診してみたんだ。彼女のように未知の可能性を秘めたレディ予備軍が磨かれるのには、
ふさわしい環境だと思うのだがね。」
「何です?それは。」
「日本ではあまりなじみがないようだが、ヨーロッパの社交界にデビューするような子女が
通うところなのだよ。レディとして必要なものを一通り学べるんじゃないかな?
コルドンブルーの料理、乗馬、運転、テニス、ダンス、優雅な会話術、マナー等だね。
全寮制の寄宿舎だからセキュリティの面でも安心できる。」
「それで彼女は何と?」
「少し考えてお返事します、ということだったよ。家族の方にも相談してみるのだろう。」
楽しそうに話す理事長に私は頭を抱えた。
いったい彼は彼女をどう思っているのだろう?まさか、光源氏やヒギンズ教授のように彼女を
理想通りのレディに育て上げて、自分の伴侶とするつもりなのだろうか?
自分自身のことはかなり冷静な性格のつもりだったが、彼女に関することとなるとどうも
そう言ってばかりはいられないらしい。
「理事長、彼女は生徒なのですよ。一人の生徒だけに理事長の教育的なご配慮をいただいても
いかがなものかと・・・。それにバラの花束やクルーザーへの招待など、優秀な生徒に対する
褒美としてはいささか・・・。」
「おや、妬いているのかね?」サラリとかわされる。
「氷室君、君ほどわかりやすい男も珍しい。生徒達は君のことをアンドロイド、鉄仮面などと
噂しているようだが、どうしてどうして好きな女性のこととなると、こんなにも心が乱されるのだね。」
私は自分の奥底に秘めた想いをあっさりと見破られたことに非常に狼狽した。
こと恋愛に関して言えば、理事長が一枚も二枚も上手だろう。
「好きな女性!?仮にも私は彼女の担任ですよ。大事な生徒だからこそいろいろと心配もするのです。
教師と生徒の間に特別の感情など・・」
「あってはならない、というのかね。それはそのように君が自分の心に枷をはめているだけじゃないかな?
私は常々恋というものの前では、身分も立場も年齢差も関係ないと思っているがね。」
「それでは理事長も彼女に恋をしている、ということでしょうか?」
「あの可愛らしい微笑みに、心惹かれない男はいないよ。”理事長は”ではなく”理事長も”
というからには”君も”だろう氷室君。」
私はハッと口元を押さえる。
「彼女自身の口から君を選ぶ、という返事をもらうまでは決して退くつもりはないがね。」
クルリと踵を返して理事長は歩み去った。後に残された私は頭の中の整理がつかず、
軽い頭痛を覚えながら帰宅した。
数日たっても彼女は私に何の相談も持ちかけては来なかった。まさかこちらから聞くわけにも行かず
やきもきしていると、ある日理事長室に呼び出しを受けた。
「失礼します。」と入ると微かに甘い残り香が感じられる。彼女のものだ。
私の理性を揺さぶる香り。彼女は自身の返答を理事長に告げに来たのだ。
「彼女から返事を貰ったよ。彼女は紫の上にもイライザにもならないそうだ。」
私の心配していたことを見透かしたように、理事長は笑う。
「彼女は君のような教師になりたいのだそうだ。君に一人前の女性として認めてもらえるよう、日本で
研鑽を積みたいのだということだった。私はますます気に入ったね。すがりつくように恋するのではなく
相手と同等のレベルまで自分を引き上げようと努力する姿勢が素晴らしい。
ひとまず恋のさや当ての舞台からは身を退くがね、今後とも彼女を見守っていくことにかわりはない。」
「理事長、それでは彼女は・・・」
「しかしね、あんなに魅力的なレディだ。君がぐずぐずしていたら、今にきっと誰かにさらわれてしまうよ。
丁度いい、オペラのチケットが二枚ある。君にあげよう。彼女を誘ってみてはどうかね?
社会見学とでもなんとでも理由をつけて・・・」
「しかし・・・」「おや?私が誘ってもいいのかね?」
「いえ!ありがたく頂戴します。」
「素直でよろしい。御礼がわりといってはなんだが、観賞後三日以内にレポートを提出するようにね。」
あっけにとられる私を見て、理事長はさも珍しいものを見たかのようにクスリ、と笑った。
fin.
(あとがき)
初書きのVSモードです。お相手が天之橋さんというご希望だったので、先生かなり振り回されていつもの
クールな先生とは別人かも・・・(泣)だてに年食ってませんね、理事長。優勢勝ち?