『Maria』


文化祭を明日に控えて学園の中は一種独特の空気で包まれている。
祭りの前の高揚感、とでもいうのだろうか。
そわそわと浮き足だって、皆なんとなく落ち着かない。

その気分は私も例外なく感じてはいるのだけれど
胸の奥のうんと深いところがひんやりしてる。ほんの少しだけ…。

…最後なんだ…今年が。

校内のあちこちから響く釘を打つ音、ペンキの匂い、台詞を読み上げる声。
走り回る足音、そしてそれを注意する先生達の…氷室先生の声も。

家庭科室でぼんやりしていた私は、いつの間にか一人になっていた。
膝の上にヴェールをのせながらぐるっと部屋を見回す。
部員のみんなが一生懸命作っているドレスの鮮やかな色彩の海。

そして私の目の前にあるのは純白のドレス。
雪のような白さに窓から差し込む夕日の橙色が照り映える。
三年生は卒業記念にウェディングドレスを作る、それが手芸部の伝統だった。

(花嫁…かぁ…)

このドレスを作っているとき、いつも思い描いてた。
ヴェール越しに見つめる祭壇、そこに待っているのは…私を待っているのは…

「熱心なことだな」

突然肩越しにかけられた声に、私の夢想は一瞬にして消える。
待っていて欲しいと密かに願った相手が目の前に立っている現実。
泣きたいほど嬉しかったのに、私の口から出たのは「げっ…!?」という色気のない短い叫び。
おまけに慌てて立ち上がったせいで、ヴェールを床の上に落として踏んづけてしまった。

「わわわっ…!」

柔らかな生地がするりとまとわりつき、足がもつれる。
やばい、と思って足をよけたときには既にしっかりと私の上履きの跡が残っていた。

「あー…」

拾い上げて腕の中にくしゅくしゅとヴェールを抱く。
蜻蛉の羽のように薄く白い生地のあちこちが靴跡で汚れていた。

「す、すまない。私のせいだ。いきなり声をかけて驚かせてしまったから…」

先生が心配そうな顔で私の前に膝をついた。

「貸しなさい、私がなんとかする」

「いいんです!自分でなんとかしますから…離してください、ヴェール…」

「明日の本番に間に合わなかったらどうする!」

強い口調で言われて思わず手を離した。
再び床に落ちたヴェールを今度は先生が拾う。

「最後のステージなのだろう?私のせいで君の三年間の努力の結晶とも言うべき
 花嫁姿を台無しにすることなど出来ない…だから…」

「そう…最後なんですよね。先生に花嫁姿見てもらえるのも明日だけなんだ…」

目の前の先生の姿がゆらゆらと揺れて、あっという間に涙に沈む。
いくら好きでも、どんなに願っても、私は生徒で、先生は『先生』で…
泣いたりしたら先生が困惑するとわかっているのに、泣けて泣けて仕方がなかった。

「きっとなんとかする。だから…そのように泣かないで欲しい…」

暖かな掌が私の頬を包み、涙を拭ってくれる。

「もう、遅い。帰りなさい、戸締まりは私がしておく」

「はい、ご、めんなさい…。その、子供みたいに泣いたりして…さようなら、先生」

家庭科室を出る間際、振り返ると先生は私のウェディングドレスをじっと見つめていた。
頬に残るぬくもりと、少し寂しそうな先生の後ろ姿が切なくて私は小走りにその場から去った。




文化祭当日、着替えとメイクを済ませた私は舞台袖に控えていた。
パニエでふんわりと広がったドレスが私を少しだけ大人びたように見せてくれる。
ちらりと時計を見た瞬間、先生が走り込んでくる。

「間に合ったか!こ、これを…君に」

そう小さく叫んで先生が広げたのはクラシカルなレースで縁取られた楕円形のヴェールだった。
そっと私にかぶせてくれる。少し、恥ずかしそうな顔で。

「先生、これって…」

「マリアヴェールというのだそうだ。君のドレスによく似合うのではないかと思って」

「ありがとうございます…これ、一人で買いに行かれたんですか?」

「無論、一人だ。事情を話すまでは店員に不審の目を向けられたが」

思わず、クスリと笑ってしまった。
おかしくて、嬉しくて、切なくて、また泣きそうになる。

「最後のステージ…見ていてくださいますか?」

「最後、ではない」

三年生登場用のBGMが流れ始める。
ヴァイオリンの深みのある音色で奏でられるバッハのアヴェ・マリア。
私自身はクリスチャンではないけれど、この美しい旋律と先生がかぶせてくれた
マリアの名が冠されたヴェールのせいなのか、敬虔な気持ちになる。

「君の花嫁姿を見るのをこれで最後にはしたくない。いつか…私のためだけに
 もう一度このヴェールをつけてはもらえないだろうか。もし、君が嫌でなければの話だが」

「それって、どういう…」

ことなんですか?と尋ねようとした私の唇を先生が指先で押さえた。

「行きなさい。この続きは卒業式の後に話す。全てが終わったら学園の教会で待っていて欲しい」

先生に背中を押されて私は一歩ずつ歩き出した。
純白のドレスと繊細なヴェールに護られるように…。
ステージの光の中へ向かっていく私の心の中は、いつの間にか冷たさが消え
いいしれない暖かいもので満たされていった。





fin.