『木霊』
それは一本の若い木だった。
彼の意識はある日突然目覚め、己がこの森の守護者となるべく生をうけたことを
魂の奥底にきざみつけて少しずつ成長していった。
ある日彼は一匹の優美な獣を見つける。
雪のように白く輝く毛皮。
狼という誇り高い種族でありながら、どこか怯えたような瞳。
その瞳が朝露をたたえたように美しいと彼は思った。
仲間の中にいても、どこか不安げな彼女のために彼は精一杯葉を広げ、
安らぐための木陰を作ってやった。
気がつくといつも彼女の姿を目で追う自分に気がついた。
木霊としてまだとても若い彼は、年ふる木霊たちのように精霊としての
形に転変して動くすべを知らなかったのでいつも穏やかに見ているだけだった。
彼女の傍にやがて銀色の力強い毛皮の仲間が寄り添うようになったとき
彼は大地に縫い止められて動かない己の存在をほんの少し悲しんだ。
「自分もあの獣たちのように大地を走る足があれば・・・」
しかし心優しい彼は自分の中に生まれた哀しみの感情を押し殺し
もう、怯えることがなくなった彼女へのはなむけに、より一層葉を広げ
二匹がくつろぐための木陰を用意した。
やがて彼女が仔を産み、その子供たちが己の足下でじゃれ合うのを見て
この小さな命たちが獣として幸せな生を全うできるよう祈り続けた。
悲劇は突然やってきた。
とどろく銃声、悲痛な叫び。獣の悲鳴、ヒトの悲鳴。
雪が覆った白い大地は鮮血に染まり、彼女は地に伏していた。
彼女を守ってきた銀色の獣もまた血に染まり、その魂の光は細く消えかかっていた。
「怒り」という感情が己の中にあることを彼は初めて知る。
彼の嘆きは森全体をふるわせて、凄まじい力をもたらした。
侵略者であるヒトの存在は、うねうねと蛇のように蠢く彼の根によって
大地の奥深く奈落のような場所にひきこまれ、姿を消した。
彼の枝葉は傷つき、死にかけている二頭の獣たちを引き寄せ、包み込み
哀しい色をした緑の柩となった。
誰も彼らを引き裂かぬよう、誰も彼らを辱めぬよう・・・・。
緑の柩はゆっくりと空に向かって昇り始めた。
己を誕生させた神という存在の元へ届くよう、彼の枝葉は伸び続けた。
やがてそれは雲に吸い込まれるほど小さくなり、静かに消えた。
「神よ、私を誕生させた神よ。森の守護者として頂いた永遠にも等しい
私の命をお返しします。そのかわり、どうか彼らに輪廻の機会を与えてください。
私が初めて愛した彼女が幾星霜の後、再びこの銀色の伴侶に巡り会い、
今度こそ幸せに愛し合える事ができるよう慈悲を与えてください・・・。」
森の形を変えるほど怒りと哀しみを爆発させ、神の元へと緑の柩を運んだ彼の意識は
朦朧とし、木霊としてのあまりにも短すぎる生は終わろうとしていた。
永遠にも等しい命が消えゆく刹那、彼は意識の奥底でひとつの声を聴く。
「・・・お前の願いは聞き届けられた。お前は永遠に彼女の守護者となる・・・。」
闇が彼の意識を覆う。
天空に緑の柩を残したまま、静かに一本の若木が朽ち果てた。
数え切れぬほどの日々が過ぎた。
幾万の夜と昼が交差しただろうか。
木霊の彼と、優美な白き者と、銀色の力強き者、三者を取り巻く時の環が重なり合う。
闇の中で彼は神の声を聴いた。
「目覚めよ・・・。お前の守護する者がこの世に生を受けた。
彼女を守り、励まし、銀色の力強き者へと導くのだ・・・。」
木霊だった彼は、切なるほど欲しいと願った大地を走る足を得て
静かな、どこか哀しげな光をたたえた緑の瞳を持つヒトとして再びこの世に帰ってきた。
彼が雪のように白く輝く肌を持つ少女と出逢い、銀色のオーラを持つ彼女の永遠の伴侶と
結ばれるべく、少女を見守り続け、励まし、導くのはもう少し先の話・・・。
fin.
★このSSは小鉄様にいただいたSS「遙かなる風」に激しく感動してしまったワタシが
妄想の赴くままに書き上げてしまったモノです・・・。小鉄様のSSの雰囲気を壊してないと良いのですが・・・。