「I miss・・・」
朝夕の風の涼しさが少しずつ夏の気配を消していく。
夜が長くなる、ということはそれだけ静かにもの思う時間が増えていくらしく、
最近のCHAOSでは、ひとりでグラスを傾ける客が多いように感じるのは俺の気のせいだろうか?
ほら、また女の子がひとりで・・・って零一の彼女じゃないか。
まさかあいつが初めてとことん惚れたのがあの生徒さんだったとは・・・。
最初のうちこそ色々驚いたり、心配したりもしたけど彼女が高校を卒業した後、
めでたく恋人同士♪ということになったらしい。
初めて零一が店に連れてきたときから、なんとなくそう予感させるものはあったけどさ。
「どうしたの?今日は零一は一緒じゃないのかい?」
「ええ、零一さん修学旅行の引率中で今は京都なんですよ。」
「修学旅行ねえ。懐かしい?」
「つい、昨日のような気もしますけど。もう三年も前なんですよね。
零一さんに自由行動一緒にまわって貰って、すごくドキドキしたの覚えてます。」
やっぱり・・イイコトあったんじゃないか!零一〜。
そうでもなきゃ、突然土産なんて買ってこないさ。
「いつ帰ってくるの?あいつ。」
「多分、今日だと思うんですけど・・学校に到着しても先生方はやることがたくさんあって
すぐには帰宅できないんだ。ってぼやいてました。」
そういって彼女は小さく舌を出す。
初めてこの店にきた頃と変わらない、あどけない笑顔。
「今の時期の京都、月が綺麗でしょうね・・・。」
「零一はどうだって言ってる?」
「あの、基本的に零一さん、学校の行事で出かけてるときって電話くれません。」
彼女が少し寂しそうにポツリと言った。
俺は思わず苦笑する。お前らしいというかなんというか・・。
公私の区別はきちんとつけているつもりなんだろうが、しょうがないなあ。
彼女は、といえば主の帰りを待つように静寂を保つピアノをぼんやりと眺めていた。
「零一を思い出しちゃうかい?」
「え?ああ、ごめんなさい。なんか急に零一さんのピアノが聞きたいな・・って。
今頃学校に着いたかな?って・・・。」
「あのさ、I miss you ってわかるよね?」
「あなたがいなくて寂しいって意味ですか?」
「まあそんなとこだね。誰かを好きになるじゃない?例えば君が一人でどこかへ出かけて
素晴らしく綺麗な風景に出逢ったとき、ああ、これを零一に見せてやりたい。って思わない?
今この瞬間そばにいてくれたら・・・って切なくなるような感じ。わかる?」
「何となく、わかるような気がします。」
彼女は真剣な眼差しで俺の言葉を反芻するように何度か頷いた。
「二人一緒にいるってのが、まあ恋人同士にとっちゃ最高の状態なのかもしれないけどさ、
遠く離れて、痛いほど相手の不在を感じて恋しく想うっていうのも素敵だよ。」
「・・・・・・・」
「零一はああいう性格だから、口が裂けても君がいなくて寂しかったなんて言わないかも
しれないけど、今頃速攻で仕事片づけて君がどこにいるかあれこれ考えてるんじゃない?」
彼女はハッとしたようにバッグの中から携帯を取りだして、画面を見つめた。
「マスターさん!不在着信入ってました!零一さんから〜。」
さっきまでの憂い顔がウソのように瞳が輝いている。可愛いよなあ、この子。
「あのさ、もうこの店にも何度も来てるんだから『マスターさん』なんて呼ばなくて良いんだよ。
月城でも、悠介でも好きに呼んで良いのに。」
「私も、なんてお呼びしたらいいのか悩んで零一さんに聞いたんです。零一さんは『悠介』って
呼んでるみたいだから、『悠介さん』じゃだめですか?って。」
「それで良いよ、俺は。」
「でも、あの・・・。」彼女が口ごもる。
「でも、何?」
「零一さんたら『君が名前で呼ぶのは尽くんと私くらいで結構。』なんて言うんですよ。」
彼女が申し訳なさそうに少しはにかんで囁いた。
まったく・・・。子供みたいなヤキモチの焼き方だなあ。
思わず彼女と顔を見合わせて笑い出すと、
「何がおかしい?」
そう怪訝そうに声をかけて零一がドアから顔をのぞかせた。
「お帰りなさい!零一さん。」
彼女が椅子からピョンと降りて零一の方に駆け寄る。
一瞬にして柔らかくなる零一の表情。
ま、いつものことだけどホント彼女と話すときのあいつの顔は穏やかで優しげだ。
「今戻った。何も変わったことはなかったか?」
彼女の頬に手を添えて零一が訪ねる。
おいおいおい、俺もいるんですけどー。お二人さん。
「まあ、一杯飲みながら土産話でも聞かせろよ。」
そう二人を促して俺はカクテルの準備にとりかかる。
俺の不在感を切々と感じて物思いに耽る恋人・・・。
そういう存在が今はないことに少し、寂しさを覚えながら。
秋の気配が深まるように、静かに、静かに、穏やかな時間が俺たちの間を流れていった。
fin.