『The end of Summer』
「やっぱり、花火大会一緒には行けないんですね。」
私は落胆した気持ちをなるべく気取られないように言葉を返した。
「ああ、すまない。どうしても校外指導の方の当番の変更ができなくて・・・。」
卒業して、今年こそは一緒に行けると思ってたのに。
あなたのために新調した浴衣を一番に見て欲しかったのに。
「大丈夫です。志穂ちゃんが一緒に行こうって言ってくれてるし。守村君も来るみたいですけど・・
終わったらマスターさんのお店に行きますから、零一さんも来てくれますよね?」
心底申し訳なさそうな零一さんに、これ以上どんな我が儘が言えるだろうか。
氷室先生と一緒に行けないのなら、私たちと見に行きましょうと誘ってくれた志穂ちゃんと行こう。
同じ一流大学に進んだ志穂ちゃん、守村君、葉月君とは時々御飯を食べに行ったりしてる。
ただ葉月君の名前を出すと零一さんの眉根が微かにひそめられるように感じられるのだけれど。
「葉月も来るのか?」
こちらの心を読むように零一さんが問う。声のトーンがひとつ落ちる。
「守村君が誘えば、多分。」
「そうか、皆とはぐれないように。」
葉月が来るのなら、行ってはいけないと言われるのかと思った。
「もう、私迷子になるような年じゃありません!」
少しすねたように言い返すと、ポンポンと軽く頭を撫でてくれる大きな手。
零一さんがヤキモチなんか焼くはずがない。だって私より全然オトナなんだもの。
いつものように家まで送ってもらい、軽く額にキスをして零一さんは帰っていった。
花火大会当日は予想通り大変な人、人、人・・・。
はぐれないようにと言った零一さんの言葉を思い返して胸に一抹の寂しさが去来した。
「浴衣、似合うな。初めて見た。」
優しい声でそう言ってくれる葉月君。
高校時代から、ぶっきらぼうだけどさりげなく気に掛けてくれている。
あの頃は時々何かを強く訴えかけるような彼の視線に戸惑うこともあった。
聞き返せば、怖いような気がして尋ねはしなかったけれど・・・。
卒業して私が零一さんの恋人(今でもあまり実感はないのだけれど)になってからは、
彼の瞳は穏やかに見守るようなものに変わっていった。
もしかしたら彼は私のことを・・?そういう疑問を感じたことはあったけれど
聞いてしまったら彼を傷つけるだけのように思えて何も問うてはいない。
仲良さそうに先を歩く志穂ちゃんと守村君。
今頃先生も、この雑踏のどこかで花火が上がる音を聞いているんだろうか。
いつだったかマスターさんが、恋人が傍にいないことでなお一層相手のことを恋しく想うことも
あるんだよ、と教えてくれたけど今の私はまさにそんな感じだった。
「どうした、気分でも悪いのか。」
俯きがちで歩いていた私に葉月君がそっと尋ねる。
「ううん、なんでもない!あっ、また大きいのが上がったよ、綺麗だねえ。」
「無理、するな。寂しいって顔に書いてある。」
「やだなあ、何言ってるの。みんな一緒なのに寂しくなんかないよ。」
「氷室先生は?」
「えっ?あの、れいい・・いや先生は校外指導で・・。終わったら待ち合わせはしてるの。」
「そうか・・?じゃあ、何?これ・・・。」
そう言って葉月君は私の目尻を指でぬぐった。彼の指先が露を置いたように光る。
「守村たちのこと見てるのつらいなら、早いけど待ち合わせの場所で待ってろ。俺、送ってやる。」
「大丈夫だよ。あっ、あんなに離れちゃったよ、早く追いつかないと・・・。」
これ以上優しい言葉をかけられたら本当に泣き出してしまいそうで、思わず駆け出した。
数歩も行かないうちに、手首を強くとらえられる。
「お前がつらそうなの見るの、好きじゃないんだ、俺。」
人混みが流れる花火の方向とは逆に、葉月君はグイグイと私を引きずるように歩き出した。
背後で大輪の花が打ち上げられては、色の付いた華やかな影を落とす。
「待ちなさい。」
そう呼び止めたのは零一さんの声。
驚いたような、ほんの少し棘を含んだような声。
「葉月、それに・・君か。」
「あらあら〜、仲がいいわねえ。卒業した後あなたたちおつき合いしてたの〜。
ね、氷室先生。初々しくて可愛らしいわぁ。」
そうのんびりと話しかけてきたのは、クラスの副担任だった日本史の先生だった。
とたんに零一さんの片方の眉がキリキリとつり上がる。憮然として私たちを見据える。
「こいつ、具合が悪いから。送っていきます・・。CHAOSまで。」
構わずに先を急ごうとする葉月君にひっぱられて、零一さんとの距離が離れてゆく。
追いかけてくるはずもないのに、気持ちがその場にすとんと置き去りになったような切なさ。
その後はほとんど無言で私をマスターさんのお店まで送ってくれた。
「ありがと・・・。ごめんね?」
本当に申し訳なくてつぶやくように言葉を発した。
「また、何かあったらみんなでメシ食いに行こう。無理だけはするなよ。
相談ならいつでもしろよ・・・。な・・?」
緑の瞳に穏やかな微笑を浮かべて葉月君は夜の雑踏に消えていった。
「あれ〜、いらっしゃい。零一まだきてないよ。」
「はい、少し早く来過ぎちゃったんです。」
「浴衣、可愛いね。零一、惚れ直すんじゃない?何か飲む?」
「じゃあ、レモネードを・・。」
ひどくのどが渇いていた自分に気づいた。
花火大会のせいか店内のお客さんはまばらで十時を過ぎる頃には私だけになってしまった。
「今夜は閑古鳥だ。」
そうマスターさんが言った直後、勢いよくドアが開いて零一さんが飛び込んできた。
「零一さん・・・。」
「話は後だ!」ぴしゃりと言い放つ。
「悠介、例のもの!」
「はいはい、ちょっと待っててね。」イタズラっぽく私にウインクする。
肩で息をしている先生を愉快そうに見ていたマスターさんとふたり、店の奥に消えてしまった。
ややあって、ひょこっとマスターさんが顔を覗かせた。
「あのね、目、瞑ってて。だって。恥ずかしがり屋のヤキモチ王子が。」
「うるさい!」
私は慌てて目を瞑った。
「もういいよ。」
マスターさんの声に恐る恐る目を開けるとそこには、海の色を移したように深い藍色の浴衣を着て
イタズラを見つかった少年のように照れて、ほんの少しふてくされたような顔の零一さんがいた。
「どう?なかなかでしょ?こいつったらね・・・。」
「あっ、お前内緒にしとけと言ったろう!」
「いいや、ばらしちゃうもんね。いい?コイツのこの浴衣買うのにデパート三軒と呉服屋四軒も
ハシゴしたんだぜ〜。俺それにつきあわされてもうクタクタだったんだから。」
「あの、凄く素敵です。深みのある色がとってもよく似合って・・・。」
「ほら、似合うって。よかったなあ、零一。」
マスターさんに背中をばしっと叩かれた零一さんは恥ずかしそうに目をそらしてしまった。
「コイツ、君と花火大会に行けないってわかったときすごく落ちこ・・・」
「もういい。今夜はこれで帰る。行こう!」
マスターさんの口を片手でふさぎ、もう片方の手で私の手を取ると店の外に歩み出した。
「あの、花火大会もう、終わっちゃって・・・。」
「いいから、ついてきなさい。」
繁華街を抜け、零一さんが連れてきてくれたのは小さな小さな公園だった。
「あいにく、こんなものしかないが・・・。」
そう言って、一束の線香花火を取り出した。
二人でしゃがんで静かに火をともす。
パチッパチッ・・・と微かな音を立てて小さな華が私たちの間に咲いた。
「私は、今日ほど教師という職業を恨めしいと思ったことはなかった。
校外指導なんて投げ出してしまいたいと何度歯がみしたか・・・。
君の手が葉月に握られているのを見たとき、自分の血液が逆流するようなショックを覚えた。」
「零一さん、ごめんなさい。でも葉月君は・・・」
「わかっている。頭では理解しているつもりでいる。彼は至極純粋に君を心配している。
彼が私とは違った意味で君を大切にしたいのだろうということも何となく感じる。
でも、私は、自分の中に芽生えた、いいようのない感情にずっとさいなまれた。
雑踏の中に君たちが消えてしまってからずっとだ。」
ジジジジッと音を立てて小さな火の玉がポトリ、と落ちて私たちの顔の上に影がさした。
「これから先、今日のように君を寂しがらせることが多分たくさんあるだろう。しかしだ・・・
守村や葉月のようになんの障害もなく君の傍にいる男たちに、君の寂しさを和らげてもらうのかと
そう、想像しただけで私は・・・。」
突然息も出来ないくらい抱きしめられて、唇をうばわれる。
今までにはされたことがないような、激しくて零一さんの切なさが注ぎ込まれるようなキス。
「よく似合っている、できるなら一番最初に見たかったが・・・。」
「私は、零一さんの、零一さんだけのものです。ずっと、誰といても。どこにいても・・・。」
「こんな年甲斐もないヤキモチを焼く私だぞ。いいのか・・?」
言葉が見つからなくて私の方から唇を重ねる。
柔らかく、愛しさを伝えるように、そっと。
零一さんの浴衣から、密やかに伽羅の香りが立ち上る。
ゆかしいその香りは、夏の終わりを告げるように涼やかで、
火照りを感じる私の肌の上をかすめて、夜に熔けていった。
fin.